A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

思いがけない発見! = 廣川 登志男

 5年前の夏、「御府内八十八ヵ所めぐり」をした。会社を卒業したてで巡礼などをしたいと思っていた時だ。四国八十八ヵ所は少し遠すぎる。ならばと、近場の「府内」、これは都内中心部になるが、その八十八ヵ所巡礼に出かけた。

 巡ったお寺さんそのものも興味深かったが、途中での「へー。こんなところがあったんだ」と、名前だけは聞いていたが、実際には行ったことのない神社仏閣や史跡、それに美味しそうなお店など、多くの発見に驚かされ、見聞を広めることができたのは収穫だった。
 というのも、巡礼のほとんどを歩いてまわったので、いろいろなことに出会えたのだと思う。一日にだいたい八時間、延べ十一日ほども歩き回ったのだ。


「街歩きも結構面白い」と、その後もいろいろな街や史跡めぐりに興じた。
 昨年の春には、何度目かの皇居散策に出かけた。東京駅を出て、駅中央の御幸通りから皇居に向かった。
 和田倉噴水公園の素晴らしい噴水を右に見て、内堀通りに差し掛かる。目の前には桔梗濠(ききょうぼり)があり、奥に巽櫓(たつみやぐら)が二つに重なった白壁を陽光に映えらせて、美しい姿を見せてくれる。

 皇居というところは、松の緑に、重層な石垣、白壁と瓦屋根の櫓、それに濠の水面などが、我々を楽しませてくれる。ときには、大きく枝を広げたソメイヨシノが、淡いピンクの花吹雪を、石垣と濠の水面を借景に、えも言われぬ日本的な風情で見せてくれる。


 通りを渡り、巽橋の写真を撮ろうと、濠の角に歩いていくと、石畳の一角に何やら花を刻んだ石板がある。五十センチ四方くらいで、何だろうと覗くと「宮城県 みやぎのはぎ」と刻んである。
 どうも県花のようだ。勿論、写真を一枚。元々、皇居を一周しようと来たので、そこから北にある大手門に向かって歩いた。ちょうど百メートルほど歩いたところに、また一枚の石板がある。
「秋田県、ふきのとう」とある。
 続いて山形県、福島県と続く。私の一歩は、およそ85センチ。なので百十八歩で百メートル。歩きながらそれぞれの石板の間隔を調べると、ほぼ百二十歩前後だったので大体百メートル間隔で設置されているようだ。

 それにしても、皇居には何回か来ていたが、こんな石板が埋め込まれていたのかと驚いてしまった。いつ頃できたのだろうかと疑問に思っていたら、一周ぐるりの最後のころ、二重橋前の信号付近で、県花の石板とは違うのがあった。
 2枚あり、両方とも桜の花柄で、「花の輪 平成五年」とある。今から二十数年前に作られたのだろうか。

 少し手前の桜田門近くに大分県と宮崎県の石板があるが、その中間に、「花の輪 案内」の石板があった。
 なるほど、四十七都道府県すべての県花が石板として設置されている。加えて、先ほどの「花の輪 平成五年」の2枚と、もう1枚「千代田区 さくら」の石板が途中にあったので、計50枚の石板が設置されている。間隔がおよそ100メートルなので、ぐるり一周はおよそ5キロになる。

 確か、皇居ランナーのブログに一周約5キロと記載されていたから、間違いなさそうだ。
ふと、平成5年当時に思いを巡らせてみた。


 この石板設置についてはいろいろな経緯があったのだろう。皇居周りのことだから皇族の方々が知らぬことはないと思うが、この企画を天皇に奏上された方々のご苦労は大変なものだったのではあるまいか。

 東御苑には県木が植えられている。この県花の石板も、国民の象徴としての天皇がお住まいになる皇居には、ふさわしいもののように思えてならない。
 そうか、ひょっとすると天皇ご自身が発案されたのかもしれない。想いをめぐらすと、あれやこれやと興味が湧いてくる。
 歩き始めた矢先で見つけた石板のおかげで、思いがけない発見があった。健康なうちに、街あるきを楽しもう。
 
                    イラスト:Googleイラスト・フリーより 

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