かつしかPPクラブ

遥かなる貴金属宝飾加工 (中) =  郡山利行

 【 4.作業場にて  プラチナと金の加工  】


作業台は、独自に考案した、上下2段の幅広い引き出しがある。上段では金を、下段ではプラチナを加工する。


 作業台上部の中央には、ホウノキ製のスリ板が設置してある。 
 この板の先端が、貴金属加工での手作業・指先作業の加工場所となる。

 なぜホウノキなのですか。
「 この木は、やすりでこすった時に、ささくれず粉になるからです」
  と、即座に教えてくれた。

『 貴金属加工の、手作業一つひとつの基本動作は、緻密です。作品の細かい部品まで、すべて手作業で作っています。何年間という努力の最中に、ある日突然、新たな技術にふと気付くものです。 身体で会得した技術は、衰えることはありません。』

真っ先に実演してみせてくれたのは、金地金の削り粉に、ホウノキの削りくずや、鉄くず(やすり本体の削りくずや、欠けた糸ノコの刃など)が混ざったものから、これらを除去する作業だった。


 ブラシでかき集め、バーナーの火を当てると、ホウノキの削りくずは、パチパチと燃えた。 

 金は磁石に付かないので、この作業を繰り返すと、鉄くずなどは除去される。

「金粉は、後で溶かして使うので、不純物が残らないように、金の純度を損なわないように、とことん納得できるまでやります。」

個人経営の職人として、こだわりの典型のような作業ですね。


(1) 指輪のリング部分 (プラチナ)


「プラチナの加工を、少しやってみましょう」  1個の指輪の素材を、たたいて伸ばして、バーナーで熱して、またしてもたたいて伸ばすことだった。


 たたいて伸ばしながら、リングの太さと、半円形の断面になるように、やすりで削る作業を、繰り返した。

 そして、指輪の円形になるように、鉛台座で、たたいて少しずつ曲げられ、リング加工の一部分だけの、作業が進められた。


 リングの先端を糸ノコギリで切断して、半円形断面になっていることを確認してから、プラチナの表面のやすり掛けに進んだ。

 ホウノキ製スリ板先端での、作業である。


 半円形リングの一部を、何種類ものやすりで、プラチナの表面を削るというよりも、研ぐ作業だった。 終盤は、まさに磨く作業になり、石戸さんは、表面の光沢の変化を、「ほら、ほら」 と、見せてくれた。

「やすりの作業がね、この仕事の腕の良し悪しの、ほとんどなんですよ」
 と言ってから、
「私はね、完成したら見えなくなる所まで、磨きをかけます」
  とさらりと語った。

遥かなる貴金属宝飾加工 (下) =  郡山利行

(2) ミニミニ ペンダント (金)

K18の金の薄い板に、0.6mmの穴を、小型の専用ドリルであける。 これからが金の加工実演の始まりだった。
「せっかく穴をあけたから、糸ノコギリを使ってみるかな 」
と、極細の刃をセットして、
「このサイズの刃を、自在に使える職人は、ほとんどいないですよ 」
と、さりげない言葉だった。

 ひらがなで、一筆書きの字を一つ言ってください。 ≪と≫を、お願いしますと、筆者は要望してみた。

 金やプラチナを切り刻む、この糸ノコギリ技術は、石戸さんの得意技の一つでもある。

 糸ノコギリで、≪と≫ という字を切り抜くと、その金板を即興のデザインで、ひょうたん型に仕上げた。

そして、ひとしきり研磨作業を行った後に、直径2mmのリングを取り付けた。

 電気仮ロウ付け機で、金の小片に金の円形リングを、仮付けする。

 写真左上の黒い円形のものは、石戸さんの右目に装着された、接眼レンズである。

 仮付けされた円形リングは、そのあと加熱によりロウ付けされ、一体となった。
 
 そして超音波洗浄のあと、研磨されて、ピカピカになった。

 この日の実演で、石戸さんが、貴金属加工してくれた製品である。

① プラチナ指輪の、半円形断面 リングの、ほんの一部分。

② 金板に金のリングを取り付ける、ロウ付けという技術。

③ 長さ7mm、幅4mm、厚さ0.5mmの、ひょうたん型 ミニミニペンダント。

重さ0.2g、裏面にはK18の刻印が打たれた。


 貴金属宝飾加工の作業取材は、プラチナと金を、たたいて伸ばして曲げて、切断して削って接合して、仕上げは執念で磨き上げる。 今回は作業全体の、ほんのさわりだけらしいが、それでも6時間かけての実演だった。

