A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

旅は道づれ  金田 絢子

 平成6年の「ポルトガルとスペインの古都を訪ねる12日間」のツアーは、たのしかった。メンバーが全員で九人きりなのもいい。その上、添乗員を含めて、いい人ばかりだった。

  かれこれ20数年前のポルトガルは、いにしえの面影がのこり、ひなびていて土の匂いがした。くずれかけた石の坂みちを若い男女が、すれちがいながら短いキスを交わした。すぐ上と下とに別れた、束の間のラブシーンは、カッコよかった。

 道ゆく大学生はみな、エリートの顔である。古い歴史をもつ、コインブラ大学のオレンジ色のやねが目に浮ぶ。


 コインブラから、中世以来の巡礼の聖地、サンチャゴ・デ・コンポステラへ向う。大聖堂の前には、白っぽい大きな地面がひろがり、老若男女が、列をなしていた。大勢なのに騒がしくない。私も何だか、しんとした気持ちになった。

 飛行機に1時間乗って、マドリード、パルマ・デ・マヨルカへ。

    地底湖にショパンホフマン聴きし日よ
    辛き水さえめぐしマヨルカ

 この詩歌がごく自然に創作できた。
                                     
 バルセロナ郊外のモンセラート(のこぎり山)観光もよかった。ふもとの僧院から賛美歌が流れ、崖には、おだまきが咲いていた。

 旅のおしまいは、地中海に面する港町、バルセロナである。バルセロナは、ガウディ・オンパレードで飽きてしまった。私だけの感想だろうが、グエル公園なんかちっともいいと思わなかった。

 いよいよスペインともお別れの一夜、「サヨナラ・ディナー」の席で、夫とツアー仲間のヒロイン、中里さんがカンツォーネをうたった。

 中里さんは、仲良しの吉村夫妻と三人で、仙台からやってきていた。
 われら九人の年齢は、私が上から五番目、中里さんは下から二番目といったところ。子供はない。ご主人と店をやっている。何の店かは聞きおとしたが、吉村さんの奥さんが私に、
「(お店は)この人でもってるのよ」
 と中里さんを指して言った。


 日本に帰ってから、旅行中の写真を送った。中里さんからの返事は、彼女らしさにあふれていた。行をはみだすほどの颯爽とした文字で、
「杜の都仙台の五月は緑いっぱいで、とても気持ちのいい毎日です。昨晩も吉村洋子さんと、今度は何処にしようかと、モチロン、ビールを飲みながら、旅の話題でもり上がりました。(中略)ご立派なご主人とでうらやましかったです。お元気で」
 私の方こそ、輝いている中里さんがうらやましかった。

 バスの運転手さんとも、すぐ仲良しになる、中里さんの人柄は天性のものにちがいない。年上の私の他愛ない打ち明け話も「ふん、ふん」と膝をのりだして聞いてくれる。明るくて、歌がうまくてあねご肌の、こんな人に生まれたかったとつくづく思う。

 3.11のとき、仙台に電話をした。停電などはあったが、大事には至らなかったと知り、ほっとした。

 吉村さんの年賀状にはいつも「仙台に遊びにきて下さい」と書いてある。長の年月、夫と二人で「仙台にいきたいね」と話していたのに。果たせないうちに二年半前、夫にガンが見つかった。それと前後して吉村さんは亡くなった。

 先日、久しぶりにアルバムをひらいた。おひるどき、サンチャゴのレストランで、吉村さんが撮ってくれた一枚に、胸がつまった。

 私の向いに中里さんがいる。夫も私のとなりのオジサマも、あふれんばかりの笑顔である。サンルームのような部屋だったっけ、と写真をみて思い出した。
 私の小さいノートに、この日のメモがのこっている。
「ひる。レストランで9人+1人。散々食べて飲んで笑って。中里さんのま上に太陽。3時半おひらき」
とにもかくにも、ポルトガル、スペインはさて置き、行ったことも見たこともない仙台が懐かしい。


       イラスト:Googleイラスト・フリーより

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