五 O 一 人 の 遭 難 (歴史小説)
※著作権付き小説。無断引用厳禁。
民家はことごとく全壊し、海岸沿いの建物は津波でさらわれていた。伊豆下田港の湾内には家屋の柱や板、小舟の破片、牛馬や犬猫の死骸、藁屑、着物など雑多なものが、海面を覆いつくす。
「生きていられたことのほうが不思議だ」
勘定留守役の中村為弥時万(ためや ときかず)が、先刻から何度もつぶやいていた。
巨きな地震が発生したあと、裏山へと避難していた為弥だが、被害状況の掌握のために山から海岸までおりてきたばかりだった。袴をきる余裕もなく、帯刀だけは差し、慌てて雑木林の斜面を逃げたことから、着物の裾や足袋や草履が泥で汚れ、頭髪は樹木の枝で引っ掛け乱れていた。
地震発生からすでに二刻ほどが経つ。だが、海岸に立っていても、足下が突然つよい余震で揺れる。大災害に遭遇したのは、四十二歳してはじめての経験である。大津波がふたたび襲いかかってくるのではないかと、いまなお恐怖心に襲われる自分を知った。人間は自然災害のなかにおかれると、為すすべもなく、じつに弱いものだと為弥は実感した。
中村為弥が日露交渉の応接掛のひとりとして伊豆下田にやってきたのが、嘉永七年(一八五四)十月二十二日だった。それから十三日後の、十一月四日の午前八時すぎ、大地震に遭遇したのである。
為弥の視線が、全壊した下田の町なみから、湾内に停泊する二OOOトン級のロシア戦艦ディアーナ号へとながれた。沈没はまぬがれたディアーナ号だが、四本マストのうち二本は根もとから折れ、舵の軸は曲がり、船体は七分ほど傾く。海岸から遠望するかぎりにおいても、かなり大破していた。戦艦の甲板では大勢の水兵が忙しそうに、船内の浸水をかきだしているようだ。
プチャーチン提督がかつて長崎に入港したときは、軍艦四隻だった。クリミア戦争でロシア艦が数多く海戦にとられているらしく、このたびの下田への来航はディアーナ号ただ一隻である。このさき航行不能か、沈没でもしたら、かれらは一体どうする気だろう。ディアーナ号がロシア最新鋭の機帆船だとはいえ、不慮の遭難は充分予測できたはずだ、なにも一隻で下田に来航することはなかったはずだと、為弥は批判の目をむけていた。
「ひどい惨状だな」
と背後から声がかかった。
「これは、お奉行どの」
日露交渉の最高責任者のひとり、勘定奉行の川路聖謨(かわじ としあきら)であった。
「町はおそろしく無残な姿になったものじゃ。江戸表への報告は、下田は全滅、これ以外のことばはないな」
川路は特徴のある露目で、相手の顔をじっとみつめながら、しゃべる癖があった。
「おっしゃる通り、こんな修羅場はほかの表現ではいたしかねます。住民にも、かなりの死者がでた模様です」
くわしい被害状況はいま下田奉行らが調査ちゅうでありますとつけ加えた。
「町なかの対応は下田奉行に任せるとしても、問題はあのディアーナ号じゃ。このさき大きな問題を背負いこむかもしれぬな。ところで、乗組員の数はどのくらいだ?」
「さだかには判りませぬが、戦う艦(ふね)である以上、兵力から見積っても、おおかた五OO人前後かと存じます」
「そちは予備交渉役の責任者として三度も、あのディアーナ号にでむいておきながら、ロシアの黒船に、いったい何人乗っておるのか、それすらもつかんできておらぬのか」
川路が嫌味たっぷりの口調でいった。
「プチャーチン提督はなかなかの切れ者。あちらの内情は簡単に明かしませぬ」
「中村にいわれなくても、外交相手のプチャーチンの性格くらいわかっておる。ロシア側が隠したがることを訊きだすのが、そちの大きな役割じゃ。心得ておけ」
一昨日には日本側の全権七人が、ロシア艦に招待を受け、会食している。同席した川路すら、それをさぐる気配すらみせなかったではないか。川路はなにか事が起ると、すぐ配下の行動をなじり、問い詰めてくる。そんな性格に反発をおぼえたが、為弥は身分の上下から当然口にはだせなかった。
「不徳のいたすところであります」
骨格の太い肩幅のある為弥は、あえてその身を小さくするように詫びた。
「乗船人員の数は早そうにさぐっておけ。しかと命じたぞ。よりによって、この下田で大地震が起こるとはな。ロシアとの交渉の先行きが暗澹たるものとなりそうじゃ」
「たしかに」
ロシア皇帝から任命されたプチャーチン提督が、昨年来、長崎にやってきて日露条約の締結を迫った。
日本側がかれらの要求の一つひとつを江戸表の幕閣に打診するため、交渉は遅々として進まなかった。プチャーチン提督はいらだち、長崎での交渉を打ち切った。
ロシアはクリミア戦争のさなかだけに、しばらく音沙汰はなかったが、突如として下田にやってきて再交渉を迫ったのだ。この下田港ならば、日本側がすぐに打診したがる江戸表に近いだろうといわないばかりに。
あわてた幕閣は、窓口は長崎のみであるとロシア艦を追い返そうと努めたが、プチャーチン提督は頑固一徹うごかなかった。幕閣はやむを得ず、下田に日露応接掛をさしむけてロシアとの交渉に応じたのである。
公式の第一回下田会談がきのうであった。
日露交渉の全権は、長崎で交渉にあたっていた大目付の筒井肥後守(つつい ひごのかみ)と川路聖謨がそのまま任命されていた。筒井肥後守は七十七歳の高齢で、実質の最高責任者は五十四歳の勘定奉行の川路聖謨である。
そのほかの陣容は下田奉行の伊沢美作守(いざわ みまさかのかみ)、目付の松本十衛門、さらに勘定吟味役で北海の事情に通じた四十二歳の村垣淡路守(むらがき あわじのかみ)。蝦夷地御用の村垣はロシアとの北の国境問題では外せない存在で、松前から呼び寄せられている。序列として次につづくのが勘定留守役の中村為弥であった。折衝能力と外交実務の手腕をかわれた為弥は、長崎につづき予備交渉の責任者であった。
公式の交渉はオランダ語を通しておこなわれていた。その通事には、ペリーとの折衝にもあたってきた三十九歳の森山栄之助、古賀謹一郎三十八歳、さらに長崎の通事の家に生まれ育った三十一歳の掘達之助らである。
日露交渉は、ロシアとの国境の線引問題があるだけに、本腰を入れた外交交渉でもあった。その面からも、幕閣は三十代から五十代の円熟した、とくに各方面から有能な人材を選りすぐってあつめていた。
川路がふいに恐怖の記憶がよみがえったような顔で、大地震が発生した直後の状況を亢奮も冷めない口調で語りはじめた。………余震がつぎつぎに襲ってくるし、迂闊に外に飛びだせば危険だと判断し、川路は宿所の稲田寺の本堂でじっとしていたという。
「あのまま本堂で留まっておったなら、次にやってきた大津波にのみこまれていたじゃろう。そちが山への避難を呼びかけなかったら、いまごろ余の死骸は湾内の木屑とともに海面を漂っておった。いのちの恩人じゃ」
と感謝するところは素直に認めていた。
「いのちの恩人とは、やや大げさにございます。拙者が戸外に飛びだしたら、地場の漁師たちがいまに津波がくるぞ、高台に逃げろ、と騒いでおりましたから、その足でお奉行どのの宿所に飛込こんだのでございます」
その折り、自分の家来たちにも、山に逃げろ、山に逃げるのだと避難をうながした。支配勘定の上川伝一郎が先頭に立ち、書類をもった近習、中小姓らと高台へと逃げた。途中の民家は倒壊し、石塔、灯篭すらもほとんどが倒れていた。四つんばいで道なき雑木の山を登る。川路聖謨も後についてきた。
大安寺山に四分通り上がったとき、大津波の一波がやってきた。間一髪だった。眼下の田畑には巨大な潮が押し寄せる。湾内の海面がもちあがり、和船がまるで翔ぶように町なかの川を遡ってきた。そして、潮は急に引いた。繋留されていた船が引き潮の渦巻きで引き裂かれる。また、大浪が押しよせる。そのたびに、停泊ちゅうのロシア戦艦が烈しく回転し、船体が傾き、岩礁に打ち叩かれていた。
大安寺山の山頂にきてみると、いばらをかきわけてきた手足は傷だらけであった。山頂にいても十数回の大揺れがあり、眼下には津波がくり返しやってくる光景があった。
そんなはなしの過程で、川路が日露応接掛の皆の安否が心配だとくりかえした。
「あの者に訊いてみましょう」
為弥の視線が、被害状況を調べている下田奉行配下の与力にむけられた。かしこまった挨拶をした与力は、日露応接掛の方がたは仮奉行所の宝福寺におあつまりですと言い、道案内を申しでた。そちにはそちの急務があるはずだと、為弥は断ってから、川路に、
「宝福寺に出むかれますか。今後の対応を、急ぎ協議されたほうがよいかと存じます」
「そういたそう」
「半倒壊の家が路上にいつ崩れないともかぎりませぬ、充分にお気をつけられますように」
為弥が道案内をつとめた。
地震の被害をうけていた宝福寺の境内には、日露応接掛の陣容があつまっていた。全員の無事が確認できた。小時して、本堂で一同が会し、まず下田奉行の伊沢美作守から、町の被害状況の概要報告をうけた。
