かつしかPPクラブ

願う下町の発展 第32回産業フェア(工業、商業、観光展)=隅田 昭


 表紙を飾るのは、地元の新宿中学校吹奏楽部の華やかな顔ぶれである。
 お馴染みフーテンの寅さんやジブリ映画のテーマソング、アイヌ民族のおごそかな調べに続き、軽快なマーチで締めくくり、会場は一体となった。


もくじ
  まえがき
1.父兄のまなざし/貴方色に染めて
2.日本のよろこび/お手軽な季節感
3.女心に応えます/童心にかえって
4.リユースは重要/親子の絆で経営
5.サルのあたしもひと仕事
  あとがき


まえがき

 ようやく猛暑が終わり、秋も深まった。心地よいシーズンの到来だ。そんな10月中旬に、第32回産業フェア(工業・商業・観光展)が、テクノプラザかつしかで開催された。
 このフェアは区内の産業と地域の発展、次世代を担う児童・生徒の育成という目標を、高らかに掲げている。



1.父兄のまなざし

 FMかつしかの司会から、演奏の感想を聞かれた新宿中学校吹奏楽部の顧問は、「今日は反省しないといけない。区民の皆様が喜んで聞いているのに、緊張で笑顔がない」と手厳しい。

 部員のひとりでユーフォニューム担当、佐保亜季さんの両親である、孝之さん、昌子さんご夫妻から話を伺った。
「部員はみな女生徒で、28名と聞いています。ウチの娘は受験生ですけど、家でも毎日、練習をしています。
 ずっとバイオリンを習わせていましたが、仲間と一緒が楽しいみたいです」


      貴方色に染めて

 ハロウィーンのカラフルな手ぬぐいが目立っていた。
 染付けの体験会を主催するのは東京和晒(わざらし)の社長、滝澤一郎さんだ。
 「最近は若いデザイナーに制作を任せています。100枚単位で制作し、約350種類あります。熱心なコレクターが多く、外国の方向けの


2.日本のよろこび

 香ばしい匂いに誘われ、福島県塙町の名産展で好物の焼き団子と干しぶどうをゲット。切り盛りするのは、ブラジルから帰化したサントス鈴木店長と店員の下重吉夫さんだ。

 店長は「日本で様々な方と話すのが大好き」と微笑んだ。
 鮎焼きを250本、団子は150本を用意したと語る。


       お手軽な季節感

 若きイケメンが、来場者に愛らしい鉢植えを薦めている。青戸サンロード商店会で老舗のハナヒデ花園だ。
 その加藤久弥さんから話を聞いた。
「祖父の話では、先祖は日本で初めてカーネーションを栽培した農家だったそうです。私もそれを誇りに、リッツカールトンで修行しました。
 新たな季節の訪れを手軽に味わえるのが、生花の大きな魅力だと思います。最近は保存技術の進歩で生まれた、プリザーブドフラワーが人気です。水分を除去しているので、3年ほどドライフラワーに近い感覚で楽しめます」


3.女心に応えます

 500円ハンドマッサージを声掛けするのは、青戸銀座商栄会ノエビア化粧品の社長、竹内恵子さん(写真右)だ。
 薬草を使用したオーガニックで、リンパ腺を刺激する。
 彼女は「女性はいくつになっても、若くて美しくなりたいという本能があります。  
ウチではご要望にお応えできます」と彼女は胸を張った。


     童心にかえって

 おもちゃの会で熱心に修理に励むのは、代表者の鈴木敏夫さんだ。75才の後期高齢者で子供向けの玩具ばかり触っている、と無邪気に笑う。

 国の研究機関で定年まで、長きに渡って専門技術職に携わっていたという。区民大学で講師の経験もあり、体力の続く限り奉仕したいと張り切る。

 「テレビゲームや時計じかけの玩具は、商売がたきになるから断っているよ。それにお宝鑑定団に出るような、高価な品も扱わない。純粋におもちゃを直して、喜んでもらいたいだけだからね」