ハイグレード商品として、お客さんに納品する作品は、はるかに時間を要するという。

【 6.編集後記 】

 石戸暉久さんを取材した、平成28年8月4日の午後は、猛暑だった。 作業場は自宅の2階にあるが、貴金属加工でたびたび使うバーナーの炎は、空気の動きで揺れると、温度が変わるので、微妙な場面では、石戸さんはエアコンの電源を切った。

「取材とはいえ、基本的な作業を続けていくうちに、次第に熱が入ってきましたよ」
 と、喜んでくれた。

 その結果が、6時間飲まず食わずの、ひと時だった。

 過去数十年間の、作品群の写真を見せていただきながら、痛感した。 貴金属宝飾加工という、あまりにも特殊な緻密で高度な技術は、予想を超えた遥かな世界であることを。

 その腕にかなう職人がいないという、石戸さん、会得した技術を、衰えさせないで欲しい。


 東四つ木地区関連の活動でお忙しい中、取材ご協力、ありがとうございました。

蜂に魅せられて = 田代 真智子

 まえがき

 京成押上線の四ツ木駅から歩いて7~8分のところに「はちみつ」の、のぼりが出ている建物があります。
 以前から自家製のはちみつを売っていて、はちみつ好きの私は、何度か買ったことがあります。
 時々見かけるご主人が、養蜂しているようだが、いったい屋上は、どうなっているのか、養蜂とは、どんなものなのか、どのように工夫してはちみつをつくっているのだろうか、どんな花が屋上にあるのだろうか、と好奇心をそそられていました。

 今回、テーマ「極める」はこれだと思い、勇気を出して取材を依頼しました。


 養蜂箱の上の段を取り出し、蜜蜂の様子を見せてくれているところ

      (取材・撮影2016年7月26日)


❽ 不思議な空間 ❽

 東四つ木は、古くから町工場が多く、準工業地帯です。特に緑が多いわけでもなく、商店街も店舗が減り、寂れて行きつつあり、華やかなイメージはありません。四ツ木駅から渋江商店街を通り抜け、しばらく行くと左側に目指す建物があります。

 梅雨明け前の曇り空の朝、心躍らせ、インターホンを押しました。
 さっそく案内していただいた建物の屋上では、そこには、10数個の養蜂箱が並んでいました。さらに音楽が流れていました。いつも『ラジオFMかつしか』をかけ、蜂たちに聞かせているという、なんともあたたかい思い付きでしょう。

 本業である印刷業の仕事場は、大きな機械が並んでいました。屋上への階段をあがると、蜂蜜を作る遠心分離器と採蜜のための道具がところ狭し、と並んでいます。棚の上には、キンカンも。
「刺されたら痛いよ。刺された時は、キンカン塗って終わり。もう慣れたよ」
 と腕をポンと叩く鎌田さんの笑顔は、なんとも幸せそうです。

 鎌田等さんは、昭和17年にこの地に生まれ、経営していた会社を息子さんに任せた後、趣味で養蜂を始めたのです。
「ボケ防止の趣味で養蜂している」
 と話してくれました。
 期待していた屋上には花園は無く、一角にまとめられたトマトの苗木や鉢植えがいくつかおいてあるだけです。いったい蜂は、どこから何の花の蜜を運んでくるのか聞いてみると
「百花(ひゃっか)」
 とユーモラスな答えが返ってきました。
 蜂は、3~4キロ飛んでいき、公園や玄関先の花に受粉して、花々を咲かせています。ここ周辺にも結構いろいろな果樹もあるのです。
 すぐ近くの渋江小学校や、前の児童遊園、コミュニティー通りなど、考えてみれば、一年を通してたくさんの花がこの近くで咲いています。


❽ すべて自分で ❽

  20~30年前に社会党本部で蜂を飼っている話を聞いたことがあり、興味を持っていましたが、きっかけは、ゴルフで那須に出かけた帰り道に蜂蜜屋さんに寄ったことでした。養蜂のやり方を本で学べることを知り、養蜂具店で西洋蜜蜂の道具を蜂とともに買い求め、独学で養蜂を始めたのだそうです。最初は、ニホンミツバチを飼いたかったが、野生で飼育が難しく諦めました。
 とは、言ってもセイヨウミツバチの養蜂が簡単な訳ではありません。失敗する人も多く、都内でも養蜂をしている人はいるけれど、実際の養蜂は、都会から離れたところでやっています。
 こうして鎌田さんのように都内の建物の屋上で養蜂に成功したのはめずらしいことなのです。