全戸数が八五六戸のうち、流出は八一三戸。半壊は二五戸。無事だった民家はわずか一八戸で、一割にも満たない。そのうえ、下田に係留していた諸藩の八百石廻船などが十三隻、地場の漁船がすべて木っ端微塵に破壊されたという。
《嘉永七年十一月四日の午前八時に発生したこの大地震は、安政の東海大地震と呼ばれている。下田奉行などの資料から推定されるマグニチュードは八・四である》
日露応接掛たちの関心は、町の被害もさることながら、破損したロシア戦艦に対する今後の対応だった。戦艦の被害状況がすべて推測だけに、ロシア側の出方は憶測となり、結論のでない協議となってしまった。
「まず、中村為弥どのがロシア側と接触し、戦艦の被害を明瞭につかむ。それが第一。被害が確認されてから、再度、協議じゃ」
大目付の筒井肥後守の意見で、急場の協議が終決した。
為弥はふと昨年からの自分をかえりみた。長崎で日露会談に臨むにあたり、日本側全権から中村為弥は名指しの任務を与えられた。それは会談に先んじて協議要綱を記した覚書を持参し、ロシア艦に出むくという役割だった。覚書をただ持参するのみでなく、プチャーチン提督の思惑や出方をさぐることであった。大地震直後のいまも、戦艦の内情というか、相手が隠したがる状況掌握のために、いの一番に出むかされる。自分の立場はつねに胃臓の痛む責務にあるとおもった。
散会後、為弥は自分の家臣に今晩の宿所を探すように命じた。身の回りのことはそれだけである。あとはお役のほうに身をさいた。「森山、海岸にいってみようか。大破したディアーナ号に乗り込むにしても、岸にまともな小舟があるかどうか定かではないが」
森山栄之助とはふだんから仲がよかった。
「さっきも津波の再来があったそうです。まだ用心に越したことはありませぬ」
「昼過ぎてから、地震も小振りになった。もう大丈夫だろう。おびえた顔だな。拙者がそちの生命を保障してやる」と笑ってみせた。 為弥は森山と肩をならべ、家々が倒壊した廃墟の街なかから海岸へとむかった。
すべての漁船が打ち砕かれた波止場では、大勢の住民があつまり、自分たちの被害もそっちのけで、ロシア艦の難破を喜んでいた。ディアーナ号から降ろされた提督用カッターが、海面のゴミを押し退けるように、こちらにむかってきた。おおかた艦上から望遠鏡で、為弥の姿を見つけたのだろう。
赤いシャツのうえに縞模様の水兵服をきた四、五人の乗組員が器用にカッターを操ってくる。中央には、金モールの軍服をきたプチャーチン提督の姿があった。茶色い頭髪がやや禿上がるが、口髭は豊かであった。
副官ポシェート少佐もいた。洗練された軍服を身につけたポシェートは、こちらと視線があうと、無事を歓びあうかのようにかるく手をあげた。かれは蘭語が堪能な外交官である。たがいに予備交渉役として、長崎から丁々発止とやってきた間柄だけになにか通じあうものがあった。
廃墟の町に上陸したプチャーチン提督が岸辺から大股で歩み寄ってきて、あなたがたの被害は甚大だとおもうが皆は無事かと、英語で訊いた。森山がそう通訳する。
この提督は若いころイギリス留学の経験があり、また英国人女性を娶るなど、英語に精通していた。しかし、公式の外交交渉の場ではポシェート少佐のオランダ語でとおす。
「応接掛にかぎっていえば、全員が無事です」 英語で応える森山は語学においては天才的な人物である。オランダ語のほかに、このように英語もはなすことができた。かつてアメリカの捕鯨船の船員マクドナルドが、利尻島で遭難し、長崎に送られてきたことから、十数名で英語を学んだという経歴がある。単に通事としての能力だけでなく、交渉能力もあるので、森山は日米和親条約の折衝にも選任された人物である。
「大地震で全員無事とはよかった」
プチャーチン提督が異人特有の大げさな慶びをみせた。森山の通訳を介する為弥は、一呼吸も、二呼吸も遅れて感情を表わす。
「住民が多く負傷されたとおもわれるが、われわれは怪我人の手当に協力したい」
といってひとりの医師を紹介した。森山がその人物の名を為弥に教えた。
戦艦が津波で大破しながらも、人道的な気づかいができるプチャーチン提督はさすがに大物、ロシア皇帝が人選し、日本に送り込んできた人物だけのことはあると、為弥は医師と握手しながら感心させられた。
異国人と握手する光景をみた、取り巻きの住民がいまにあのお偉方の手が腐って落ちるぞ、とささやいていた。
為弥は長崎でいろいろ見聞した経験から、西洋医学がわが国の医術と比べものにならないほど、高度に進歩しているとわかっていた。この大災害の現場で、西洋の進んだ医学の手をかりれば、負傷者のいのちが数多く救われるだろうと、為弥は疑わなかった。
「ありがたいはなしだが、医療の援助はお断わりしたい。町は混乱しているうえ、新たな問題が生じる」
為弥が日本語で森山にいった。森山が英語でプチャーチンにそれを伝えていく。その間、提督がどんな反応をしめすかと、為弥は相手の顔を凝視していた。
「新たな問題? これは人道的な申し出である。中村さんの拒絶は、理解に苦しむ」
「住民は、なにぶん異国人に慣れておらぬゆえに」と自分でも意識できるほど、ことばの歯切れは悪かった。
「これだけ大被害をうけた町だから、怪我人も大勢いるはず」
「あれを観てほしい」
住民らが、上陸してきたロシア人を遠巻きにし、やたら罵声を浴びせている。弱腰幕府、なぜ異人船を焼き払わないんだと叫ぶ。
「日本人の心はよくわからない。津波にさらわれて溺れかけた人間に、こちらが救助の手をさしのべても、みな拒絶して死んだ」
津波がおさまったころ、艦からカッターを降ろした水兵らが、海面に漂う十数人の民衆の救助にむかった。しかし、水兵が手をのばすと、日本人はそれを嫌って海中に沈んでいった。それでも、艦に三人ほど救けあげたが、そのうち一人は海に身を投げて死んだという。提督は不可解な表情で語った。
漁船が沖合で難破し、異国船に救助された場合の受入れ窓口は長崎のみである。しかし、ひとたび異人に接したものは終身、牢獄に拘禁される。それが鎖国の掟だった。
自然災害とはいえ、異人船のディアーナ号に救助されたら、奉行に引き渡されて投獄されてしまう。親族までもが囚人のでた家として白い目でみられ、村八分のような扱いになると、ごく自然に考えたはずだ。身内に迷惑が及ぶならばと死を選んだにちがいない。住民にすれば、異国人の手による漁船漂流の救助も、津波の場合もおなじ意識なのだ。
住民たちはいまなおプチャーチンたちを遠巻きにし、異人は帰れ、不吉な異人は帰れと叫ぶ。ロシア人が神仏を怒らせたから大地震が起きたんだぞ、と老人が煽っていた。
「陸上の負傷者のほうは、日本人の手でなんとかできる」と丁重に断った。
「必要ならば、昼夜を問わず協力する。水兵たちのなかには看護技術をもったものがいるから、いつでも遠慮なく申してほしい」
「その節にはおねがい申す。ところで、貴殿の艦は、航行することは可能であるか?」
「いまの状態では航行不能。船体の損傷が大きすぎるし、補修しないと動かせない」
「沈没する恐れがあるのか?」
為弥はその答がこわい気もした。
「このまま修復しなければ、沈没するだろう。船底の浸水のかいだしにも、おのずと限度がある。耐えても十日。それ以上はむり。そこで艦を修理する場所を提供してもらいたい」
「条約を結んでいない国の、異人船の入港はあくまで長崎とかぎられている。貴殿の国とはまだ条約の締結ができていない。遠くて、気の毒だが長崎に回ってもらいたい」
為弥は自分でも杓子定規な回答だと思い、拒絶されるだろうと予測できた。
「長崎? とてもむりだ。回航のさなかに沈没する。修理地として浦賀を希望したい」
「浦賀? 江戸に近すぎる。老中に打診したところで許可は出ない」
「艦はたえまなく浸水している」
「この下田港で修理するなら、人道的な面から協力できるかもしれない」
ロシア艦が難破した港なら、幕閣は話のもっていき方で、渋々、妥協するだろうと、為弥にはそんな読みができたのだ。
「下田は大型艦の修理にむかない」
プチャーチンが即座に首を左右にふった。
「下田は良港である。拒否される理由をおしえてもらいたい?」
「この港は浅瀬がないし、そのうえ外洋の波が入ってくる。もう一つ、おなじような大津波がふたたび湾内にやってくる恐れがある。そのふたつの理由から下田は造船に適していない。われわれはアメリカのペリーが入港した浦賀を希望したい」
「アメリカ人の行為は野蛮で、大砲を打ち鳴らし、強引に入港してきた。日本はあのやり方を容認していない。浦賀はだめだ」
断るべきところは断る。異国人相手に、あいまいなことばは厳禁だと、為弥は自分に言い聞かせていた。
「浦賀がだめならば、波のしずかな清水か、浜松ならば修理場として良港だから、そちらを希望したい」
「清水か、浜松………。要望された二港は、東海道筋にある。日本で最も主要な街道。老中に打診したところでむりである」