4.リユースは重要

 プラスチック工業連合会では、実行委員のひとりである奥山孝一さん(写真)が、クリアファイルとカップを来場者に無料で配っていた。

 株式会社オリタニの若き経営者、折谷征晴さんが語る。 
「最近は回収されたペットボトルから、ハンガーや卓上カレンダーなど、様々な製品にリユースされています」


      親子の絆で経営

 ねじ連合会では古き良き昭和の工作機が、懐かしい音でネジを作っていた。 株式会社KYOEIの三代目、木村邦芳さん(33才)だ。

「ネジ制作の実演は13年前から始め、当時から人気だと聞いています。 弊社では携帯電話から自動車用まで、オーダーメイドで対応しています。
 中小企業は自分の考案した企画で、顧客から感謝されるのが励みです。

 子供の頃から家族の働く背中を見て育ったので、会社勤めをしたいと考えた経験は一度もありません」と語った。


サルのあたしもひと仕事

 静岡県出身のミルクちゃん(2才)人間に例えると、女子中学生かな?


あとがき

 産業フェアの今年のテーマは、「下町の宝/発見~葛飾の技術と味・匠の技」である。
「日進月歩」という熟語もあるが、デジタル技術の進展により、近年は「時分日歩」と言えるのかもしれない。今や死語かもしれないが、かつては、「ドッグイヤー」という言葉も存在した。

 IT業界では技術の進歩があまりに速いので、1年間が犬のように、7年分に相当するという意味だ。(もっとも最近はペット業界の医療技術も進歩しており、7年が5年分ほどに短縮しているそうだが・・・)
 恐らくその目まぐるしい変化が、様々な業界に浸透しているのだろう。
 ただ、いくら技術革新しようとも、最終的に使う人間の役に立たなければ、まったく価値を持たない。

 このフェアでは、取材に応じていただいた、いずれの組織も「お客様に喜んでもらえるが楽しい」と口を揃えていたので、記者は心から賛同ができた。
 1つだけ気になったのは、来場者には地域のお年寄りやお子さんが多く、休憩所やトイレの利便性が悪い点だ。次回からはぜひ改善してもらいたい。

 来場の皆さんがにこやかな表情だったので、来年以降も発展するだろう。


◆ 写真・文・編集 : 隅田 昭

◆ 撮影:平成28年10月15日

◆ 発行:平成28年11月18日


本冊子の一部あるいは全部を無断で複写複製することは、
法律で認められた場合を除き、著作権の侵害となります。

葛飾区中央図書館で、一か月間の展示コーナー(下)郡山利行


 数人の当クラブ会員が、それぞれ自分の特技を分担作業しての、手作り展示会だった。


 穂高先生紹介パネルの前の、ガラスケース上には、同区立鎌倉図書館と中央図書館のご協力により、先生の出版書≪海は憎まず≫、≪二十歳の炎≫、≪燃える山脈≫を、3冊ずつ、図書館貸出書として、展示期間置いてもらった。


 作品14冊の他には、2枚の当クラブ紹介パネルと、1枚の穂高先生紹介パネルを、展示し、壁面上部にはささやかながら、クラブ名の釣り飾りをした。

 今後、ほかの会場でさまざまな内容で展示する機会があるとすれば、葛飾区の行事・イベントや場所・景観・人物などのテーマでの開催も考えられる。 


 当クラブは、昨年までは同区教育委員会主催の穂高先生講師による、≪区民大学講座≫の修了者でなければ入会できなかったが、今年度からは、同区の≪区民大学≫卒業生で、当クラブ会員の推薦があり、会長が許可した方は入会できるようになった。


