かつしかPPクラブ

わがまち かつしか 2019『東京五輪体感記』(3) 郡山 利行

【 4.1964年10月15日 国立競技場にて 】

 陸上競技日程の二日目、私の母、姉二人(長女と次女)と私は、家族4人で観戦した。


入場券は、オリンピック開会直前、銀座4丁目の小さなチケット売店に姉(次女)と徹夜して並んで買った。


     ≪写真のうえで、左クリックすれば、拡大できて、文字が読めます≫    

 オリンピック競技の入場券を担任の先生に提示したら、その競技当日は、出席扱いだった。

     TOKYO OLYMPIADO 1964 : 共同通信社

 写真右は、同日午後3時40分、男子100m決勝の、スタートの瞬間である。 スターターのピストルの白煙が残っているのが確認できる。

 女子走り高とびは、スタンドの目の前での競技だった。

 1m90cmをクリアして、優勝が決まった瞬間、マットの上で両手を挙げて喜んだ、バラシュ(ルーマニア)選手の姿が、今も目に焼き付いている。


 1966年6月12日、私が入学した中央大学は、体育を受講している

 全学部学生の授業の一環として、国立競技場で運動会を行った。会場入り口で、出席票を渡され、記名して学部学科ごとの箱に入れたら、『出席』 だった。

 競技への参加は、自由だった。
 800メートル走で、先頭を二番手で追っ駆けているのが、1年生の私である。
 1年半前のオリンピックの時、各国の選手達が走ったアンツーカーのトラックを、今自分も走っているという喜びは、生涯忘れないだろう。


【 5.思い出の選手たち】

 オリンピック競技開始の直後、真っ先に金メダルを獲得したのは、三宅義信選手だった。 重量あげが、緊迫感に満ちたスポーツだと、日本中に教えてくれた。

 ・女子体操のチャスラフスカ(チェコスロバキア)選手は、圧倒的な実力だった。今回のオリンピックで、こんなに存在感が強かった選手がいただろうか。

 ・陸上女子800メートル決勝で、優勝したのは全く無名の、パッカー(イギリス)選手だった。 彼女はゴールしたらそのまま、第1コーナー付近にいた、同国の婚約者ブライトウェル氏に駆け寄り、喜びの抱擁を交わした。

 そのシーンは、とても話題になった。

 ・男子柔道の無差別級の決勝で、日本の神永選手に勝ったのは、ヘーシンク(オランダ)選手だった。
 彼は、試合終了の瞬間に、寝技を組んだままの体勢で、母国応援席の熱狂を、右手で制止した。

 あざやかな態度だった。

 ・女子バレーボール決勝で、ソ連チームに勝ったのは日本チームだった。 勝利直後に泣きじゃくった彼女たちの姿は、魔女ではない『東洋の魔女』 選手たちだった。

 ・オリンピック最終日の男子マラソンで、優勝したのはアベベ(エチオピア)選手で、ローマ大会に続き二連覇だった。

 ・円谷幸吉選手は、ゴールの国立競技場内で、ヒートリー(イギリス)選手に抜かれて、3位だった。
 彼は4年後、栄光のマラソン人生を、自ら閉じた。悲しい報道だった。

                      《了》

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