ロシア人は一度も入港していない東海道の港までも調べあげている。かれらの探索能力は、想像以上にすばらしいものがありそうだと、為弥はおどろきの目をむけていた。
「いずれの港にせよ、即決はむずかしい。すべてにわたり幕府の決裁がいる」
「ディアーナ号は沈没寸前で、猶予がない。修理場所の提供は人道的なもの。救助はその場の上官が決めるべきだ。ほかの東洋の国とちがい、日本は教育もある、礼節もある国だ。中村さんがなぜ即決できない?」
「日本ではそれができぬ。援助物資の供給ならば、この中村の判断で約束もできるが?」 為弥は話題の矛先を少しずらした。
「食料や薪の支援をもあおぎたいとは思っていた。ぜひ協力してほしい」
「貴艦にはいったい乗組員が何名いる? 下田の町が全滅したいま、人数分の食糧確保は早め対処しておく必要がある」
「乗船は五O一人。うち水兵一人が搭載していた大砲の横転で圧迫死した。死んだ水兵は陸上で埋葬したい?」
提督の目には悲しみの翳があった。
「生者の駐在はできぬが、埋葬ならばよかろう。念のために一日猶予をもらいたい。下田奉行に許可をとっておく。ただし、キリスト教禁止の国だから、牧師の上陸はできぬ。葬儀は艦でおこなってから、遺体を揚げてもらうことになる」
「われわれは日本の法に従うことを約束する」
プチャーチン提督はそばに群生する野菊に手をのばした。うす紫色の野菊は、津波の濁流にも耐えて岸辺で咲く。艦上の死者に供えてやるのだろう、提督は花弁の濡れた野菊をさらに三、四本摘んだ。
「貴艦の修理場所は追って回答する。ほかに日本側に協力してもらいたいことがあれば、この中村にいってほしい。人力は尽くす」
「当座は、重たい大砲と砲弾を陸揚げしたい。五十二門が船体に負担になっている」
「五十二門と砲弾の陸揚げ?」
耳を疑った為弥は、通事の森山に問いなおさせた。森山は間違いないという。
「大砲を預かってもらえれば、ディアーナ号の浸水が半減できる」
「西洋の進んだ武器を、日本に預けたら、貴艦にむけて砲撃されるという畏怖はないのか」
「日本とロシアはともに戦いを望んでいない。それに、日本はここ数百年、戦争が起きていない。大砲を使った戦い方は知らないはずだ」
プチャーチン提督がにたっと笑った。それにしても大砲を預けるという提督の度量の大きさにはおどろかされた。野菊の花をもう三輪摘んだプチャーチンは、カッターに乗り込み、ディアーナ号のほうにもどっていく。
「この報告は至急、応接掛の皆に伝えねばならないな」
海岸に背にした為弥と森山は、崩壊した町なかの仮奉行所へとむかう。道々は異様な光景であった。老若男女の死体のみならず、牛馬の死骸が散乱する。津波で打ちあげられた漁船が民家に突っ込んで砕けていた。
血だらけの負傷者たちが路上に敷かれた布団に横たわる。死んだ赤子を抱きしめた母親が頬に涙を伝わらせて泣く。家屋の下敷きになった身内をさがす声があちらこちらから聞こえた。
こうした光景をみるほどに、ロシア人医師の援助活動を断った自分の判断がはたしてよかったのかと、為弥は思い悩んだ。
西洋医学があれば、大勢が助かる。それを拒絶した自分は一体なんだろうか。被災者を見殺しにするも同然ではないだろうかと、自責の念にかられていた。
もっとも提督の申し出を日露応接掛の面々に話したところで、ロシア側の医療援助は大きな借りができる、日露交渉の場において不利な材料となると賛同は得られないだろう。
仮奉行所の寺は、何度目かの余震で崩壊していた。もはや無人だった。皆はどこに移ったかと、被災した住民たちに訊いても、かれらは自分の身のことで精一杯で、情報が混乱し、不明瞭であった。境内を囲む築地が倒壊し、その瓦礫の下から、助けをもめる少女の声がきこえた。為弥は手をあつめ、瓦礫を取りのぞき少女を助けた。足を痛めた十歳くらいの少女が、激痛から顔面をゆがめて泣く。泥土で汚れたきものの裾をめくると、右足が骨折していた。為弥は添え木をあて応急手当をしてやった。泣く少女の口から、材木屋の娘ハルという名をききだし、近隣の住民らに親をさがすようにと依頼した。
「大丈夫だ。きっとよくなる」
ハルの頭髪をなでた為弥は、いまきた道を引き返す。自分の家臣たちに出会った。かれらは亢奮した口調で町なかの惨状を語る。そのなかで、被害にあっていない神社仏閣は大安寺の薬師堂くらいだという。
「ならば、手分けして応接掛の面々を町なかからさがし、薬師堂に召集してきてほしい」 そう指示した為弥は、一足先にそちらに出むいた。薬師堂に幕を張らせたうえで、日露応接掛の一時避難場所ときめ、堂内に序列の席をつくらせた。一刻後、応接掛たちが薬師堂にあつまってきた。為弥はプチャーチン提督から申し出のあった、戦艦の修理場所についての討議に入ってもらった。
「長崎以外の港はならぬ。中村、明瞭に拒絶するのじゃ」
川路が強烈に主張した。
「とは申せ、長崎までの回航は長すぎまする。長崎にむかう途中で」
といいかけた言葉がさえぎられた。
「曖昧な返答はならぬぞ。露人は、こちらが甘い顔をすればすぐにつけこむ悪い癖がある」
川路に話の腰を折られた為弥だが、ここは引けず、自分の考えをのべた。
「戦艦が瀬戸内に入り、そこで沈没したなら、五OO人からのロシア人が上陸してきます」
「その時はその時で対応すればよいのじゃ」
川路が癇癪をなげつける口調でいった。
「もし上陸地が紀州や、堺港となれば、京の都に近うございます。いまや都の治安は乱れ、攘夷派の連中も多い不穏なところ。プチャーチン提督たちロシア人はたえず生命を狙われます。五OO人からの異人を警備するとなると、これまた膨大な人数と費用が必要かと存じます。もし一人でも殺されたら、ロシア側に戦いの口実を与えてしまいます」
為弥は村垣淡路守のほうに視線をむけ、暗にこのあとの説明を受け継いでもらった。
北海の事情に通じた村垣は、もし日露条約が結ばれなければ、ロシア側は南下政策から武力で北方の島々を奪いにくるだろう、勢いづいて択捉島と国後島のみならず、蝦夷地まで奪いかねないという。それを阻止しようとすれば武力衝突が起きる。そこから日露の本格的な戦争となるだろうと予言する。
「いまの幕府に、諸外国と戦うだけのちからはありませぬ。強国ロシアに戦争の口実だけは与えてはなりませぬ」
為弥は粘っていた。
「うむ」と川路は腕組み、目を閉じた。
「また、応接掛もロシア人の上陸地に移る必要があります。攘夷派の連中の目を意識し、ときには刃に襲われたり、わが身を危険にさらしながらの日露折衝となりましょう」
「七十七歳になって、攘夷派と刀を交えるのは、しんどい話じゃの」
大目付の筒井肥後守が長崎回航の反対にまわったことで、雰囲気が一変した。
「警備の面となれば、伊豆界隈が一番かな」
筒井が下田奉行の伊沢美作守と、目付の松本十衛門のほうをみた。ふたりは無言であったが、大地震の被災地で、日露交渉の継続すら負担があるといいたげな視線であった。
「長崎へ回航なしとすれば、ディアーナ号の修理はこの下田港となるだろう」
川路がそう見通す。
「それはできぬ相談というもの。大災害をうけた下田では、大型戦艦の修理に関わっておれぬ。町の復興が第一でござる」
伊沢が下田奉行の立場で急にむきになって反論した。あらたに判明した被害状況を延々と説明するのだ。筒井が割って入った。
「きょうこの場では結論がでぬな。応接掛の意見だけで決めらぬ大きな問題じゃ。プチャーチン提督の要請を、そのまま幕閣の阿部正弘どのに伝える。いっさいの判断は老中に任せたほうがよかろう」
江戸表への使者は村垣淡路守が選ばれた。
「老中の回答がでるまで、中村、プチャーチン提督に軽々しく、約束事などするではないぞ。念のために申しておく」
人格を疑った川路のことばは、為弥のこころを傷つけた。為弥は無言だった。
こうした会合の席で、川路はなにかと話の主導権を握り、誇示したがる。それは才気ひとつで勘定奉行まで登りつめてきた、上昇思考の強い人間特有の態度でもあった。
川路は幼い頃、父親を亡くし、母親に手を引かれて江戸にやってきた。苦労に苦労をかさねて極貧生活から脱却し、やがて出世街道を突っ走り、佐渡奉行、大阪奉行、さらに幕府の要職である勘定奉行まで登りつめてきた人物である。常日頃、後世に名を残す仕事をしたいというのが口癖でもあった。
名を重んじる人物は、己れが傷つくことを極度におそれる。それゆえ人前でこちらが反発でもすれば、執念深い恨みをもつだろう。それがわかるだけに為弥は反発もせず、腹立たしさを胸のうちに押さえこんでいた。
散会後、応接掛は身の置き方に追われはじめた。それぞれ下田郊外へ住居を移す。川路はふるくから湯治で名が知られた連台寺村の、広台寺を宿所と決めてそちらに移った。
為弥は、窓口のポシェート少佐と条約の草案造りの折衝があるので、下田に留まり、大安寺薬師堂を寝起きの場所とした。