          写真・文 = 郡山利行

葛飾区中央図書館で、一か月間の展示コーナー(上)郡山利行

 今年2017(平成29)年3月1日から31日までの1ヶ月間、当クラブとしては初めての、作品展示会だった。

 今回の展示作品は、特別なテーマはなく、14名の会員の各人お気に入りの作品だった。


 図書館内の展示コーナーは、図書館事務所横の通路で、延長約10mの壁面とガラスケースだった。

 原本の作品の大きさは、A4を中折りにしたA5サイズだが、各ページをA4縦に拡大印刷して、クリア・ポケットファイルで製本した。


 それを館内での閲覧展示とした。 原本は、施錠されたガラスケース内に展示した。



 作品14冊の他には、2枚の当クラブ紹介パネルと、1枚の穂高先生紹介パネルを、展示し、壁面上部にはささやかながら、クラブ名の釣り飾りをした。


 数人の当クラブ会員が、それぞれ自分の特技を分担作業しての、手作り展示会だった。


        写真・文 = 郡山利行 

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(5)郡山利行

  1964(昭和39)年10月10~24日  第18回オリンピック 東京大会



  高校では、オリンピック競技の、入場券を学校に提示すれば、その日は出席扱いだった。 姉と銀座で徹夜して並んで買った、券である。


 前の席の、外国人女性の金髪が、午後の日差しに、とても美しかった。

 右の写真は、同年10月15日、国立競技場スタンドにて。



  1964年10月15日 15:40 男子100m決勝スタートの瞬間


 写真の中央付近、スタート号砲の白煙が、残って見えている。レースでは、第1コースのボブ・ヘイズが、10.0秒で優勝した。



 1964(昭和39)年から3年間、NHK総合テレビで、『 虹の設計 』 という、TVドラマが放映された。
 建設業界を舞台とした、数々の男たちのドラマの中で、天草諸島に橋を架ける設計の話で、
 筆者は土木技術者に憧れた。
 ≪島と島を結ぶ橋を、海の上に架ける!≫  船乗りになることをあきらめた、自分を見た。

 優しい顔立ちの少年が、たくましく変貌を遂げて、中央大学理工学部土木工学科へと出陣した。

 
【 5.編集後記 】

 高校生までの少年時代の文化的活動を振り返り、主要な事がらを並べてみた。はっきりとした記憶に残る人達は、家族と学校の先生と、小中学校の三人の級友である。

家族 母 郡山トシ、姉 益代、兄 孝丸

 特に、姉益代と兄孝丸の二人は、古希を迎える現在にまで、決定的な影響を与えた存在であったと、改めて強く思った。

 益代姉からは、小学1、2年生の頃、国語の教科書を1冊まるごと覚えてしまうまで、声に出して読まされた。本を読むということに、慣れさせられてしまった一方で、中学高校生時代には、文学本をたくさん買ってくれた。
 そして孝丸兄からは、本の推薦では、弟が好きそうなものを選んで、タイミング良く知識を伝えてくれた。



小学校の先生 大楽先生(1年)、本田先生(2,3年)、大迫先生(5年)

中学校の先生 見上先生(テニス部)、会沢先生(2年)

高校の先生 栗原先生(3年間担任)

小中学校級友 宮城君(小学6年)、山田君(中学1年) 伊澤君(中学2,3年同級)

 少年期を過ぎた後の本読みは、完全な乱読となったが、その結果として、幅広い知識欲おうせいな大人になることができた。

  姉と兄の二人に共通していたのは、外国航路船長だった父から買ってもらった、ドイツ製小型カメラを使った写真撮りだった。
 この趣味の世界を、筆者はストレートに受け継いだ。

 本小冊子の次のステップは、『青春篇』ともいえる、大学生時代を経て、社会人となった土木工事技術者としての、結婚後の家庭生活と、文化・旅行・スポーツ・親類行事などに、分類編集する構想である。
 自分の後世代に残すべき、強い記憶の事がらの瞬間・状況を、穏やかに素直に表現していきたい。