 巣箱を花のあるところまで運ぶ『移動養蜂』に対して鎌田さんのように一定の場所に巣箱を置いて採取することを『定置養蜂』と言います。
 巣箱は、白く塗り太陽熱の吸収を防ぎ、日中の屋上は高温になるので、養蜂箱をじかに置くことを避けて、酒屋さんからもらったビールケースの上に置かれています。こうしておくのは、通気性もよく湿気を防ぎ、病気にもなりにくいからです。
 採蜜の時期以外は、毎日様子を見に来る程度だが、採蜜から蜂蜜の製品化まですべて、自分でやっています。
 鎌田さんの手で可愛い容器に詰められた蜂蜜は『H.K.HONEY』となって売られていくのです。


❽ 蜂の習性 ❽

 蜂は、とても働き者で綺麗好き、巣箱の中は、きれいなのです。

 蜂の寿命は、1カ月位でひとつの巣箱に2~3万匹いる蜂は、死んでしまうと、仲間が葬ります。
 取材中にも死んだ仲間を運ぶ蜂が飛んで行きました。
 鎌田さんは、巣箱の周りに落ちている死骸を掃除の時に集め、街路樹の元に撒いて肥料にしています。

 巣箱の周りに、コガネムシが飛んでくると、蜂は集団で襲撃して退治するというのも面白い習性です。取材中に一匹のコガネムシがやってきましたが、残念ながら襲撃の現場を見ることはできませんでした。
 養蜂は、蜜のにおいでやってくる鳥やスズメバチ、とんぼなどの外敵から守る苦労もあります。蜂は、敵がくると入り口をふさいで侵入を防ぎます。

 ひとつの養蜂箱に女王蜂が、2匹になると、分蜂(ぶんぽう)と言って新しい巣を作るために集団で引っ越しをします。
 分蜂は、社会性昆虫にとって群れを増やす方法として重要な役割となる習性なのです。


❽ 特徴と利用法 ❽

 ハチミツは美味しいだけではありません。その特徴や利用法は、いろいろです。

 例えば、砂糖よりカロリーが低いことなどが、鎌田さんの作ったかわいいパンフレットに紹介されています。
「豆腐にハチミツもおいしいよ。コーヒーや紅茶に入れても良いし、歯磨きにも良い。いただいた緑茶を粉にして、ハチミツとヨーグルトを混ぜて食べても美味しい」
 と色々な食べ方や利用法を教えてくれました。

 蜜ろうからは、『ハンドクリーム』『リップクリーム』ができます。蜜ろうは、ミツバチの体から分泌されるロウ(ワックス)で、花粉と混ぜ合わせて巣を作ります。巣蜜であれば食べることもできます。
「養蜂は、ボケ防止でやっている」
 と話す鎌田さんですが、独学で養蜂を成功させ、仲間と情報を交換し交流をしています。
 この屋上には、たくさんの工夫と努力があり、何よりも蜂たちへの愛情があふれていました。


あとがき

 屋外で黄色やオレンジ色を着ていると、小さな虫がよってきます。私は、そんな経験から明るい色を避け、黒いTシャツを着て行ってしまいました。
 当日、蜂は、黒をこわがる話を聞いて刺されたらどうしようと、内心ハラハラドキドキでしたが、見ているうちに蜂が可愛く見えてきました。そんな気持ちを察してくれたのか、そばに行っても攻撃されませんでした。私を外敵とは思われなかったようです。
 それともいつも食べている大好きな蜂蜜のにおいがしたのでしょうか。蜂は、怖いものではなく、果樹に花を咲かせ、おいしいハチミツを生む働き者でした。

 鎌田さんのハチミツ『H.K.HONEY』は、TVでも放映され、取材の依頼も多くあるようです。お忙しい中、快く取材に応じていただき、ありがとうございました。

極めては、レイアウト = 馬塚志保子

6月14日、午前10時から金町駅南口の花壇の、植替えが行われた。
「フラワーキープの会」が葛飾区から花苗の支援を受けて、女性3人で管理している


土に腐葉土を混ぜる 2016.6.14



植え付けを待つ花苗たち 2016.6.14


朝一番で花苗が届いた。
花壇は数日前に整地されている。 
きのう一日降り続いた雨が上がって、一変、今日は真夏の暑さである。

リーダーの引地(ヒキチ)詔子(アキコ)さん(72歳)が花を配置した。それが終わると、大量の苗をひたすら植え付けていく。膝を痛めている引地さんは、しゃがむことができない。中腰の姿勢でずっと作業しているのだ。
「きれいだねえ」「ごくろうさん」
「いつもありがとう」
行き交う人々が、次々と声をかけていく。