夜が明けると、為弥は予備折衝の会場である長楽寺に脚をはこび、上陸してきたポシェート少佐とむかいあう。少佐は日々深刻な表情で、戦艦の沈没の危機を訴える。
「老中の回答はどうなった?」
「まだ回答がとどかぬ。さらなる猶予を」
「猶予? なぜ人道的な配慮ができない。わが戦艦を沈めて喜ぶ気か」
気性の強い顔立ちのポシェート少佐は、為弥の煮えきらない態度に激怒したり、落胆したり、苛立ちながらテーブルをたたく。
「気持ちを鎮めてもらいたい」
「窓口の人間がこうも優柔不断では、条約の締結すら本気がどうか、疑わしい。われわれに別の解決の道を選ばせる気か」
「別の解決?」
「想像すればわかるとおもう。外交交渉が決裂すれば、残された手段はかぎられている。古今の歴史をみればわかることだ」
「武力による条約締結の強要であるか」
「プチャーチン提督も、私も紳士的な話し合いによる条約を望んでいる。しかし、ディアーナ号の沈没とともに、われわれが不帰の者となれば、ロシア皇帝は次の人材を選ぶ。だれもがプチャーチン提督とおなじ穏健な考えをもった軍人とは決まっていない」
「少佐の心情は痛いほどわかるが、いまはただ老中からの回答を待っていただきたい、としかいいようがない。明日にはくるだろう」
「ただの回答の引き伸ばしだけではないか。五OO人からの水兵は自艦が沈没し、異国の地で骨を埋めるのかと、強い焦燥感と絶望感に襲われているんだ。おなじ人間として、われわれの境遇や痛みが感じとれないのか」
ポシェート少佐の怒りの目が、為弥に強い負担となっていた。だが、少佐の鋭い視線から逃げず直視していた。
為弥は応接掛に任命された直後からの自分をかえりみた。川路奉行から、裏舞台の地味で厄介な予備交渉役という役目を押しつけられたうえ、身勝手さに振りまわされ、責任ばかり背負いこまされてきた。ロシア戦艦の修理場所提供は、未曾有の難問で自分の手に負えない。決定権のある川路がみずから乗りだすべきだと、心の反発と結びついていた。
……大地震が発生した日、提督から医師の援助活動の申し出がありながら断った。西洋医学の手があれば大勢が助かったはずだ。自分は助かる人間すら見殺しにしたも同然、街で負傷者をみるたびに心を痛めている。
ロシア人医師を断った背景は、自分が応接掛の体制と枠組みからはみだせず、事を丸くおさめるという自己保身の色合が濃かったとおもう。これでは内心いつも批判する、御身大切の川路発想とおなじだ。
応接掛の皆が江戸表の幕閣ばかりに顔をむけ、戦艦ディアーナ号に不十分な補修の場しか与えず自国へ帰航させれば、悪天候ひとつで難破してしまうだろう。大勢の困窮の人間を助けずして見捨てたならば、将来にわたって日本人の恥となる。少佐がいう人の道として、だれかがこの難局を切り開き、ロシア側の窮地を救ってやる必要がある。まわりを見渡しても、おおかたこの自分しかいない。
幕府の方針や考えと対立してでも、かれらが希望する港で戦艦を補修させてやろう。絶対服従の封建制度のもとでは、幕閣と正面きって対立できない現実もあるのだが……。
老中の阿部正弘から早馬で、返書が下田にとどいた。……戦艦・ディアーナ号の修理は許可する。ロシア側に食料は与えてもよい。
その二項目が老中決定と記されていた。しかし、被害をうけた下田港で修理すること、他の港はいっさい認めぬ。プチャーチンの要求どおり、清水港か、浜松港などで修理を認めると、アメリカやオランダにも、長崎、下田、箱館以外での入港許可をだすことになる。悪い先例はつくるな、という内容であった。 為弥は、期待が逆さ落としになったような失望をおぼえた。またしても、いやな役柄だったが逃げるわけにもいかず、小舟で通事の森山とともにディアーナ号にむかった。
艦上の提督が、むっとした表情で、老中の決定を伝える為弥をにらみつけていた。そして、竜骨の破損や、船尾の破砕などを視てもらいたいと造船技師のシリング海軍大尉らを説明役とし、船内へと案内するのだ。
船底から海水が盛り上がるように浸水していた。為弥はことばを失った。
「ディアーナ号を沈没させれば、それは日本にとって得策ではないはず。真の友好がなければ、和平条約の交渉は決裂するだろう」
と日露交渉の暗雲を示唆したうえで、
「歴史的にみても択捉島、国後島はもともとクリル人のもの。クリル人はロシアに帰属している。この面では一歩も譲る気はない。われわれは占領してきた松前藩から奪い返す義務がある。日本側が交渉の道を閉ざすなら、残された道は力による奪回である。しかし、私はそれを望んでいない。ここ百年間をさかのぼれば、日露とも択捉島や国後島で、何度も衝突やいざこざを起こしている」
一七六六年(明和三年)には、ロシア人が択捉島に上陸し、測量をしていたところ、日本人が追い返した。
一八O五年(文化二年)、ロシア軍艦が択捉島を反撃した。
一八一一年(文化八年)、国後島で、松前藩の守備隊がロシア戦艦の艦長ゴローニンを捕らえて拘禁している。
一八一二年(文化九年)、ロシア戦艦が、幕府の命を受けて漁場の開拓をおこなっていた高田屋嘉兵衛を捕らえられている。
一八一三年(文化十年)、ゴローニンと高田屋嘉兵衛の捕虜交換がなされている。
このところ、とくに日露の間で国境をめぐり緊張が高まっている、双方がいつ激突してもおかしくない、一触即発の状態にあると、プチャチーンが強調した。
「貴殿の希望は幕閣に伝えたが、そちらの港の使用許可がでない。拙者の一存では……」
老中の決定は絶対的なものである。日露の交渉事が老中の裁定から外れないで進んでいるか否かと監察のために、目付の松本十衛門が応接掛に加わっているくらいだ。
為弥は独自の判断で対応できない自分がまたしても無能で腑甲斐なくおもえた。
「納得がいかない。私が直接、江戸城に出むき、窮状を訴えてもよい」
提督は欝憤を吐きだすような口調でいった。「異国人の江戸登城など絶対に許されない」
為弥はみじんも引かない態度であった。ロシア人がそんな不作法に及べば、予備交渉で押し止められなかった自分が腹を切っただけではすまないだろう。提督が江戸にいく、行かせないで押問答がつづいた。為弥はある種のひらめきというよりも、この場の収拾から第二回の正式会談の開催を提案した。
「貴殿の口から直接、日本側の応接掛に具体的な港を要求されたらよい。拙者を介するには限界がある。ただ江戸城に出むくはなしは絶対やめたほうがいい。会談が紛糾する」
「修理港の要求が、これまで通り、折り合わなかったらどうすればよい?」
「その場合の策として、貴殿がじきじき書簡を江戸表の幕閣に送る、と提案されたらよかろう。それならば、ロシア側の窮状をありのまま老中に訴えることができる」
江戸幕府への直訴はご法度。為弥の提案は大胆であった。だが、幕府が送り込んできた大目付や勘定奉行を介すれば、幕閣も異国人ゆえ、大目にみるだろうと判断したのである。
十一月十三日、地震で中断していた日露和親条約の第二回会談が玉泉寺で再開された。 金モールの制服と制帽をかぶったプチャーチン提督、艦長のレソフスキー、副官のポシェート、それに通訳らが同席した。かれらは艦から持参してきた椅子に腰かけた。
日本側は五人であった。たがいに列をつくり正面から向かいあう。為弥はひとり列からはみ出し、控えていた。プチャーチン提督はまず北方の国境問題から入った。目を据えた提督には軍艦の修理よりも、条約の締結が最優先だという気迫が漂っていた。
日本側は択捉島から南の領域を領土とし、そのうえで樺太の領有権を主張した。しかし、択捉島と国後島は古来からクリル人のもの、樺太はロシア領だと提督がつよく反論した。
領土問題は時間をかけても、ロシアは強固な態度で譲る気配すらみせなかった。
つぎに大きな議題は開港問題であった。日本側はロシア船のために、箱館、下田、長崎の三つの港を開くという提案をした。三港には納得するロシア側だが、領事権をもつよく要求してきた。
「寄港は認めるが、領事はあくまで認められぬ。異人の土地利用となると、これは永き幕府の鎖国政策の骨幹におよぶ。それはできぬ」
川路が突放した。領事権がない開港は意味がないと、プチャーチン提督がつよく押し返す。この問題は物別れとなった。
戦艦の修理地の討議となった。
提督は為弥に話してきた内容とまったくおなじことを主張した。
「わが国は鎖国状態である。貴殿たちが勝手に下田に乗り込んできた。しかし、難破している状態を見るにみかねているから、下田港を修理の場として提供するのである。それが不都合だというなら、どうぞ好き勝手に、カムチャッカに回航されたし」
川路の反論が、相手の心象を害したようだ。為弥がハラハラするほど、プチャーチン提督は怒りから顔を紅潮させていた。
「ここに同席する応接掛が、みずから結論を出せないなら、下田の代港について覚書をだすので、幕閣にとどけてもらいたい」