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(4)郡山利行

【 4.高校生の時 】

昭和38(1963)年4月、中央線武蔵小金井駅下車の、中央大学附属高等学校に入学した。

  写真 = 高校一年 春

 東横線都立大学駅からの電車通学では、渋谷と新宿が乗り換え駅だったので、土曜日の午後は、たいていどちらかの駅で途中下車して、封切り後再上映の映画をよく見た。
 渋谷の東急名画座は、特に大好きな映画館だった。

 3年間担任だった英語の栗原先生は、洋画をたくさん見て、英会話に慣れるようにと、勧めてくれた。

   映画 『 サウンド・オブ・ミュージック 』

『サウンド・オブ・ミュージック』は、ミュージカル映画のとりこにさせられた、映画である。ジュリー・アンドリュースの元気はつらつの歌声が好きで、20回をはるかに超える回数で楽しんだ。
 歌とセリフと字幕文字は、ほとんど覚えたほどだった。



   映画 『 ローマの休日 』

『ローマの休日』は、渋谷の封切館パンテオンの上階、東急名画座で見るのがいちばん心地良かった。 モノクロ画面と単純なコメディ展開が、映画館の気軽な雰囲気に合い、上映していれば必ず見た。

掲載写真 = Googleの写真より

   映画 『 マイ・フェア・レディ 』

『マイ・フェア・レディ』では、ヘプバーンの歌は吹き替えだったが、他の俳優たちの歌と演技が、いかにも大人の世界濃厚で、何回見ても、飽きなかった。

    本 『 戦争と平和 』:トルストイ

 電車通学、往復100分の読書である。 人名地名の混乱を克服するのに、2年かかって読了したが、中身を全く理解し得えていない、とても不思議な長編小説である。
 後年見た、同名の米国とソ連の映画でも、理解できていない。


    本 『 誰がために鐘は鳴る 』:ヘミングウェイ

美しいタイトルの物語である。 映画の方を先に見た。 主演ゲイリー・クーパーのロバート・ジョーダンがかっこ良くて、女優イングリッド・バーグマンが美しい。映画化を先取りしたようなヘミングウェイの作品群の中で、筆者には一番のお気に 入りである。
 

    本 『 罪と罰 』:ドフトエフスキー

 3年生夏休みの、読後感想文宿題の、課題本だった。 最初から陰湿な場面ばかりで、読むのにつらかったが、後半の緊迫した状況展開では、本から目が離せなくなった。後年読んだ野間宏の『 青年の輪 』は終盤で、『 罪と罰 』のようだなと、思ったことがある。


    本 『 天と地の間に 』:ガストン・レビュファ

 2年生夏休み、姉が、北アルプス表銀座ルートを縦走させてくれた。下山後しばらくしてからの日、兄が、「ヨーロッパの登山家って、素敵だぞ」 と、教えてくれたのが、フランスのガストン・レビュファだった。
 

    本 『 アルプス登攀記 』:E・ウインパー

 兄がくれた、エドワード・ウインパーのマッターホルン登頂記である。 登山の本で、この本以上に興味深く読んだものはない。 線描画の挿絵が美しく、読み進む過程で、登山路の休憩所のような安らぎを感じた。


   映画 『 ビルマの竪琴 』

 映画『ビルマの竪琴』 での、水島上等兵の、ひと言も発せず仲間達に、 自分を伝えようとした姿が崇高に思えた。原作以上に、映画を見ての感動で、それまでの自分の、戦争を見る目が、明らかに変わった。


 

  写真 = 高校三年 冬




「かつしかPPクラブ」が創立6年にして、展示会=葛飾中央図書館

「かつしかPPクラブ」とは、なにかしら。

 東京都葛飾区教師委員会が、単位制の「かつしか区民大学」を立ち上げた。それからすでに6年が経つ。「写真と文章で伝える私のかつしか」と題した講座が、当初から開講された。この講座は途切れることなく、つねに毎年十数人の受講生が学んでいる。

