A020-小説家

「穂高健一の文芸技法・小説の書き方」① 小説は最後まで読んでもらえば、実力がある

 わたしが小説を書きはじめた30歳のとき、小説技法がわからず、迷いのなかにいたものです。直木賞作家の伊藤桂一氏の小説講座に出合うことができた。それがわたしの人生すらも変えてくれました。

 当時、講談社が芥川賞・直木賞作家を養成しようという趣旨で、フェーマススクール「小説講座」が誕生した。純文学は伊藤桂一氏、エンターは山村正夫(やまむら まさお・ミステリー作家)氏だった。
 受講生は予備審査があり、世に出たい一心のひとたちばかりが集まっていました。

 山村教室からはミステリー作家として宮部みゆきさん、篠田節子さん、新津きよみさんなど著名なプロ作家が続出した。
 かたや、純文学は道が遠く、伊藤教室からは、いちどは文学賞を受賞するが、プロの道まで進めない人ばかり。少なくとも、書店で買ってもらえる作家までたどり着けなかった。
 フェーマススクールは、絵画部門の赤字から数年で閉鎖されてしまいました。

 その後、数十年経った現在も、伊藤教室は「グループ桂」という同人誌をつづけてきています。山村教室もかたちを変えて続けられているといいます。
 当時20~40代のエネルギッシュな人たちばかりだったから、文学の火を消したくないと継続できているのでしょう。


写真:宮古島

 わたしは現在、読売カルチャー金町、目黒学園カルチャースクールで、ともに「文学賞をめざす小説講座」を開いています。ときどき、講師だった伊藤桂一氏のことばを想いだします。

「講師は自分の創作の仕事がありながら、受講生・数十枚の作品を目を凝らして読まされることになり、少々の読み取り料をもらっても、たいそう負担になる。小説が好き、人の面倒を見るのが好き、読むことを苦にしない、という性格でなければ、つとまらない」
 と著作のなかで書き記しています。まさに、作家を育てたいという熱意がないとできない。

 わたしは時おり、このように語っています。
「純文学作家として、プロの道に進めたのは、伊藤教室・伊藤桂一先生のおかげです。先生への恩返しのつもりで、小説を書きたいという後輩に、作家になる道の手助けをしています。だから、指導のために、手を抜きません」
 受講生が最高だと思った提出作品に、朱が入れると、失望して去っていく人が多い。

「穂高教室は、入ってきた人数だけ、止めていきますね」と、受講生にからかわれたりする。それは、小説で世に出るには、狭い関門を潜らないと出ていけない。文学賞を取らないと、世のなかの人は買ってまで読んでもらえない。
 世のなかで、最も賄賂が効かない世界ではなかろうか。

 良いところは褒めてあげて、そこを伸ばす。悪いとろこでなく、改善点として、このように変えてみたら、と示してあげる。

 受講生を引き留めるための、おべんちゃら(ほめ殺し)は使わない。それに徹している。



            写真:山口線   
 
 私の指導のなかには、純文学へのこだわりがあり、カルチャーの小説講座は、文章作法がうるさいと思う。

 主語+述語、その関わりが悪い。助詞の使い方は、ここでは「は」でなく、「が」です、といった点までも、チェックしたりもする。

 皆さんが文学賞に投稿しても、基本的な文章、小説技法ができていないと、「世に出る資格はまだない」と、いとも簡単に捨てられてしまいます。
 皆さんが応募作品100枚~400枚の原稿を書いても、大半は最初の1、2枚しか読んでもらえないのですよ。悲しくなるでしょう。

 なぜならば、文学賞は一人、優秀賞、佳作など入れても、3人ていどです。仮に1000作品の応募があっても、997作品を棄ててしまえばよいのです。

 1000作品でも、下読みはせいぜい3人ていどです。(大半が微細な予算)。下読みには一人あたり段ボール箱で、300人分ていどの作品が送られてくる。「最後まで読める」その作品を抽出すればよいのです。
 つまり、振り落す作業です。

 下読みはほとんど1週間くらいしか期間はありません。全員のリストにABCのランク付ける。Aランクの作品だけ編集部にもどす。あとは、ゴミ箱行きである。

 下読みから挙がってきた作品の50~100枚が一次通過作品になる。残り900作品はどこか焼却炉に消えている。それが厳しい現実です。
 わたしの知人の小説の下読みは、多少の差はあれども、そんな体験談を語って聞かせてくれます。

 一次予選通過は編集部が手分けして読んで、2次予選を決める。そして、こんどは編集部全員で読んで、候補作を確定する。
 
 わたしは指導する場合、伊藤桂一氏がつねに『最後まで読んでもらえる小説を書きなさい』ということばを座右の指導の言葉としています。

 小説は一人よがりでは読んでもらえない。どんなに執筆に月日や歳月をかけても、小説作法の基本ができていないと、最初の書き出しで、終わりです。
 これでは淋しいし、悲しい。

 そこで、このHPでも、カルチャーで受講生に指導しているレジュメ(教材)などをつかい、「穂高健一の文芸技法・小説の書き方」として連載しよう、と考えました。

 今回は、小説の応募作品はどのように扱われるか、と知るかぎりの内情を示しました。


※ 部分引用・全部引用の場合、「穂高健一の文芸技法・小説の書き方」と明記していただければ、非商業誌、商業誌の転載もOKです。

 小説を書くひと、読むひとが増えれば、それが文化の発展につながりますから。 
    

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