提督が切りだしてきた。為弥は提督と視線が合わないようにしていた。
「覚書き?」
川路が為弥の顔をみた。
プチャーチン提督の直筆ならば、幕閣も建前からすこしは折れてくる可能性があります、と為弥は耳打ちした。
「よかろう」
その一言で会談が終了した。
プチャーチン提督の覚書に対する幕閣からの回答がやがて応接掛にとどいた。
──相模の野比、長浜、久里浜のいずれかを修理地として許可するが、測量をさせたり、浦賀より江戸の方角に近づけさせてはならぬ。ただ修理に必要な機材や食料は日本側から無償で供給するという趣旨だった。日本は鎖国しているから、ロシア人に物を売ってはならぬ、無料でやる分には貿易でないから、認可するという内容であった。
それをもって為弥はロシア側との予備交渉に入った。ポシェート少佐は嘲笑って立ちあがった。久里浜は海辺であって港ではない、外洋が押し寄せる砂浜だ、戦艦の修理など論外だと忿懣をぶちまける。
「日本人は、なぜ人道的な配慮ができない。ひとの不幸を楽しんでるのか。不具合な場所ばかり提示してくる。難破した五OO人は国に帰れば、親兄弟、妻子もいるんだ」
ポシェート少佐は椅子を蹴飛ばし、部屋から出ていった。為弥は自分自身が嘲笑れた心境から、少佐の批判がいつまでも耳に残った。
為弥は川路のもとにそれらの報告にでむく必要があった。勘定奉行の川路にも言い分があるはずだ。そちらでも、きっと重い気持ちにさせられるであろう。
為弥は初冬の月夜の畔道を、連台寺村にむかった。下男が提灯を持つ。道々いろいろ思慮した。……このごろ、遭難したロシア人の窮地に乗じ、皆殺しにしろ、日本の攘夷を世界に報せよという過激な進言が、水戸藩あたりから幕閣に寄せられているようだ。
老中の阿部はロシア人虐殺論を一蹴しているようだが。このまま修理地が決まらず、ディアーナ号が沈没したならば、一体どうなるのか。異国の地で帰路を断たれた水兵らが、自暴自棄となって民衆を襲い、暴徒化すれば、日本人の異人嫌いにもっと拍車がかかる。
為弥は凍った地面に映った月影を一歩一歩踏みながら、困窮の極みにいるロシア人を助ける手立てをあれこれ考え、知恵を絞った。<大砲五十二門をだしに使おう、それしか手はないだろう>
こちらが川路さまの住まいです、と下男が考え事で行きすぎた為弥を呼び止めた。
奥座敷に通された。川路の口から、ご苦労だったと型通りのねぎらいひとつであった。
「ロシア側は、阿部老中どのの親書を快くうけとったか」
「残念ながら」
為弥は平伏した。
「また、いちゃもんか」
「まともな港でなければ、大砲五十二門を艦に引き揚げるといっております」
これは芝居だった。芝居だと見抜かれないように自分の顔を意識した。川路は猜疑心の強い奉行である。危ない橋を渡る心境だった。「引き揚げる? その目的は?」
「真意はわかりませぬ。ただ、空恐ろしいものを感じております」
「空恐ろしいとは、どういうことだ」
「江戸城を砲撃し、修理場所をもめるとか。ペリーのような、アメリカ式で」
「江戸城に砲撃? 将軍さまのいのちを狙うとでも言っておるのか」
「ことばにはしませんが、そんな目をしております。預かった五十二門はもともとロシアのもの、返せといわれれば拒絶もできませぬ」
「ロシア艦が出航するまで、大砲は預かるのじゃ。絶対に。大砲を渡せば、ロシアの戦争準備だと、攘夷派を刺激することになる」
「しかし、銃剣をもった数百人のロシア水兵が、大砲を奪い返しにきたら、下田奉行の配下の者だけではとうてい防御に及びませぬ。ロシア兵は高度な戦術訓練を受けております」
「五十二門を奪い返されたならば、老中阿部どのをはじめとして……、幕閣の信頼を失う。余は失脚じゃ」
川路はこのように老中たちの機嫌を損じないよう、異常な神経をつかう。出世した人物にありがちな、上に諂い、部下に対しては異常に厳しい面をもつ。地位の転落を最も恐がり、保身も強いだけに、苦渋の表情だった。
「お奉行どの、提案があります」
為弥は川路の目を見つめた。
「なんじゃ。言ってみよ」
「応接掛の権限で、プチャーチンたちに、伊豆の国にかぎって、好きな場所を探させたらよろしいかと存じます」
「それはできぬ。ご法度じゃ。開港した三港以外で、異人の通行は認められぬ」
「下田港をのぞけば、伊豆国の港はさして国防に大きく影響しませぬ。老中阿部どのすら、開港した三つの港以外、野比、長浜、久里浜を代港として提示しております。いずれの港を選択しても、すべて例外となります」
「異国人が、津々浦々を視察すること自体、国防上から許されぬ。余がいわずとも、そちにはわかっておるはずじゃ」
「ここは決断です、お奉行どの。このまま幕閣任せではすべてが後手にまわります」
「幕閣に許可を得ないで、国禁を無視すれば、余は切腹ものだ。少なくとも、投獄はまぬがれないだろう」
「提案した拙者が責任の一切をかぶります」
為弥はたとえ咎めを受けても、国境を越え、人間の肌を越え、かれらを母国に帰してやりたかった。その心情はもはや塞き止められず、さらにこういった。
「老中のお方は現地の緊迫がつかめておりませぬ。ロシア艦が沈没でもしたら、五OO人からの乗組員をロシアに送りかえす手立てもなくなります。ここはお奉行どのの決断一つ。ロシア人の足で、みずから探させれば、信義が生まれます。必ずや」
「異人たちに神聖な日本領土を穢させたと、攘夷派から応接掛のいのちが狙われるぞ」
「危険を恐れず、人道的な配慮をすれば、ロシア側は領土問題できっと譲歩してきます。択捉島と国後島が日本領として妥協してくれば、川路聖謨という名が後世まで残ります」
為弥は決断を促す熱い視線をむけた。
「むずかしい選択じゃ。………よかろう、ロシア人の視察を認める」
川路にしては大胆な決断であった。
「明朝、伝えましょう」
「まて、ロシア側がこの伊豆で修理できる港を見つけたからといっても、即時、幕閣が許可するわけではないぞ。中村、そこを相手側によく伝えておくのじゃ」
伊豆視察はどこまでも一時しのぎの策だという口調だった。
翌日、大目付の筒井肥後守、下田奉行の伊沢美作守、村垣淡路守らをまわり賛意をかためてから、目付の松本十衛門に説明した。つよく反対されたが、日露の危機を訴え、責任はこの中村為弥ひとりが背負うと言い、見てみぬふりの暗黙の同意をとりつけた。
為弥が伊豆視察を相手側に伝えた。ポシェート少佐は謝意を表し、為弥の勇気を褒めた。「このたびの決定は川路の勇断である」
「それは表向き。中村さんが特別に配慮してくれたのだろう。そう信じる」
為弥は苦笑した。こころのなかには幕閣がどこまでも野比、長浜、久里浜の三港に拘泥すれば、この少佐はぬか喜びになるのだという悶々とした黒い塊が残っていた。
「あすにでも伊豆の東海岸と西海岸と二手に分かれさせて出発したい。造船技師のシリング海軍大尉ら二名ずつとしたい、警備のロシア水兵には銃を持参させてもらう」
「武装水兵の上陸はお断わりする。警備は下田奉行所の配下の者を同行させる。シリング海軍大尉らは肌が違うゆえ、編み傘を被り目立たぬ格好をさせてもらう」
「警備については中村さんの指示に従う」
少佐はすんなり折れた。
ロシア人技師が出立した。伊豆の道中で、異国人ゆえに攘夷の連中から襲撃される危険性があった。もめ事もなく下田にもどってくることを祈った一日一日である。実に長く感じられた六日目、伊豆の津々浦々を視察したロシア人が下田に無事もどってきた。為弥がシリング海軍大尉に面談し、その内容を訊くと最適地が発見できたと歓んでいた。
西海岸の君沢郡戸田村(へたむら)だという。
「戸田村?」為弥が下田奉行所の役人にきいてみたが、だれもが首を傾けた。奉行所内の絵図にはそんな村名すらなかった。
戸田を選んだ理由として、ロシアはいまクリミア戦争の最中で、英仏と戦っている。
戸田には奥深い湾をつつみ隠す砂嘴(さし)がある、その長い松林が申し分のない目隠し。外洋を航行する敵国イギリス、フランスの軍艦にもおそらく目にふれない良港だと、シリング海軍大尉はどこまでも称賛するのだった。
日露応接掛は老中にいかなる方法で、戸田湾が最適地だという推薦を持ちだし、どのような口実で説きふせるかと方法論で頓挫していた。老中にも攘夷思想の強い人物がいる。あえて刺激的な、ロシア技師の現地視察を持ちだし、事を荒立てることもなかろうと、真実を伏せているがゆえに、それがかえって足枷となって苦慮していた。
ここは川路が一度江戸表にもどるべきか。書簡のみでは老中が下した野比、長浜村、久里浜のいずれかという決定は覆らないだろう、と意見がゆれる。まだこんな段階ながら、ポシェート少佐と予備交渉に入る。
あす沈没するかもしれない、いつ戸田湾に回航したらよいのか、領土問題どころではないと少佐は悲壮感で迫ってくる。
