ころんだ話 = 金田 絢子
それは、1月23日(平成29年)のことだった。二つの動作を一どきにするのは危険だとわかっていながら、いけないと思う間もなく私はころんだ。
バスが来かかっていた。停留所まではまだ少しある。
「いや、やめよう。次のを待てばいいんだ」と頭のはしで思ったのに、足は動くのをやめなかった。生憎ゴミの日で、歩道にはいくつかビニール袋が置かれてあった。
私と同年輩の人がかけよってきた。
「大丈夫?私もこのごろよく転ぶわ」
と慰めるように言った。
実はゴミの袋にぶつかったのか、どうかあやふやだったが、
「これがね。足に引っかかったの」
と道端のゴミ袋を指して、言訳につかった。
これまでにも何度となく転んでいるが、顔に怪我をしたのは初めてである。ショックだった。家から歩いて、3、4分の所だったので、走って戻った。
眉と眉のあいだから鼻のあたま、鼻の下にかけて、いくつもお焦げのかけらのような傷がついた。
私はすっかり気が滅入り、「果物もあるし、お肉もあるから今日買物にいかなくても、何とかなるわ」と確かめた上で、籠ることにした。
傷だらけの顔を見て、大きい孫がかわいそうがって、アイスクリームを買ってきてくれた。傷薬も手持ちのを出してきてくれた。
たかが顔の傷で、自分がこんなにも悄気たことが、よく言えば、新鮮だった。だが、腫れもしなかったし、まるで痛みもなかったのは不思議である。
一日で神さまが、傷を治してくれるはずもなく、翌日からマスクをかけて外出した。マスクのゴムが耳に痛かったが、皺がおでこだけに限られてみると、いつもより二つは若く見える、嬉しい発見もあった。
鼻のあたまの傷は、日を追って目立たなくなったが、眉の間と鼻の右下は、はっきりのこっている。ずっと治らないかもしれない。心配である。
2月20日に紀尾井ホールで、モーツアルトのシンフォニー39番と、ミサ曲「ハ短調」が演奏される音楽会があった。ミサ曲の合唱に、長女が出演した。
当日、娘はひと足早く家を出たが、一度閉めかけたドアをあけて、
「ちゃんとファンデーションを塗ってきてね」
と私に命令した。ぐっと厚ぬりして、一緒に行く三女にも見てもらった。あとになって、
「(傷あとが)全然わからなかったわ」
長女が合格点をくれた。
あれから転んでいない。たしかに用心深く、ゆっくり歩くようになったと思う。天は私に、軽い転倒を通して「転ばぬ先の杖」の教訓を、気づかせてくれたのにちがいない。
イラスト:Googleイラスト・フリーより