 第1期生が約20人ほどいた。『葛飾区内を歩く、撮る、取材する、そして書く』。この三拍子を学び、小冊子にするものだ。8回の連続講座で、添削はプロ作家・プロジャーナリストだから、一字一句、写真の構図にも、容赦なく朱を入れてきた。取材も、度胸だと言い、飛び込みを行う。それを繰り返して、力量をつける。

「学んだことをこのまま終わらせたくない」
 浦沢誠さんら複数の有志が提案し、自主クラブが発足した。それが「かつしかPPクラブ」浦沢会長である。

 年4回の小冊子発行は欠かさず行ってきた。そして、穂高健一による、きびしい指導の下で、配本してきた。そこには、取材力、撮影力、記事文の文章力には妥協しなかった。
 諸般の事情で、『去っていくものは、追わない』、そして残されたものが、力を磨いていく。その方針も、ぶれなかった。

 かれらの力量は、大手のメディア記者、あるいは雑誌ライターと比べても、まったく遜色がない。それだけの充分な力をつけてきた。

 最大のメリットは、読み手、読者にある。葛飾区内の大きな話題でも、メディアを見ても、ほんの少し、わずか数行しか載らない。これでは欲求不満だ。

「かつしかPPクラブ」の小冊子は、徹底して掘り下げている。読み手には、ふかい感慨を与える。葛飾区をより深く知ることができる。

 こうした力量アップの上で、作品の展示会を決めた。3月1日から3月31日まで、1か月間の特別展示である。

【関連情報】

 展示場所:葛飾区中央図書館

 最寄り駅:金町駅(JR、京成)

 問合せ先:同図書館 03-3607-9201

     :かつしかppクラブ・窓口 090-8689-8166

 

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(3)郡山利行

【 3.中学生の時 】


 昭和35(1960)年4月、東京都目黒区立第十中学校に入学した。 

 1年E組、自宅のすぐ近くの山田君が同じクラスだった。 彼も本読みが大好きな戦記物少年で、自宅にはいっぱい持っていた。 筆者も負けずに古本屋通いした。


    本 『坂井三郎空戦記録』:坂井三郎

『坂井三郎空戦記録』は、戦記物単行本で、一番最初に読んだ。痛快ともいえる物語の展開で、戦闘機の空戦物読書の原点になった。

『空戦』は、P・クロステルマンという英国空軍に所属した、フラン人パイロットの、ヨーロッパ戦線での空戦記である。 坂井三郎氏のような華々しさはなく、冷静な幅広い視点での物語が、好きだった。


    本『戦艦大和ノ最期』:吉田満

 筆者の父は、太平洋戦争の時には、陸軍商船隊の軍属として、シンガポール、スマトラ方面で、輸送作戦に従事していた。 そのため、艦戦記も数多く読んだ。 その中でこの

『 戦艦大和ノ最期 』は、勇ましさがほとんどなく、何度も読み返した本である。 文語体調の漢字カタカナ文であり、いつも身が引き締まる思いで読んだ。

 1年生夏休みの林間学校での、山中湖一周サイクリングの模様を、宿題作文に書いた。 数枚の原稿用紙に、手書きの挿し絵まで書き、和とじ製本した。 書き出しの一行目が、先生の笛による合図のあとの、「さあ、出発だ。」 だった。 山中湖北部の平野の景色を、故郷の景色に重ね合わせた。
 この作文を授業の時、皆の前で先生が発表してくれて、以後の人生で、文を書くことが好きになった。

     映画 『 二十四の瞳 』

 映画 『二十四の瞳』 には、いろいろな思いがいっぱいである。≪銀座カンカン娘≫が、大石先生になって、自転車でさっそうと、岬の小学校に現れた。 筆者の小学一年生の担任、大楽先生のイメージに重なった。
 そして12人の子供達の青年時代まで、彼らに寄り添う姿が、中学二年の担任、会沢先生にも重なった。


