A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

好みの陶器  廣川 登志男

 今年の正月、玄関の三和土(たたき)にある下駄箱の上に、干支のお戌(いぬ)様の置物がなかった。6年ほど前から、その年の干支の置物を飾ることにしているのだが、お戌さまは、まだ持っていなかった。

 正月も終わりに近い頃、
「ゲン担ぎかも知れないが、そろそろ近場の笠間か益子の窯元に行って干支の手ごろな陶器を探そうや」
 と、妻と話していた。
 そんな中、新聞に『大陶器市』なる広告があった。
 場所は千葉県の日本ハムファイターズ鎌ケ谷スタジアムの特設会場。2月3日から16日まで開催されるとあったので、さっそく初日の3日土曜日に出かけた。

 渋滞もあって、会場に着いたのは、開場時間の10時を20分ほど過ぎたころだった。開場直後にもかかわらず、第一駐車場は満杯。少し離れた駐車場に車を置き、会場まで歩いた。
 特設会場は、仮設テントを繋げたもので、さほど大きくは見えなかったが、中に入ると結構広い。それに多くのお客で賑わっていた。

 全国の有名どころの陶器が、ところ狭しとぎっしり並んでいる。有田・伊万里・九谷、それに、私の好きな美濃・志野・信楽・瀬戸などがある。
 高価なものは数十万円。安いものは一個2、300円で、手ごろなものも並んでいる。全部を見終えるのに、2時間半ほどかかった。

 私たちは、まず干支の「戌の陶器」を探した。しかし、残念なことにそこにはなかった。干支にまつわるものは、年の変わる年末に出るようだ。
 次に、湯飲みとしても使える、素焼きで模様のない単純な形の「蕎麦猪口」を探した。


 現職時代、私が会社で使っていたお茶碗を、女性事務員が、新しいお茶に入れ替えようとして割ってしまった。恐る恐る私の所に謝りに来た。
 後日、代わりの茶碗を持ってきてくれた。茶色の薄造りで、手触りが何とも言えない素焼きのものだった。大きさもしっくりと手になじむ。
 その事務員は、私の秘書の役割もする、気立ての良い可愛い女性だった。それもあって、長いこと愛用していた。

 しかし、その後の転勤間もない職場で、私はうっかりそれを割ってしまった。
 仕方なくその後は、普通の湯呑み茶碗を使っていたが、割った蕎麦猪口を忘れられず、陶器店や窯元に行くたびに、同じようなものを探していた。

 今回も、その素焼きの蕎麦猪口を探した。目についたものは、ほとんどが、波模様が入っていたり、肉厚だったり、釉薬をたっぷりかけてすべすべだったりで、幻滅してしまった。

 蕎麦猪口も良いのが見つからなかったので、今度は、お酒を美味しくいただける「ぐい吞み」を探し回った。
 お気に入りのぐい吞みとは、何といっても、わが手のひらにしっくりと収まる大きさで、粗削りのゴツゴツ感のあるものだ。
 現役時代、二次会のあと、いつも一人で立ち寄った、馴染みのスナックでのぐい吞みがそれだった。ママが私のために探し求めてくれたものだ。残念ながら、そこはすでに閉まっている。

 5年ほど前に、陶器の中でも私の好きな、美濃・信楽・志野を見に、岐阜・滋賀を旅行した。そのとき、好みのぐい吞みを8つほど求めた。
 美濃焼の一種の黄瀬戸は、肉厚で釉薬をしっかりかけたものだ。ゴツゴツ感はないが、手にしっくりとなじむ。鼠志野も同様だった。
 これらも酒を美味しくしてくれるが、特に気に入っていたのは、織部と伊賀、それに信楽のものだ。薄く塗った釉薬とゴツゴツ感のお陰か、手にしっくりとなじむ。

 最近は、錫製チロリでつけたヌル燗をこれらでチビチビやるのがたまらない。そして、その都度スナックママを思い出す。
 好みの陶器には、それを愛用した時代の、素晴らしい思い出が隠されている。素焼きの蕎麦猪口、ゴツゴツ感のあるぐい吞み。どれもその通りだった。


 次は、陶器ではないが、透き通ったウィスキーグラスを探してやろう。底が、丸く厚い形状をしているが、決して転倒しないグラスだ。ストレートかロックで、好きなシングルモルトの「ボウ・モア」を飲もう。

 このグラスは、茅場町にある、入り口がくぐり戸のバーで、私専用に使わせていただいた。他にお客がいないとき、妙齢のママとしっとりと飲んでいた。

  イラスト:Googleイラスト・フリーより

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