中には立ち止まって見物したり、「我が家のガーデニング」の相談など、まるでイベント会場の実演現場のようだ。
「いつも、きれいな花を見せてもらっています」と言って、向かいのお蕎麦屋さんの女性(ひと)が、冷たいお茶を差し入れてくれた。

「みんな見てくれているんですね」
「だから、手を抜けないんですよ。ここは駅前なので、常に通行人に見られているでしょ。毎日、水やりと花がらを摘んでいます。撒水は通りを挟んだ、70m先の水道から、4ℓ入れのペットボトルで、一度に7本を自転車に積んで、3、4回運びます。私の当番の日は、朝5時に来て始めます」
「煙草の吸殻やジュース缶の、ポイ捨てはどうですか」
「吸殻はあります。でも、缶や瓶はありません。大勢の人が見てるからねぇ」


植え付けたばかりとは思えないような、出来栄えだ(写真上)。

「正面のペットボトルが気になるなあ~」と、
引地さんは、むき出しになっているボトルを、
二つのコンテナ花壇で挟んで隠した。
「大きなボトルだ」
「主人が飲んだ焼酎の空ボトルですよ」と言って、引地さんは豪快に笑った。二か所の花壇の作業が終わったのは、午後2時30分であった。

「いいねぇ」顔なじみのパトロール隊の二人が見に来た。
ここは、地域の人たちからも、こうして見守られているのである。


写真左から、フラワーキープの会の引地さん(リーダー)鹿嶋さん(後右)
樋口さん(前左)

前右の須藤さんは植え替えの時に、応援に駆け付けている。

今日は4人で作業した。


後日、水元公園グリーンプラザを尋ねて、引地さんを取材した。
「花壇の作業は“きれいだね”って、みんなに喜ばれることが一番うれしい」と、引地さんの笑顔が素敵だ。
「金町駅前の花壇は、いつからありましたか」
「最初はロータリーができた時点で、町会の牛乳屋さんが立ち上げました。フェンスも屋根もできていない頃です。その後、一度たちぎれて、5年前に区から頼まれて、私が一人で花壇を作り始めました。
困ったのは水。最初は交番で、お巡りさんが水道から汲んでくれました。
 次は公衆トイレからです。手洗用の水道は汲みにくいので、鍵を預かって、掃除用の太い蛇口を使わせてもらいました。
 ある時、緑化推進協力員として表彰された折に、区長との話の中で、

“私も花が大好きですよ。水のことは何とかしましょう”

 青木区長さんが《すぐやる課》に連絡してくれました。しばらくすると、今の場所に水道が引かれました。うれしかったです」と話した。

引地さんは12年前から、グリーンプラザ友の会で活動し、昨年までの10年間は、副会長(会員43名)を務めた。
8年前から緑化推進協力員を務め、各種研修会に参加している。千葉大の渡辺先生の授業では、
「緑と花のいこいガーデン」の花壇のひとつに、受講生が
実際にレイアウトに臨んだ。採用されたのは、
「なんと、元ふとん屋さんによる“布団の柄”でした。
四隅を仕切った“こういう曲線”は、私の発想にはありませんでした」と言って、机の上にその線を指で描いて熱く語った。
「レイアウトが大事」。
この人が、いつもきれいな駅前の花壇を、デザインしているのである。

                                                                                   【了】

西南戦争の激戦地・田原坂を訪ねる = 浦沢誠

 鹿児島で2泊し、地元の有志の方々と親睦を深めた。2016年7月21の早朝、郡山邸を発ち、田原坂(熊本県)に出むいた。

 伊集院駅から、各駅停車、新幹線で熊本、さらに各駅停車に乗り継ぎながら植木駅で下車した。

 

 植木駅前からタクシーに乗った。運転手には、多少は遠回りしてもいいから、激戦地を案内してほしい、と依頼した。
 植木の周辺はほとんど激戦地だった。一の坂、二の坂、三の坂の地形の説明を受けた。
「道幅が狭く、薩摩軍が待ち伏せし、大砲を運ぶ政府軍に襲いかかった」

