元気100教室 エッセイ・オピニオン

重い判断   =  森田 多加子

 最近、通報で駆け付けた救急隊員が、高齢者の蘇生処置を拒まれるケースが多くなったという。
「末期がんで、すでに主治医には、本人からも延命処置はしないようにお願いしてある」
 と、言われた救急隊員は、人の命を助けることが使命の一つである。救急車の中で、それができないなら、非常に苦しいことだろう。

「処置中止の書類があるからと言って簡単に割り切れない」
 その場に居合わせた救急隊員の話だ。

 患者の家族が書類に署名をして、医師が同意すれば蘇生処置の中止をするというが、救急車に乗せたときには、ほとんどがまだ息があるのだから、何もしないではいられないと思う。

 救急車を呼ぶのは、「助けてください」という意志表示である。最初から延命処置をしないと決めているなら、呼ぶべきではない。だが、出先で倒れて、近くにいた人が救急車を呼ぶこともあるだろうし、本人が、すでに意識がないときは、どうしようもない。


 救急処置のおかげで、命を長らえたが、ただ息をしているだけの人間になっ てしまうこともある。
 この状態が本人にとっても、家族にとっても大きな問題となることが多いという。


 私の母を最期まで看てくれたくれたのは、弟夫婦だ。義妹は看護師である。母が入院した時に、身体中の検査が何度もあり、それが母にとって耐えがたい苦しみであった。
「もうやめていただけませんか」
 と、義妹は、医師にお願いした。
「病院は治そうと努力するところです。何もしないでいいのなら、病院では預かれません」
 医師は、明らかに怒りを表して言ったそうだ。
 そういわれた義妹は、じゃあ私が看ようと思ったという。
「では連れて帰ります」
 と告げ、以来9年間働きながら、家で私の母の介護をしてくれた。

 薬も飲まさず、食事は、最期まで口から食べられた。
 朝食は義妹、昼食はヘルパーさんが食べさせてくれた。夕食は毎日早めに帰宅する弟が、一時間くらいかけて、話しかけながらゆっくり食べさせていた。
「僕も呑みながら一緒に食べるんだから、ちっともかまわないよ」
 私が感謝の言葉を口にすると、いつも笑いながら言った。
 97歳の生涯だったが、病院だったら、多分、こんなに(楽に)長生きは出来なかったと思う。
 しかし、介護をする時間と費用を、多くもっている家族は少ないと思う。

 高齢者は家で死にたいと思う人が大部分だろうが、連れ帰っても、配偶者も高齢なので、身体的に無理だ。仕事を持った子どもたちは、時間がない。必然的に病院、または高齢者施設に頼ることになる。
 ところが、テレビや、新聞などをみていると、高齢者を施設に預けないで、連れ帰ることが「立派な行為」だと言っている気がしてならない。家で介護をすることだけが、美談になってはいけないと思う。

 誰でもそうしたいし、してもらいたいが、できない環境の人もいるのだ。特に夜中に起きなければならない介護は、翌日の仕事に支障をもたらす。

 政府は、入院させると医療費がかかるので、家で看ることを一生懸命説得しているような気がする。実際、家庭にヘルパーや医師を派遣しても、本人が入院する方が何倍も費用が、かかるという。
 私自身は、子に迷惑をかけないように病院、施設などにお世話になろうと思うが、長生きすれば、これには莫大な費用がかかる。政府だけではなく、個人にもかかるのだ。
我々夫婦は同じ80代だ。そろそろ最期のことを考えなければいけないところに来た。
「延命処置はしないでほしい」
 と、口では言っているが、なかなか細かな書類を作れないでいる。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

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