川路に、それら内容を伝えても、幕府の許可なしには動かせぬだろうと罵倒されるだけで、相談相手にもならなかった。
そのころ、下田の災害復興のために、韮山代官の江川太郎左衛門が急遽、老中の阿部正弘の特命で、下田取締を命じられたのである。
五十四歳の江川は、反射炉を設けたり、大砲の鋳造やら、造船技術の研究に積極的であった。幕閣の信頼も厚く、ペリー来航後、品川の台場築造の総指揮をとるなど、科学技術の面で最先端をいく人物である。その江川が十一月十八日に現地・下田に赴いてきた。
<ここは江川代官を動かす。それしかない>
為弥は仮奉行所へと挨拶にでむいた。江川代官は長身で、細面の理知的な顔立ちだった。そのうえ、ずいぶん物腰のやわらかい人物である。為弥は、ディアーナ号の破損状態が悪く、いまや沈没の危機にあると訴えたうえで、力をおかりしたいと切りだした。
「中村どのが自分の目で、船内の見分ができたとは羨ましい。もっときかせてもらいたい」
江川代官は洋艦の船体構造や艤装に関する質問をあれこれむけてきた。最先端の技術用語ばかり。それらの内容が難解で、為弥は満足に答えられなかった。ある意味で、為弥はその質問を待っていたのだ。
「百聞一見にしかずで、代官みずから一度ロシア黒船に乗り込んでみられたら如何でございますか? ロシアの最新鋭の戦艦で、大きな機関が据え付けられています」
「見学がかなうなら、そうしたい。浦賀にペリーがきたときから、一度は黒船に乗船してみたいと、何度も夢にまでみた」
「交渉してみましょう」
為弥は肩に力の入らない口調でいった。
「それはかたじけないの。永年、オランダから入手した文献でしか、洋艦の構造を捉えられなかった。じつに好機」
江川はこどものような悦びの目をした。
翌朝、伝馬船にのった為弥と江川代官はオランダ語のできる通事らとともに、ディアーナ号にむかった。甲板からロシア水兵たちがタラップを降ろす。三人が一段一段と上っていくと、プチャーチン提督が笑顔で江川代官を迎えた。……幕閣に強い影響力をもった江川代官を味方につければ、ディアーナ号の修理にかなり便宜を図ってもらえるはずだ、という為弥の事前の打合せがプチャーチンの脳裏にしっかり納まっているようだ。
ロシア最新鋭の二OOOトン戦艦の概要を説明するプチャーチンには、機密、ということばがなかった。船の速度は? 乗組員の数は? と江川が質問をくりかえす。江川はさらに艤装品の一つひとつ手に触れ、通事を通し、質問をつづける。砲術、航海術のすべてにわたる。技術にたけた学識の深い人物だけに、興味はつきないようだ。
家禄がわずか百五十俵の江川代官だが、水戸の徳川斉昭のみならず、幕閣すらも一目も二目もおく、さすが科学の面で日本の第一人者だとつよく感じた。
プチャーチン提督は、ロシアが誇る最新鋭のディアーナ号である、この艦の機関はいま浸水で沈んでいるが英仏には負けぬと、自慢しながら機関室に案内した。石炭で動く低圧式・単気筒式の機関は、石炭滓の黒ずんだ海水に沈み、機械の上部しかみえなかった。
しかし、江川の目は光り輝く。竜骨が折れて浸水がはげしいので、水兵たちが昼夜をとわず交替制で海水をかいだすが、ご覧のとおりの被害である。これだけの浸水だと機械は動かしようもないのだと説明する。
「江川さんなら、理解できるとおもう。外洋の大波の影響をうける下田港では、大型軍艦の修理は不可能というもの。このディアーナ号はぜひとも、波のない戸田湾で修理したい。幕府に許可をださせてほしい」
「お任かせくだされ」
江川代官は一言返事であった。戸田村は沼津藩と旗本の入会地だが、韮山代官所が管轄する地域でもある、幕府の要人は自分の陳情を受け入れるだろうと語った。
ディアーナ号から帰りの小舟で、江川はじつに有意義だったと為弥に感謝していた。
「戦艦修理の協力は、西洋の最新技術を学びとる、またとない好機。断る手はない」
江川代官から幕閣へ急飛脚でその旨の具申がなされた。すると、老中の阿部正弘から折り返し、認可の書簡がとどいた。戸田村をロシア戦艦の修理地として認める内容だった。
江川代官からそれを知らされた為弥は、これでロシア人は母国に帰れる、よかった、本当によかったと、わが身のようにうれしく、ひとり隠れて涙ぐんでいた。
大地震の被害状況の説明に江戸表へ出向いていた村垣淡路守が、下田にもどってきた。その村垣を中心としてディアーナ号の戸田村への回航の打合せに入った。
村垣は海の知識となると抜群で、北海の航海術にも優れた、わが国の第一人者である。傷ついた戦艦の単独航行は危ないし、ディアーナ号の負担を軽くするために、このさい幕府船が千石船を用意し、ロシア側の荷物の一部を運搬したほうがよいと提案した。だれからも、反論は出なかった。
つぎに、西海岸の海流と航行の方法へと議題が移り、地場の船頭のはなしが披露された。石廊崎をまわると、西海岸は富士山からの吹きおろしで、風の向きが乱れるむずかしい海らしいが、破損したロシア船はうまく乗り切れるのかという疑問がだされた。
「ロシアの航海術に任せるより仕方ない」
村垣がその結論を導いた。
「戸田村での受入準備のために、支配勘定の上川伝一郎どのを、先に現地にでむいてもらったらよろしいかと存じます。なにしろ絵図にもない小さな漁村のようですから」
と為弥が提案すると、筋肉質で精悍な顔の上川伝一郎が、何事も協力するという態度でうなづいた。為弥にすれば、応接掛のなかで最も気心が合う人物で頼みやすかった。
上川伝一郎は蝦夷、樺太の測量に従事した人物で、臨機応変な対応ぶりには定評がある。その経歴をもちあげていた為弥は、ふいに川路の鋭い横目を意識した。川路がいったいなにを言いたいのか、為弥にはおおかた見当がついた。勘定奉行よりも、意見が先走りすぎていると不愉快なのだ。村垣淡路守が為弥の意見に賛同しながら、こういった。
「上川は判断が早く、行動力もある。未知の土地で活躍できる卓越した能力がある。ロシア人の受入準備をさせるにはまさに適材」
このような経緯で、ディアーナ号の回航先と日取りが決まった。
日露の険悪な雰囲気はひとまずおさまったが、条約の条文づくりとなると、別物だった。択捉島と国後島がどちらに所属するかという問題では、為弥とポシェート少佐の双方が歴史的な見解も違い、たがいに譲らず、つねに堂々巡りで最終原案すら作れなかった。
物別れの時間切れで、交渉の切りあげはいつも夕刻というよりも、夜中だった。それを終えると、為弥はきまって川路の宿所へと報告にでむく。夜十時ともなれば、真冬の夜風が冷たい。ときには十一時すぎに連台寺村に辿り着くこともあった。
「弱腰だ、妥協するな」
川路の口からつねに強硬な意見が飛びだす。 それをそのままロシア側に伝えれば、相手はきっと激怒するだろう。明日への重圧を与えられてから、下田の宿所へともどる。箸と茶碗をもったまま、うたた寝、気づくと朝鶏が啼いていることもあった。
ディアーナ号回航の出立は十一月二十六日の午前八時だった。それに先立ち、下田奉行の名で、駿豆両国の沿岸の村々にディアーナ号通過の監視と警戒の通達をだした。
当日は北寄りの風で小雨だった。海面はここ数日に比べると穏やかではあった。
応急修理をしたディアーナ号の船尾には、代用の舵が荒縄で下げられており、左右には浮き樽がつけられている。たしかに、これでは大洋を乗り越えてロシアまで帰国するのはむりだと、見送る為弥の目にもわかった。
幕府が借りあげた千石船のほうに、ロシア水兵たち十八人が乗り移った。日本人船頭と、下田奉行配下の役人たちも同船した。
出帆したディアーナ号と幕府船の二隻が、湾内から犬走島の先端をまわって消えていく。無事を祈る気持ちで、為弥はしばらく海岸に立っていた。為弥と肩をならべたポシェート少佐と四人のロシア人通事らも見送る。ディアーナ号が戸田村にむかっても、日露予備交渉は下田でなおも継続であった。
この日の夕方、強い風が吹いてきた。翌日、上川伝一郎から為弥のもとに急飛脚がきた。その書簡を読んだ為弥は、背筋に寒気をおぼえた。ロシア戦艦・ディアーナ号が行方不明になったという内容である。
為弥はすぐさま川路に報告した。川路はおもいのほか落ち着いており、これは神風じゃ、と歓喜のような笑いを浮かべた。
「蒙古襲来のときと同じ神風じゃ。日本が鎖国と知りながら強引に乗り込んできたロシア人たちだ、神風に討たれて全員溺死になるぞ。そうなれば、諸外国にもわが国の神風を教えることにもなるし、みせしめにもなる。応接掛も、一難去って重責から解放される」
「お奉行どの。本心ではありますまい。たとえ異国人であろうとも、難破してあがき苦しんでいる人間の不幸を歓べませぬ」
為弥がにらみつけた。
「連中の不幸を望んでいるわけじゃない。ただ言いたいのは、応接掛につぎつぎ難問がふりかかってくる。いい加減のところで、苦境から解放されたいと、気晴らしの放言をしてみただけじゃ」
