A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

右手の災難   遠矢 慶子

「痛い!」
 右手にきゅうりを持ち、スライサーをボールの上にのせ、シャキシャキときゅうりの薄切りを作っていた。きゅうりが半分ぐらいの長さになったとき、右手薬指の爪の横を、一緒にスライスしてしまった。

 いつもなら、ちょっと指を切ったぐらいでは、すぐ血も止まるのに、ボトボト出て止まらない。ガーゼを当て、バンドエイドで抑えたがだめだ。

 仕方なく、ゴム輪で、指の第一関節をぐるぐる巻き、手を上に挙げて血の止まるのを待った。 
 救急箱を出したが、中は消耗期限の切れた薬が少し残っているだけで、マーキュロもない。そういえば、3年前の引っ越し以来、幸い救急箱を開けることがなかった。


 翌朝、バンドエイドを外すと、また血が流れてきた。
 心配になり、朝一番に外科へ行く。木曜日で、ほとんどの医院は休診だ。診察カードを出して調べると、唯一、昨年罹った脳神経外科が、午前中だけ診察していた。
「皮膚をそいでしまったのですね」
 温厚そうな、色白の先生が、指を脱脂綿できれいに拭って、
「ゴム輪で止めるのはダメですね」
 と、注意された。
 止血の細いふわふわの糸のような綿をつけ、透明の皮膚の膜のような布を巻き付け、包帯を巻いてもらった。痛々しげだ。
「先生、スライスした皮膚を持ってきた方が良かったですか?」
「指を切り落としたときは、持って来てもらいますが、皮膚はいりませんね」ハハハと先生は笑った。
「明日、消毒にきてください」
 ひと安心して医院を後にした。
 右手の怪我は、これで四回目になる。
 40年以上前、スキーで転んで右手の小指を折った。


 30年前には、家の中で電気コードに脚を引っかけ、転んで、右手首を折った。全治2か月もかかった。
 この時は、3月の税金の申告で町役場に行き、書類が不足で、急いで家に戻った。書類を探し、早く持って行かなくてはと慌てて、電機のコードに足をひっかけ無様に転んだ。
「痛たた!痛い!」
 と言いながら、我慢して、車を運転して役場に取って帰った。

 あまり痛むので、すぐ車で整形外科へ行った。レントゲンで見ると、見事に右手首が折れていた。指先から肘まで、しっかりギブスで固定された。その時、一週間後にアメリカへ一か月行く予定がありどうしようと思案した。

 アメリカ人の友人もがっかりして、
「ギブスをつけたら大丈夫だから、空港は車椅子を使って来なさい」と、電話で命令された。荷物も持てず、書類のサインさえも書けないので、泣く泣く中止した。
 手首を折って、すぐ医者に行かなかったせいか、右手首は、今も少しずれてついてしまっている。


 3度目の災難は、3年前に右てのひらがしびれ「手根管症候群」と診断された。女性に多く、手術すれば治ると言うので、一週間入院手術した。ちょうど生命線の下を縦に切開した。抜糸の時、
「先生、生命線が伸びました」というと、
「良かったですね、長生きして下さいよ」
 と、笑っていらっしゃった。

 大事な右手を何回も痛め、使えなくなり、粗忽な自分を今ごろ反省している。

 それにしても、一センチ半のスライスした指の皮膚は、どこへ行ってしまったのだろうか。
しらす干しを入れたきゅうりもみと一緒に、食べてしまったのか。
 謎が残った。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

「元気100教室 エッセイ・オピニオン」トップへ戻る