    本 『 西部戦線異状なし 』:レマルク

 2年生の夏、10才年上の兄が、「 そんなに戦記物を読むのが好きなら、これを読んでみろ 」と買ってくれた1冊の文庫本、それが、レマルクの 『西部戦線異状なし』 である。

 二十歳前の主人公、パウル・ボイメル少年の視点で描かれた、戦場の様子と登場する人達の人間描写が、衝撃だった。後年になって見た同名の映画では、更に、この原作としての存在感に一段と感動した。


    本 『 風と共に去りぬ 』:M・ミッチェル

 3年生になった頃、姉が、「そろそろ文学全集も読みなさい、これは面白いわよ 」 と、ド
サッと目の前に置いたひとつが、『風と共に去りぬ』 である。 興奮気味に一気に読んだ。


    映画 『 グレン・ミラー物語 』

 3年生の秋、この1本の洋画に感動し、そして、熱狂的な軽音楽ファンになった。生まれて初めて買ってもらったLPレコードが、『グレン・ミラー・オーケストラ』だった。

    映画 『 七人の侍 』

 3年生の秋、生徒会主催の文化祭(10中祭)で、体育館で上映されて、初めて見た。七人の侍たちが、最高に恰好良かった。
 戦闘シーンの迫力にびっくりした。

    本 『 白鯨 』:H・メルヴィル

 読むことに夢中になった、数少ない小説のひとつである。 そして映画での、グレゴリー・ペックによるエイハブ船長は、興奮せずには見られない存在だった。

 そして映画 『白鯨』 の後に見た映画で、モビィ・ディックと共に太平洋に消えたエイハブ船長が、新聞記者になって、ローマのスペイン階段に現れた時は、映画というものの面白さを、楽しんだ。

    本 『 インカ帝国 』:泉靖一

 3年生の時、級友の一人伊澤君は、横浜方面から東横線で通学して来る、読書少年だった。
彼が、級友の誰も読まない、岩波新書なるものを、いつも平気で読んでいたので、つい真似をした。 彼に勧められたのが、この 『インカ帝国』 である。
 その後大量に読み親しんだ、同新書の、記念すべき第1冊目となった。

「インカ帝国を知ったのなら、この人の本はどうだ 」 と、兄が教えてくれたのが、ノルウェーのトール・ヘイエルダールという人類学者だった。

    本 『 コン・ティキ号探検記 』:T・ヘイエルダール

『インカ帝国』を読んだ後、続けて読んだヘイエルダールの著作、 『コン・ティキ号探検記』 と『アク・アク』である。 帆走のバルサ筏(いかだ)で、南米大陸から太平洋諸島への文明の伝播を、立証しようとした海洋冒険記と、イースター島の調査記録である。 


 夢中になって読みふけった。 そこで、決意した。 将来必ず、イースター島に自分も行ってみる、と。
 時に、1962年秋である。

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(2)郡山利行

【 2.小学校の時 ② 】

  絵画 『湖畔』 と 『読書』 :黒田清輝

 5年生の担任、大迫(おおさこ)先生は、図画が得意だった。 ある時鹿児島市の美術館で開催された、黒田清輝展に連れて行ってくれた。 

   『湖畔』は、筆者が生まれて初めて、女性を美しいと意識した絵である。 

  『読書』を見て、「台風の雨で濡れた本を、1ページずつめくっているところですか」
と、先生にたずねたら、あきれられた。
                      
 4年生の時、学校でバイオリンを習わされた。まったく弾けず、自然にやめた。

 学校から帰ると、日本の北から南まで、都道府県名と県庁所在地を、順番に全部言えないと、地理の知識が豊かだった母さんは、外に遊びに行かせてくれなかった。 


 日置から伊集院まで、8kmの武者行列。 上写真、前列中央で、左手に先頭提灯を持っているのが、筆者である。
5年生、初めての妙円寺参りだった。責善舎とは、鹿児島特有の地域内≪郷中教育≫の場のひとつで、薩摩藩士意識の源でもある。