「拙者はどこまでも無事を祈ります。嵐の海で、たとえ艦が沈没したとしても、強靭なロシア水兵たちは、きっと海岸に泳ぎ着くでしよう。多少の犠牲者がでたにしろ」
「生き残ったら、生き残ったで、また苦労が倍加される。ロシアはようも難儀をばらまいてくれるものじゃ」
川路がやみくもにぼやく。
上川伝一郎の書簡がまた早馬でとどいた。……伊豆半島の付根に位置する一本松新田浜に幕府船が漂着したという報せだった。ロシア人十八人、下田奉行所役人、船頭たちは全員無事。ロシア人が上陸したので、至急通事をよこしてほしいと簡略に記載されていた。
「お奉行どの、ここは予備交渉を一時棚上げにし、森山たち通事ら全員を現地に送りださせたほうがよろしいかと存じます」
「すぐに出立させよ。ディアーナ号のことは書かれておらぬか」
「松崎湾の洋上で、見失ったという、先の報告のみです」
「探索船もだせないほど、海は荒れておるのか………」
「真冬の海です。荒れ狂う波浪のなかで、軍艦は難儀しているか、あるいは難破か、いずれにせよ、厳しい状況にあるはずです」
そんな会話のさなか、江川代官所から急飛脚が川路のもとにやってきた。ディアーナ号が駿河の国の宮嶋沖(田子ノ浦)で座礁しているのが発見された、海上の波が高いので予断を許さないという内容だった。
「ここは中村が現場にいって、総指揮を執れ。報告は都度よこせよ」
「かしこまりました。宿所にもどり、すぐに旅仕度いたします。ごめん」
為弥は伊豆山中の地理にくわしい案内人をつれて真夜中に出立した。提灯で足もとを照らす伊豆の山越えであった。急ぎ足で一晩かけて西海岸にでた。冬の海は白波で荒れ狂う。荒波が飛沫をあげ、磯に砕けていた。その向こうに沼津の町なみが遠望できる。
東海道の沼津の宿場に入ったころ、黒い雲のしたから焼け焦げた太陽が顔をだし、富士山の肩に落ちかけていた。潮騒がつづく沼津海岸には、漁船の残骸が数多く陸へ打ちあげられていた。建物も漁船同様に、地震で倒壊していた。破損していない無傷の家は一軒も残っていなかった。
めざす宮嶋(田子ノ浦)の松原が見えてきた。海岸には大勢のざわめきが感じられた。白砂の海岸に一歩脚を踏みいれた為弥は、じつに異様な光景に出くわした。
銃剣、サーベルを身につけた制服や私服のロシア水兵たちがずぶ濡れのまま、海岸で震えているのだ。地場の漁師たちが、あちらこちらで焚火をこしらえている。薪を投げこむ。疲労困憊で起きあがれず雑草のなかに横たわる水兵もいた。真冬の寒風がかれらを吹きさらす。大勢の日本人がもちよった布団でロシア人のからだにかぶせていた。
救助活動のなかに、沼津藩主の水野出羽守の姿があった。為弥は藩主と面識があった。そちらに近づくと、日露応接掛の中村為弥ですと念のために名乗った。藩主のほうも、勘定留守役の中村どのですな、と顔をおぼえていた。勘定奉行の役人は、ふだん幕府の財務をつかさどるだけに顔が広い。
「藩主どのみずから救助の陣頭指揮に立っていただき、ありがたく存じます」
「そんな礼は不要というもの。ひとの難儀には目をそむけられぬ質でな。余の生涯でも、これほど緊張し、必死に人助けできることは二度とないかもしれぬ」
「敬服いたしまする。これまでの経緯は?」
「これだけ大惨事の遭難現場だ、どこから説明してよいものやら。数日まえ、下田奉行の水野筑前守から書状をうけとり、海岸警備を強化していた矢先だった」
十一月二十七日。駿河国の富士郡宮嶋海岸の沖合いで、大型異人船が座礁しているのが発見されたという報告をうけた。城主屋敷からただちに現地に赴き、この自分の目で確認した。
家臣たちには狼煙をあげさせ、付近の漁村に急ぎ救助舟をだすように命じた。やがて、我入道、桃郷、静浦、江ノ浦、三津から数多くの小舟がやってきたものの、嵐は静まらず、小舟は木の葉のように波間でゆれる。そのうえ、高い波浪でゆれ動く座礁船には近づけなかった。ディアーナ号の乗組員たちは、浸水した水を汲みだしているようだが、それも間にあわず船体は沈没寸前であった。
一晩があけた十一月二十八日、つまり今日の早朝だった。戦艦からの曳綱(ひきつな)の一端を握りしめた果敢なロシア水兵が、カッターで陸にむかってきた。渦巻く波浪が襲いかかる。藩主の命令で、褌ひとつの漁師が海岸で、からだに荒縄を結びつけ、待ち構えていた。
カッターが沈没すれば即座に真冬の海に入り、水兵を助けだせと、水野藩主は強く命じていたという。カッターが波打ち際に着くやいなや、裸の漁師は舳先をしっかり捉まえた。潮が引く勢いで流されないように。
一本のロープが陸と艦との間に結ばれた。
それを錨索(びょうさく)にして六十人くらいが乗れる大型ランチが陸にむかってくる。一、二度試みたようだが、波の抵抗が強くてうまくいかない。こんどは小型カッターに切り替えてきた。大ゆれの戦艦から、一人、またひとりと乗り移る。やがて、カッターは陸にむかって漕ぎだす。巨きな波間に隠れるたびに、無事だろうか、と藩主は心配していたという。
ロシア兵が一回に八人ぐらいずつ、ずぶ濡れで上陸してくる。上陸が成功するたびに、日本人から歓声が起こる。助けるもの、助けられるもの。その心が一つになった姿があった。日本人が暖かい衣服と焚火を与える。海岸の光景はいまなお同様につづく。
沼津藩の家臣が帳面を記載し、救助された人数はいま四O一名だという。
一本松のほうに幕府船で上陸した十八名と、下田に残った少佐と通事ら五人を合わせて差し引くと、ロシア人はあと八十一人が軍艦に残っている勘定になる。
「このさき、応接掛の中村どのの指揮下に入ろう。なんなりと申してほしい」
「水野どののおことばに甘え、まず食べ物と衣服と仮住まいの手配を、おねがいできれば幸い。大地震やら津波で、貴藩が大きな被害を受けておられるおり、申し訳ござりませぬ。ロシア人の人数が膨大ゆえ、恐縮です」
「遠慮は無用。さっそく手筈を整えよう」
藩主は家老を呼び寄せていた。
冬の空に残照の雲がただよう。ディアーナ号がうす闇のなかに霞みはじめた。
焚火のそばの裸の漁師たちが、カッターが近づいてくると、自分に気合いを入れる大声をあげてから波打ち際にむかう。到着したカッターを力強く引き止める。水兵たちが上陸すると、見物の日本人たちがまるで順番をきめているかのように、着ているきものを脱ぎ、震えるロシア人のからだに被せた。
それでも青ざめたロシア人たちは、歯がかみあわないほど震えていた。
「中村どのは宮嶋にもう到着していましたか」 旅姿の上川伝一郎と通事の森山がともにやってきた。
「一刻ほどまえだ。一本松に漂着したロシア人たちはどうなった?」
為弥が数多くの情報を得たい口調で訊いた。
「水兵十八人は無事です。一本松から五隻の小舟に分乗させ、荷物とともに戸田村に送りとどけました。宿所のほうは下田奉行所の役人に任せ、こちらの支援に急ぎやってきました。こちらの現場は想像以上にひどい惨状。おどろくばかりです」
上川は真剣な眼差しで座礁した軍艦を凝視していた。
「ディアーナ号はどうなるとおもう?」
「自力の航行はむりでしよう。たとえ腕がよいロシア水兵でも」
「ならば、戸田村まで曳航させよう」
為弥は強い口調でいった。
「曳航ですか? 波高い冬の海で、座礁船を動かせば、それだけ浸水が増すし、沈没の危険もあります……?」
「軍艦は沈めてはならぬ。ロシアに帰る手立ては残してやるのだ。これは人間の情だ。広範囲に漁師の手をあつめようぞ。漁師も海の男、水兵も海の男。難儀には、ことばは通じなくても心を合わせれば、戸田湾への曳航はできるだろう」
「こればかりはやってみませぬと」
上川は海の恐さを熟知した人物だけに、その目は波浪におびえていた。
「ロシア人がこの場で船を失えば、難民として長崎奉行の手にわたすことになる。ロシア皇帝の公使だけに粗雑にできない。五OO人からのロシア人を大挙して長崎に移すとなると、とてつもない難儀が予想される」
それだけは避けたい、何としてでもあの軍艦は沈めてはならぬと強い口調でいった。
「戸田湾まで曳航するには、どれだけの人手と舟が必要か? すぐに試算してくれ」
為弥は忙しい口調でいった。
「二OOOトンを曳くとなると、すくなく見積もっても手漕ぎの舟が六十艘ほど必要。いまある藩主が呼び寄せた船ではとてもとても」「手漕ぎの舟? 人間の腕力などたかが知れておる、帆船のほうが力があろう」
「曳航となると、手漕ぎ舟のほうが小回りも利いて有用でござる」
「さようか。六十艘となると、大津波で、この宮嶋海岸の漁船は壊滅状態だし、周辺だけではむずかしいだろう。上川の名で、とりもなおさず広範囲にすぐ人手をあつめさせよ」 為弥はそばの漁船の残骸に目をやった。
駿河、伊豆の両国の海岸の村々に対し、上川伝一郎の名で通達がだされた。この界隈から戸田村まで十五歳から六十歳までの漁師はすべてディアーナ号の曳航に従事せよ、参加しないものは幕府の名において処罰する、しかし一、二番に協力したものには褒美をだす、という内容だった。