 越すに越されぬ田原坂とは、政府軍の歌だった。

 その実、蜂起した薩摩軍が熊本まで来て、田原坂が越えられず、敗戦になったのかと思っていた。

 西南戦争(1877年)とは何か。

『旧薩摩藩士を中心とする士族が、明治新政府の専制的な政治に反対して起こした、国内最後の内戦で、明治維新の総仕上げであった』

 訪ねた熊本市田原坂西南戦争資料館では、そのように表示されていた。

 

 一般には、兵士の軍服の差、装備の差が勝敗を決したと言われているが、当時は国内に通信網が張り巡らされている最中で、熊本と東京は通信回線があった。兵士、弾薬の追加補充の連絡が即日にできた。

 情報の差が、政府軍と薩摩軍の差になった。

 現代の情報戦争の走りかも知れない。


 同館は昨年11月にリニュアルオープンした。

 銃弾の飛来音、砲弾が着弾した振動など、激しい戦いの体験・体感ができるジオラマ(広さ25平方メートル)がある。

 

わがクラブ員たちが真夏の鹿児島へ、景勝地紹介=郡山利行

 鹿児島の梅雨が明けた翌日の7月19日に、かつしかPPクラブ員が羽田から鹿児島空港、そしてリムジンバスで鹿児島中央駅に着いた。
 まず城山(しろやま)展望台へむかう。

「あの桜島に行ってみたい」と、東京からの遠来者たちは、言葉をはずませた。

かつしかPPクラブ会長の浦沢さんが、錦江湾に停泊中の海上自衛隊・潜水艦を発見して、望遠レンズ撮影していた。
「前後の甲板に何人かの隊員が見えるけど、釣りでもしてるのかなあ」

 写真の上では小粒すぎて確認できずでした。


 桜島黒神地区の腹五社神社の鳥居は、大正3(1914)年大噴火の火山灰で埋没した。
 
 当時の村長の『災害を後世に残そう』との英断で、今日も見ることができる。

 鹿児島市から見た、桜島の反対側、黒神地区である。火口からの火山灰の堆積が珍しくて、黒い灰をさわってみた。現在の火口は、写真後方の左端にある。

 2016年7月19日午後1時ごろ、噴火の場面を見ることはできなかった。


  フェリーで鹿児島市へ戻る。 桜島のこの穏やかな
  姿を、ほとんどの鹿児島県人はこよなく愛している。



 7月20日昼ごろ、鹿児島県日置市の吹上浜海岸に出むく。かつしかPPクラブ員郡山の、 生まれ故郷の砂浜である。

 自家から徒歩5分の近い距離である。



 かつて、伊能忠敬がこの地に立って、『けだし天下の絶景かな』と称賛したといわれている、鹿児島県南さつま市頴娃町の、番所鼻(ばんどころばな)海岸である。

 引潮の海の向こうに、開聞岳が優しく浮かんでいた。

 元国立科学博物館職員の、浦沢さんは、『なんとまあ、たまらいね、ここは』と感嘆のことばをなんども吐いていた。

 JR日本最南端駅、西大山駅に立つ。真夏の鹿児島、ここまで来てください。こんな写真が撮れるのです。

 偶然にも、列車がやって来て、独特のディーゼルカーのエンジン音を響かせて、指宿方面へ行った。

 はるかな昔の、元少年たち。


 プラットホームの鏡には、開聞岳と撮影者(郡山)をとらえている。小粒だけれど、よくよくみれば、自分は映っている。わかるかな。



 指宿市の海辺にある、山川砂むし温泉(砂湯里:さゆり)への入り口付近にて。 温泉は、遠方下方の、波打ちぎわにある。

 郡山宅の庭にはブルーベリーが実をつけている。小さいながら甘い。好評を得た。穂高さんは樹に付いている実物をはじめてみたと、感動していた。


 7月21日朝9時前、東京からの客人は、郡山宅から次の旅路へ向かった。


                        文・写真=郡山利行

かつしかPPクラブが、鹿児島、日置とで、交流会 = 郡山利行

 かつしかPPクラブ会長の浦沢誠、穂高健一、そして私・郡山利行が、2016年7月19日は鹿児島で、20日には日置市で、現地の方々と交流会をおこなった。

 3年まえ(2013年6月)の新潟県・『白根大凧合戦』の交流取材に次ぐものだ。

 7月19日は夕方6時から、約3時間、芸州の作家の穂高健一さんと、薩州の近代史第一人者の学者・原口泉さんらを中心とした交流会をおこなった。
 やがて、作家と学者が延々と幕末維新談を問い語りしはじめた。