 昭和34(1959)年3月、家族は鹿児島から、東京都目黒区に引っ越しした。同年4月から、筆者は同区立東根(ひがしね)小学校に転校した。6年4組、女性担任が高知県出身だったので、当時はやっていた流行歌 『南国土佐を後にして』 を、将来は民謡歌手とおだてられ、学芸会では独唱までした。

 6年の同じクラスに、宮崎県の西都原(さいとばる)出身の、宮城君がいた。同郷的な感覚をお互いに持ち、すぐに友達になった。 その彼は、鉛筆画で太平洋戦争当時の戦艦や戦闘機を描くのが、とても上手だった。

 それを真似したことで、筆者は≪戦記物少年≫になった。 絵の教本となる 『丸』 という戦記月刊誌は、新刊ではなく古本屋で買っていた。 そして、写真グラフ誌と同時に単行本も読むようになったのは、中学1年生になってからである。

                       【つづく】

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(1)郡山利行

 1.はじめに 
 筆者は、今年2017年に古希を迎える。サラリーマン人生39年間の終盤頃から、おぼろげに考えていた、家族・親類史と自分史作りについて、それを実現させるべく、行動を開始する。

 昭和29(1954)年4月1日は、鹿児島県日置(ひおき)郡日置村立日置小学校に入学した日である。 1年ろ組の担任は、25才の大楽(現姓・前屋敷)ミエ子先生だった。 昨年(2016年)春に、87才でお元気達者の大楽先生に、お会いした。

   4枚一組の写真は、筆者と大楽先生である。


 62年ぶりの先生から、筆者が小学校一年生の時に、どんな児童だったかを語ってもらった。 その喜びが、まず自分史作りに取り組もうかとの、引き金になった。

 上写真は、筆者の、日置小学校入学式の日、自宅玄関前庭での写真であり、同学年時の≪通信簿≫は、現存保有している実物である。 大楽先生に、「先生、ほら、これ」 と見せたら、まあ、と言って、とても照れていた。


 2.保育園~小学校の時 

 右写真は、昭和27年夏、外国航路船長だった父の会社の、神戸の家族宿泊施設にて、5才の筆者である。

 施設ロビーにあった蓄音機で、高峰秀子の、『銀座カンカン娘』のレコードを、何度も何度もかけて、一緒に大きな声で歌っていた。 筆者の母は、この写真を見るたびに、笑いながらそう語った。

 父が、神戸か横浜に帰港した時、田舎の家に送った荷物の中には、珍しい食品等がどっさり入っていた。

 ハーシーのキスチョコと板チョコ、ネッスルのコーヒー、バンホーテンのココア、そしてグレープフルーツなど(左写真)。

 舶来品との出会いだった。

  キスチョコは、母が時々しまう場所を変えていた。 でもちゃんと見つけてポケットに入れ、家の外に遊びに出て、友達にも分けて食べた時のおいしさは、今でも口に残っている。


> 映画 『シェーン』、『砂漠は生きている』

 筆者が5、6歳のころ、13才年上の姉が、鹿児島市で見せてくれた映画である。

『シェーン』では、ジョーイ少年が、シェーンの最後の決闘場所へ行く時、丘から滑るように駆け下る場面で、「がんばれー、急げ!」 と叫び、


『砂漠は生きている』では、見たこともない花が、スローモーションでパーッと開くシーンのたびに、
「 うわー、うわー!」
 と声を上げて喜んだのよと、姉はひやかすように語った。


 写真は、昭和31(1956)年4月、日置小学校3年生になってからのものである。2年生の時の担任、本田先生が、図画や習字のコンテストで入選した児童たちを集めて、記念撮影した。
 
