かつしかPPクラブ

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(5)郡山利行

  1964(昭和39)年10月10~24日  第18回オリンピック 東京大会



  高校では、オリンピック競技の、入場券を学校に提示すれば、その日は出席扱いだった。 姉と銀座で徹夜して並んで買った、券である。


 前の席の、外国人女性の金髪が、午後の日差しに、とても美しかった。

 右の写真は、同年10月15日、国立競技場スタンドにて。



  1964年10月15日 15:40 男子100m決勝スタートの瞬間


 写真の中央付近、スタート号砲の白煙が、残って見えている。レースでは、第1コースのボブ・ヘイズが、10.0秒で優勝した。



 1964(昭和39)年から3年間、NHK総合テレビで、『 虹の設計 』 という、TVドラマが放映された。
 建設業界を舞台とした、数々の男たちのドラマの中で、天草諸島に橋を架ける設計の話で、
 筆者は土木技術者に憧れた。
 ≪島と島を結ぶ橋を、海の上に架ける!≫  船乗りになることをあきらめた、自分を見た。

 優しい顔立ちの少年が、たくましく変貌を遂げて、中央大学理工学部土木工学科へと出陣した。

 
【 5.編集後記 】

 高校生までの少年時代の文化的活動を振り返り、主要な事がらを並べてみた。はっきりとした記憶に残る人達は、家族と学校の先生と、小中学校の三人の級友である。

家族 母 郡山トシ、姉 益代、兄 孝丸

 特に、姉益代と兄孝丸の二人は、古希を迎える現在にまで、決定的な影響を与えた存在であったと、改めて強く思った。

 益代姉からは、小学1、2年生の頃、国語の教科書を1冊まるごと覚えてしまうまで、声に出して読まされた。本を読むということに、慣れさせられてしまった一方で、中学高校生時代には、文学本をたくさん買ってくれた。
 そして孝丸兄からは、本の推薦では、弟が好きそうなものを選んで、タイミング良く知識を伝えてくれた。



小学校の先生 大楽先生(1年)、本田先生(2,3年)、大迫先生(5年)

中学校の先生 見上先生(テニス部)、会沢先生(2年)

高校の先生 栗原先生(3年間担任)

小中学校級友 宮城君(小学6年)、山田君(中学1年) 伊澤君(中学2,3年同級)

 少年期を過ぎた後の本読みは、完全な乱読となったが、その結果として、幅広い知識欲おうせいな大人になることができた。

  姉と兄の二人に共通していたのは、外国航路船長だった父から買ってもらった、ドイツ製小型カメラを使った写真撮りだった。
 この趣味の世界を、筆者はストレートに受け継いだ。

 本小冊子の次のステップは、『青春篇』ともいえる、大学生時代を経て、社会人となった土木工事技術者としての、結婚後の家庭生活と、文化・旅行・スポーツ・親類行事などに、分類編集する構想である。
 自分の後世代に残すべき、強い記憶の事がらの瞬間・状況を、穏やかに素直に表現していきたい。

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