 原口先生は、初めてと思われる芸州情報にいっぱい接し、『今日は、目からコンタクトが・・・』と、嬉しそうに、お湯割り焼酎を何杯もお代わりした。 

 写真の撮影時刻は、午後9時半ごろのお開き直前である。


 日置市では、郡山宅に、成田浩さん(日置市議会・議長)ら、市役所のお2人を招いて、「かつしかPPクラブ」の活動を浦沢会長が熱心に語った。

 歓談会の飲み物は、ビールから焼酎(ロックとお湯割り)。肴は、吹上浜で獲れた魚の刺身や、ニガウリなどである。

 地元の行政にかかわる人たちに、持参した小冊子を披露した。私の砂時計の取材記事は特に関心を持ってもらえた。
「日置市でも、こうした活動がなされると良いですね」
 と穂高さんが勧めていた。

 掲載写真の撮影時刻は、7月20日午後8時7分である。戸外はまだ暗くない。(東京よりも、約1時間ほど日没が遅い)。それを利用し、ろうそくの明りにこだわってみた。

 幕末維新の志士たちが、熱く明日を語った。そんな雰囲気を、ささやかに真似てみた。

   

わいわいフェスティバル = 須藤裕子

まえがき

 2016年5月14日(土)・15日(日)、第7回 葛飾「わいわいフェスティバル」がテクノプラザかつしかで催された。



2日間、会場では、
        ♥メーカー直販ジュエリー、
         ♥文化(ぶんか)筝(ごと)体験、
          ♥3分で装う着物、
           ♥チャンバラ活劇、
            ♥和太鼓演奏、
             ♥カラオケ発表会、
     ♥落語
       ♥民謡健康体操
       ♥フリーマーケット
         ♥ライブステージなど・・・・・・、

 会場に訪れたひとたちは、盛りだくさんのイベントが企画されおり、「行って観た、見た、回った」という感想だった。

 実行委員長は財津史郎氏(44歳)。仕事を持ちながらこの運営に関わっている。
「今回の春の産業フェスタでは、「みんなが参加して、元気になる!」
 と楽しむことを掲げた。産業フェアではできないことを!とつけ加えた。

 第1回コラボ商品発表会とした。それが、一升・五升升に和紙を張り、三線の糸を使った新しい「三味線」。敷居の高くない庶民の文化をもう一度定着したいとの思いで、楽器と音を追求した。
 実際、プロもアマチュアも参加するこうした企画は少ない、財津さんは語る。

「2日間で、物販30団体が出展し、葛飾区のお土産、名物を作っていきたい。因みに、初めての「カラオケ」は大盛況でした」
 と話す。



「馬のひずめ」を表現したという、入門クラスの子どもたちの演奏である。

 ズンズンズン
 ドンドコ ドドドーン

 子どもの演奏とは思えぬ、腹に響く力強い音、リズミカルで、揃ったばちさばき。
 観客の声として、「聞いてよかった、見てよかった」という。参加者が元気の湧いたホール・イベントである。


 太鼓を3歳から始めた「八代莉(り)帆(ほ)」(8歳)さんから、話を聞いてみた。
「今、Aクラスに上がって嬉しい」
 と太鼓のばち袋も持ってきて見せてくれる。
「大きくなってもやりたい!」
 と希望に膨らむ姿。矢代さんには、想い出のいいひと時である。



               
 劇団SAKURA前線が「しぐれ傘」を演じた後、会場の観客の中から選ばれた3人が、習いたての殺陣を壇上で披露した。

日常生活のなかでは、刀を振り回す演技体験などめったにできるものではない。 観客が、当に、自分に見立て見た演技に、団員に劣らぬかっこいい一瞬を観た。時代劇が日本人には染みついている。



「文化筝音楽振興会」で、「文化筝」の普及に努めて20年になる増渕喜子さんから、話が聞けた。

 中国では2500年の歴史があること、女性には教育が禁じられていた歴史があること、「大正琴」は大正元年(1912年)にできたことにも触れた。

 この間にも、増渕さんからは「文化筝」を生涯楽器と謳いながら、音楽教育への情熱がほとばしっていた。


 
「ほら、初めてでも、うまく弾けるでしょう!」。
 取材中の会員が爪を付けてもらって弾くと、なんと、うまく弾けた。

「文化筝の楽譜は普通見かける五線譜ではなく、算用数字譜になっています。だから、子どもから大人まで、外国人まで演奏できます。日本の文化を海外に伝えられ、国際交流にもなります」
 と、小気味のいい説明である。

