元気100教室 エッセイ・オピニオン

ときの移りかわり = 吉田 年男

 ダックスフンドの愛犬レオが亡くなって二年が過ぎた。仏壇の隅に置いてあるレオの写真を見ていると、公園を一緒に散歩していた当時のころを思いだす。

 特に我が家に来た子供のときのレオとの散歩が印象に残っている。いまから15年前のことだ。散歩は、近くの蚕糸の森公園内を一周することであった。あずまや近くの水飲み場に立ち寄り、必ずそこで水を飲む。コースは、毎日ほぼ決まっていた。


 蚕糸の森公園は、小学校の校庭を含めて、約七千坪程度の公園なので、大きい方ではない。蚕の試験場跡地で、今から32年前にできた。園内には今でも何種類かの桑の木が、一か所にまとめて植えられている。
 そしてメモリアルとして大切に保存されている。

 ほかにも、スズカケの木、ヒマラヤ杉、銀杏などの大きなものと、桜、アジサイ、藤の木、百日紅、ツツジ、ハナミズキなど、季節の変化を感じさせてくれる木々も植えられている。花は早々に散ってしまったが、桜の木には小さな若草色の葉が元気よく芽吹いている。

 3月も下旬になると、毎年大がかりに行われている池の清掃や、恒例になっている小学校校庭でのイベント「蚕糸の森祭り」も終って、何となく今が一年を通じて公園内が一番落ち着いて見える。

 ワンちゃんの散歩は、糞の置き去りなどルールを守らない人たちが居たため、園内禁止になったことがあった。その後、ワンちゃんを連れて入れない場所が何か所かにできたが、それでも今は愛犬との散歩ができる貴重な公園の一つになっている。

 レオとの散歩は、子犬のときからで15年と永い。レオが亡くなって散歩は途絶えてしまったが、蚕糸の森公園には、日課にしている体操をするために、出来るだけ行くように心がけている。

 公園に来ているワンちゃんの種類は、ミニチュアダック、パピヨン、マルチーズ、ホメラニアンなどと多様で、レオと散歩していた当時といまでも変わっていない。ワンちゃんたちを見ていると、レオを思いだしてしまう。

 歩いている姿は、犬種に関係なく仕草が忠実で、みていて微笑ましい。なかでも私は、生まれて間もない子イヌに出会うと、その可愛らしさに思わずみとれて立ち止まってしまう。

 ワンちゃんによっては初対面のとき、散歩中に激しく喧嘩をしてしまうことがある。どうなるものかと心配しながら見ていると、お互い匂いの確認が済むと自然と仲良く収まってしまう。

 一方、飼い主たちは、初対面であっても連れのワンちゃんを介して、大抵の場合、その場ですぐに仲良くなってしまうから不思議だ。いわゆる「犬友」の仲間意識なのか? 顔見知りのご近所さんの時はもちろんのこと、自転車の前籠に愛犬を乗せて、遠方から散歩に来ている人であっても、すぐに犬友として仲良しになってしまう。

 レオとの散歩を思い出しながら、ひとりで公園内を歩いてみた。木々は、季節の変化に合わせて臨機応変に容姿を変えて、周囲とうまく調和をとりながら、たくましく生きているように見えた。その様子は、池やあずまやなどの無機質な佇まいと同じように、一見レオと散歩をしていたころと変わったとは思えない。

 そんな中で、明らかに大きく変わったとおもったのは、ワンちゃんと一緒に歩いている飼い主(犬友メンバー)たちの顔ぶれだった。彼らを見ていたら、否が応でも大きな時の移ろいを感じずにはいられなかった。


         イラスト:Googleイラスト・フリーより

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