   筆者は前列右端である。


  左写真は県知事の賞での、習字箱であるが、もう何十年も使っていない。

 右写真は、3年生も生担任だった本田先生の、図画の時間である。 写真左側の黒い上着のくりくり坊主の少年が筆者である。

                  【つづく】


新金線は大願成就なるか? 葛飾の夢をもとめて=櫻井 孝江

 葛飾区内には、北から常磐線、京成線(本線と押上線)、総武線(快速・各駅)が東西に横切っている。

小松橋から新小岩駅方面を写す

 しかし、南北を繋ぐ鉄道はない。亀有等から東西線の葛西へ行く時は、バスを利用するか、都心を通って大きく迂回して行くしか方法はない。

 不便を感じている区民もいた。そこで、金町・新小岩間にある線路(貨物の新金(しんきん)線(せん))の利用を旅客用に考えた人々がいた。記者もその一人であった。
 葛飾区内の南北の旅客鉄道の願いが、どのようになっているか 調べることにした。


明治30年12月27日(1897)   金町駅開業

大正15年7月1日(1926) 新金線開通(同時に新小岩操車場開設)

昭和3年7月10日(1928)    新小岩駅開業

操車場を停車場(駅)に変更した

昭和21年(1946)  新小岩駅にて貨物営業開始。

昭和38年(1963)  新中川開通(線路が一部変更になる。奥戸中学校あたり)

昭和39年(1964)  新金線電化

昭和43年(1968)  駅の貨物営業分離で、新小岩操車場駅開設

           操車場跡



・新金線のJR戸籍上は、総武線支線 貨物線である。

・区間は、新小岩信号場駅から金町駅迄である。

・距離は、6,6㎞の全線単線である。


2、新金線の今

 現在の新金線のダイヤは下記の10本である。

① 金町駅発➡新小岩駅着

   0027➡0038(日曜休)

   0624➡0635
 
   1017~1049➡1223~1053

   2131➡2141

   2250➡2301

② 新小岩駅発➡金町駅着

   1523➡1533(日曜休)

   1745➡1758

   1920➡1930

   1949➡1959

   2230➡2241

『新金線に沿って15ヶ所の踏切がある』

 新小岩寄りから、

 奥中区(おくなかく)道(どう)・立石大通り・細田・東京街道・耕道・耕道第二・小松川街道・高砂・新堀・新宿新道・柴又・浜街道・三重田街道・第二新宿道・新宿道である。

 (人・自転車のみ通行)

 新宿新道は、国道6号線と交差している。その他は、のどかな住宅地の中である。

 高砂付近で、金網で囲まれた線路を、金網の隙間から入って、反対側に歩いていく女性を見かけた。

  『これからの展望』

 葛飾区内の南北の鉄道がないので、バス路線が区内の隅々まで行き渡ってきた。新金線沿線を取材していると、かつて、旅客化・複線化を考えていたのではないか と思える場があった。

 新中川を渡る陸橋に沿って、橋脚がもう一列ある。

 橋を渡った線路沿いの一部には、盛り土が幅広くなっているところがある。線路際にある細田小学校の場所に駅を作る予定であった という噂もあった。

 葛飾区都市計画マスタープラン地域別まちづくり勉強会のまとめ(平成21年9月 6日)には、金町・新宿地域と奥戸・新小岩地域から 

○新金線の活用で旅客化できないか。


○電車を走らせなくても、既存線路を活用した新交通システムを活用したい。
 等の意見が出ていた。しかし、JRからは、「貨物線の廃止は、代替路線がないためできない。」と説明済みの返事であった。

 平成28年区議会でのくどう きくじ議員の質問にも同じ回答が寄せられている。

 区議のうめだ 信利さんが、今も新金線の活用を訴えている。

 旅客化となると、国道と交差している部分の問題などがあり、難しくなり、現実化は厳しいと分かった。

                          
                2016.9.19~10.4取材 10.28編集


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     かつしかPPクラブ  櫻井 孝江