 近世筝曲の創始者「八橋検校」、箏曲家「宮城道雄」と、よどみなく口をついて出る。


「箏の半分の大きさに改良された分数箏が「文化(ぶんか)筝(ごと)」です。
 小さくても、お琴と同じ音色が楽しめ、約2キロと軽いので、持ち運びにも便利です。

 テーブルや机の上で演奏ができ、収納も楽。メンテナンスも楽です。糸は強力なテトロン糸で、桐に木でできています。
 フレット(弦楽器の棹(さお)についている勘所(かんどころ)の横桁)は13本あるが、今は27まであるものも見られます」。

 始めて見る楽器、初めて聞く音楽教育の話。そうそう、「2020年の東京オリンピックでは、「津軽三味線」を演奏します」
 とつけ加えられていた。



              シルクの音響があり、どんな曲も合奏できる 
               

あとがき

「テクノプラザかつしか」では、年間を通していろいろなイベントがある。
 出かけて行き、人と話し、触れ、知る、感じることができる。地域で、こうして生き生きと表現できる場所があり、人々がいる。

 知らなかったことに大いに気づいた新鮮さ。今日も、行動をおこした嬉しさとワクワクのお土産付きである。


   撮影:2016年5月15日

昭和が残る街「葛飾・立石」は笑い、笑い、そして談笑の場だった。

「昭和が残る立石は良いぞ、良いぞ」と宣伝しすぎて、いまや若者を中心に人気が出すぎた。遠く、金沢や九州からもくるという。

 まださして人気が出ない5-6年まえに、日本ペンクラブの著名作家たち5人が手弁当並みの出演料で、「昭和が残る葛飾」のフォーラムを開催した。
 本音は、飲み代稼ぎだった。

 それから1年に1-2度は、作家と「かつしかPPクラブ」の交流がはじまった。



 ことしは6月16日(木)午後5時から、「都合の良い時間に」というさして制約もなく、作家とかつしかPPクラブの交流が、あおばで始まった。


 参加者は何人か。興味ある人は写真で数えてください。

 主催者はだれかわからず、発表もなし。

 こんかいは、出久根達郎さん(直木賞作家)と、かつしかPPクラブの浦沢誠会長。それに「飲み放題・食べ放題で、貸切としてくれた居酒屋『ふおば』の女将さん」です。

 著名、無名、飛び込み、遅れて来ようが、早々飲もうが、一切問わず3500円です。


 まいかい司会・進行もなし。

 テーマなどあるはずがない。

「みなさん、大人だから、勝手に話題を作ってください」

 そういえば、すぐさま、古書店の岡島店主が立ち上がり、昔の立石は遊郭あった、と語りはじめる。「まだ、子どもだったけれどね」


 出久根さんは、茨木から出てきて、月島の古書店に勤めた。


 そんな経由で、岡島さんとは親友中の親友だ。


 この会を知って、本八幡の古書店の主も訪ねてきていた。 

 女性は日本ペンクラブの会報委員・菊池さん。おとなし目だが、楽しいわよ、と皆の話を聴いていた。



 岡島さんの奥さんがあらわれる。生粋の立石っこ。出久根さんとも、長く知りあっている。


 奥さんが来ると、主はとたんに色気の多い話がなくなる。それもつかの間だった。

 
 



 出久根さんの声掛けで、葛飾・鎌倉出身の「いとうせいこう」さんがきていた。(中央の青いシャツ)PPの中川亮さん(右手)は立石だ。

 話しがどんどん盛り上がる。

 



 朝日カルチャーセンターの石井勉社長も常連だ。(左から2番目)。朝日新聞の上丸論説委員(右手)。

 朝日と言えば、常連の轡田さんは現れないな。何時にきても良いんだけれど、ケータイをかけてみるか。

「悪い。いまロンドン郊外なんだ」と、とても駆けつけられない場所だった。

 出久根さんは、夏目漱石の著作で、熊本に縁がある。大地震があった。


 江戸時代の大地震も、小説に書かれている。


 話題を振ってみると、ナマズと地震について、愉快に語りはじめた。


 
 ICレコーダーはないし。


 なんで笑っているか、想像してもらうしかない。

 昭和はもはや明るい話題か。

 



