A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

炎のない生活 遠矢 慶子       

“ウー・ウー、カンカンカン” 消防自動車が、大きな音を残すように走り去った。

 冬は火事が多い季節だ。
 日本全国の火災発生は、一日に百件もあるというのには驚く。最近の火事は死者がでるという痛ましい現状が多い。

 昔から「地震、雷、火事、ドロボー」と、恐れられてきた。
 地震は確かに恐ろしく、火山国日本にとって、未だに予知が出来ず防御できない天災だ。
 雷は、避雷針が進歩し、被害もほとんどなくなってきている。
 一方、火事は一世紀前の紙と木の日本家屋から、不燃の建築材、鉄筋コンクリートとなり、大火になることが減ってきている。

 都市の不燃化推進と共に、今は一戸建ても、マンションも火災報知器設置が義務づけられ、火災発見が早くなった。
 私の住むマンションでも、数えてみると火災報知器が十二個付いている。
 ある日、ファンをつけずにお蕎麦を茹でていたら、いきなりすごい音で火災報知器が鳴り響き、管理人が飛んできて驚いたことがある。

 火事の原因は、たばこ、コンロ、焚火が三位を占めていたのが、健康のため煙草を吸う人が激減している。

 子供のころ、門前と庭の落ち葉掃きを毎日、母がしていた。たまに手伝うと、サツマイモを焚火に入れて焼いてくれ、ほかほかの焼き芋が食べられるのが楽しみで、せっせと枯れ葉を運んだことがあった。
 今は、焚火も禁止されている。


 もう十年以上前から、我が家はキッチンのガスをやめて、電機のIHにした。
 炎のない生活にして、一番困ったことは、海苔をやけないことだ。
 平海苔を二枚重ねて、ガスの上で、ゆっくり四、五回はくようにすると、プーンと海苔の香りが広がり、「ぱりっ」とした海苔が焼けた。今は海苔は焼き海苔を買ってくる。

 暖房も床暖房になり、炎にふれる機会が無くなってしまった。

 火事を恐れ、炎の生活になりつつも、日本には昔から火を焚いて、神を祀る伝統の祭儀が多い。火は人間にとって文明を与え、生命を象徴するものとして信仰されてきている。
 新しい年に、始まるどんど焼きは、全国に広く行われ、一月の風物誌として子供たちにも喜ばれている。

 神社を中心とした火祭りも、各地に伝統を重んじて行われている。
 富士のふもとの「吉田の火祭り」出羽三山の「松例祭」、京都くらまの「火祭り」と、どこも人気で人が集まる。
 神と心霊との交信を果たすものとして重要視されている。

 そう言えば、私の情熱の炎もいつから消えているのだろう。もう一度情熱の炎をもやしたいものだ。
もう、火事になることもあるまい。


      イラスト:Googleイラスト・フリーより

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