 PPの写真はVサインはつかわないように。穂高健一は指導しているにもかかわらず、

 今回の撮影者の郡山利行さんはバンバン撮りまくる。

 明るく乗るはこれまたPPの女性。

 


 あおばの会はとても楽しかったです。また、立石に行きたいです。

 日経センターの女性から、そんなメールも後日入ってきた。

みんなでおいで、わいわいフェスティバル=鈴木ゆかり

 平成28年5月14(土)、15日(日)『第7回葛飾区わいわいフェスティバル』が、葛飾区青戸にあるテクノプラザかつしかにて開催された。  毎年秋に開催される『産業フェア』に対して、春に葛飾区アクセサリー工業会の主催で開催される。

 お話を伺ったのは、『わいわいフェスティバル』実行委員の財津史郎氏(44歳 練馬区在住)。今回の目玉、コラボ企画の(株)セベル・ピコで開発のお仕事をされている。

 今回の出展は、物販30団体、ステージ13団体。来場者数は年々伸びていて、2日間でおよそ2,000名が訪れる。14日は、初試みのカラオケ大会が行われ、100名以上の来場者があり大盛況だった。

 今回の目玉は参加企業2社のコラボ企画で、『三味線』の展示である。“葛飾のお土産”を目指して、企業が企画・開発に挑んだ。

 写真(上)は、コラボ企画商品の『三味線』である。
 葛飾土産として≪粋≫をテーマに開発された。(株)セベル・ピコと(株)江東堂髙橋製作所の共同開発だ。前面に浮世絵(紙製)を下部にお茶筒を配している。このコラボ商品開発は、一年前から始められた。
「仕事の合間に打ち合わせ等を行わなければならず、苦労の末の開発だった。」
 と実行委員の財津さんは話す。
 苦労の甲斐あって、本当に粋な商品である。
 4年後の東京オリンピック・パラリンピックでの販売に大きな期待がもてる。区内の企業は後に続いてどんどん、“葛飾”を世界に発信してほしいと思った。

 2階のステージでは、「葛飾諏訪太鼓」15名による演奏が行われた。かわいい姿からは想像できない迫力ある演奏で、
沢山の練習を重ねてきたのが伝わってくる。

 宮坂薫さん(写真中央)は、幼稚園児から中学生までの子どもたちを指導している。演奏で披露した「薫風」という迫力満点の曲は、宮坂さんによるオリジナル曲だ。

 週1回1時間のレッスンに4年間通う竹島優奈ちゃん(9歳)は、「太鼓のレッスンは楽しい。」と話す。 「この習い事を始めてからは、人前に出ることに抵抗がなくなったようです。」とお母さんの葵さん(28歳)が話してくれた。

 こちらは、文化筝振興会(全国組織)による実演と体験のブースだ。
『文化筝(こと)』とは、平成7年に開発された従来の筝の半分ほどの長さ(約90㎝)の筝である。音色は、従来のものと遜色ない。

 子供たちに日本文化を知ってもらいたい、情操にも良いとの思いで、学校などの教育現場へこの筝を持参し指導している。
 小学生でも1時間の学習で全員、曲が弾けるようになる。記者も体験したが、数字符なので初見で弾くことができる。琴の音に対するハードルがぐっと下がり大変興味深かった。


小学生の女の子が、楽しそうに体験していた。周りからの称賛に満足げである。確かに教育にも効果がありそうだ。

 ハクビ京都きもの学院の先生による着付け体験コーナー。帯の結び方や柄も様々で、TPOに合わせて楽しめる。日本文化の良さを実感できる。



 劇団SAKURA前戦による立ち回りの体験である。

 客席から選ばれた3名が指導を受けた後、実際に音をつけて演技した。


 親子で参加した鈴木まみ子さんとはやと君は、「初めて来ました。色々と楽しい催しがあったり、体験できて楽しかったです。」と話してくれた。


 2日間にわたり開催された『わいわいフェスティバル』。多くの企業や団体が出展していてとても興味深いものだった。世界へ≪葛飾≫を発信すべく、企業戦士たちが日々奮闘しているのが伝わるイベントである。
 広告に課題があり、まだまだ認知度が低いのが残念だ。公共施設等を活用し、多くの区民に発信してほしい。