「プチャーチン提督の姿はないようですが?」
森山が訊いた。
「あの提督の気性だ。最後に艦を離れる気だろう。残る人数からしたら、あと二、三回のカッターの往復で終了する」
やがて星座が無数にちりばめられた寒空の下、波打ち際では沼津藩士たちがそれぞれ松明で、海面を照らす。
為弥が予想したとおり、プチャーチン提督が最後に上陸してきた。カッターからおりた、ずぶ濡れの提督はまず為弥に握手をもとめてきた。為弥は、ご無事でなによりという態度で、自分の羽織を提督の肩にかけてやった。羽織の衿をつかんだ提督がにたっと笑った。
提督は通事を介し、こういった。
「大勢の日本人が浜で協力してくれた。ここにいる全員に感謝したい。艦で視ていたかぎり、一人の死者も出ていないようだ。念のために、確かめてくる」
遭難者とはおもえぬ威風堂々とした姿で、プチャーチン提督は海岸に横たわる一人ひとりに励ましの声をかける。水兵の肩をたたき、士官とは抱き合ったり、たがいに生存を歓びあう。これだけの勇気づけができる提督は立派だと、為弥は感心して眺めていた。
プチャーチン提督がもどってきた。日本人の行動は、遭難した自分たちの悲しみをやわらげてくれると、ふたたび謝意を表す。
漁師の女たちは、海岸で震えている水兵たちを黙ってみておられず、自家から蜜柑や魚や卵をもってきて配る。あるものは上等のござ、敷物、着物、履物を持参してきた。男たちは、焚火のそばに、そのござを敷き、動けない水兵を移動させている。ここには異人を毛嫌いする空気はみじんもなかった。
焚火を囲んだ為弥、上川、森山らがプチャーチン提督とこんごの対応について話しあいに入った。あすの日の出には沈没寸前の軍艦から、大切な軍務会計綴り、航海日誌、銃と弾薬などを陸揚げたいので、協力してほしいと、その数について説明があった。断る理由はないと、為弥は森山にそう通訳させた。
「装備の荷揚げで、船体が軽くなったら、艦は沈没をまぬがれる。それに期待したい」
プチャーチン提督がいった。
「あの座礁したディアーナ号を、戸田港に回航するべき、人手と舟をあつめはじめている」
「感謝したい。中村さんの先手には、このロシア提督もおどろかされてしまう」
「あなた方の仮宿舎はこれから建築する。何しろ大地震で民家のほとんどが倒壊しているから。この地の藩主は、救助のみならず、総てにわたり最善をつくしてくれている」
為弥はプチャーチン提督と水野出羽守とを引き合わせた。
提督の謝意に対して藩主は謙虚であるが、行動はずいぶん積極的だった。深夜にもかかわらず、大工の手をあつめると、突貫工事で、海岸沿いの防風林の内側に仮囲いの納屋を造らせはじめた。被災した住民の仮住まいの建築よりも優先させる。また、藩主は街なかの呉服商に、羅紗ならびにモンペの衣類などを五OO人分ほど緊急放出させるなど精力的な救援をつづけていた。
阿部老中からの書簡が、為弥の手に直接とどいた。ロシア人の危機を人道的に救えという内容だった。川路勘定奉行が遭難現場でなく下田近郊にいるとはいえ、筆頭老中が川路を飛び越え書簡を送ってきたのである。為弥は意を強くした。と同時に、阿部老中が、この自分の動きを一喜一憂しながら観ているのだとつよく感じた。
十二月二日の朝、陸揚げされた銃剣、サーベル、横文字の濡れた書類などが、海岸に干されていた。炊き出しの匂いがただよう。白馬のように駆けていた波涛がしだいに弱まり、海面が穏やかになった。冬の海は気紛れだから、いつ荒れるかもしれない。
数多くの小舟が宮嶋海岸にやってきた。津波で舟をなくした漁師たちは、陸路をやってくる。海岸には屈強な男たちが勢揃いした。不眠続きの沼津藩主から、この界隈の海にくわしい小海の久蔵(きゅうぞう)がとくに紹介された。日焼け顔の老練な久蔵は芯が強そうな漁師だった。
「戸田の港まで曳航できるか」
為弥が訊いた。
「あれだけ大きな船は視たことも、曳いたこともないだ」
「艦は座礁したままだ、動くか」
「そうじゃな。むりに動かせば、うごかせないこともない。三本ほど元綱をとり、それに枝綱をつける。伝馬船を六十艘ばかりつかうと、あの座礁船はまあ動くかもしれん」
「六十隻か。上川の見方とおなじだ」
為弥がにたっと微笑んでから、
「帆船を使えないか」
「帆は無理じゃ。風向きがすこしでも変われば舳先が狂う。舳先が狂えば、枝綱がからまるだ。そうなると、元綱にかかる力がばらばらになり、軍艦が傾き、うまい具合に進まない。下手すれば、傾いて沈没じゃ」
「沈没はさせられぬ。絶対にな」
「沖にでると、潮が速いし、どう流されるかわからん。沈みかけた船体(ふね)を曳き、こちらの思い通りに動いてくれるとよいがの。もたもたしてしまうと、潮の流れが逆になる。そうなると手に負えなくなる」
「そちに期待するぞ」
為弥が熱い視線を送った。
その間にも、上川伝一郎の指導で、ほかの漁師たちは、それぞれの伝馬船の舟側に急ごしらえの櫂を増していた。一つの小舟に五、六人の漁師と、二隻に一人の割合でロシア船員が乗り込んだ。プチャーチン提督が、そのうちの一隻を利用し、大きく傾いた軍艦に乗り移り、元綱を結び、漁師に投げ渡す。
三本の元綱がとれると、それぞれの枝綱には六十艘がくりだす。久蔵が指笛で合図をすると、漁師たちが一斉に櫓を漕ぎはじめた。 宮嶋沖をでてから海岸沿いに約三時間、つまり二里ほど順調にすすんできた。威勢のよい舟歌が陸上でもきこえてくる。富士の白雪ゃあ、のうえ~、富士の白雪ゃあ、のうえ~、その口調のよさから、海岸の為弥もおもわず口づさむほどであった。
久蔵がなにやら叫びながら富士山の方角をさす。鷲が悠然と青空を滑空するだけであった。しかし、漁師たちは曳き綱を切り、あわてて江の浦へと逃げこんでいく。
「何ごとが起きた?」
為弥が上川の顔をみた。
「あの慌てようは、理解できませぬ」
「ディアーナ号を放棄するとは許せぬ」
海岸のロシア人たちも、ディアーナ号を置き去りにしたと激怒していた。
「富士山がすっかり雲に隠れました」
上川が指す。
山頂にかかった黒雲がしだいに伊豆の方角に広がってくる。すると、西風が吹きだし、激しい風雨の襲来となった。曳航してきた戦艦はもとの方角の宮嶋海岸のほうに流されていく。放浪するディアーナ号がやがて旋回し、転覆した。その直後、鯨が尾をあげるように、軍艦は船尾を空にあげながら沈没していった。
雨に打たれる為弥は呆然と沖合をながめていた。ロシア軍人らはとうとう帰国の路を断たれた。よくよく不幸な出来事に巡り合わすかれらだとおもう。
小舟に乗っていたロシア水兵たちが上陸した江の浦から宮嶋海岸へともどってきた。と同時に、冷雨のなか、水兵らと一緒に宮嶋まで辿り着いた為弥、プチャーチン提督、上川、森山らはひとまず仮小屋に入り、三たび善後策を検討した。
「艦を引き揚げ、修理されるなら、それなりに人手はあつめるが、如何いたす………?」
為弥が森山を介し、提督に訊いた。
「沈没船は補修したところで、外洋にでる艦として使えない。おなじ労力を費やすなら、戸田村で五、六十人乗りの外洋船を造ってロシアにもどり、迎艦の応援をもめてくる」
「この地で、貴殿の国まで外洋を航行できる船が建造できるのだろうか? 手を貸すが、日本人の技術は低いとおもう」
「私は若いころイギリスに留学し、造船技術を学んできた。それにディアーナ号は戦艦である、敵艦に砲撃をうける危険もあるし、被爆した場合も想定して補修のために、シリング大尉ら造船技師も乗り込んでいる」
プチャーチン提督が自信のほどをみせた。
「洋艦が建造できるなら、わが国の造船技術にも寄与できるし、幕閣も大歓迎だとおもう」
戸田村での建造となれば、五OO人からのロシア人を長崎に送る必要がなくなる。ただ不運つづきだけに、はたして筋書き通りにいくのかと、為弥の不安はつきなかった。
「戸田村への移動だが海路としたい」
「われわれロシア人はこの海の恐さを思い知らされたばかりだ。船頭の腕を疑うわけではないが、これ以上、危険な目に遭いたくない。陸路にしてもらいたい」
「ここは東海道である。西国の大名行列が数多く通る、わが国でも最も重要な街道であるゆえ、異国人の通行は許されない」
「逆の立場で、遭難した水兵たちの気持ちをくんでもらいたい。ここはより安全な道をとってほしい」
「安全な道……。当然の要求だ、わかった。陸路が通れるように最善をつくす」
為弥は筆を執った。即決を求めるためにあえて川路を介さず、老中宛に、戦艦沈没よる緊急報告としながらも、人道的配慮による外洋船の建造許可と通行許可を問う書簡とした。それを早馬で江戸表にとどけさせた。
折り返し、幕閣から陸路許可の返書がきた。いっせいに行動するとなると、途中の宿が不足するので、為弥はふた組みに分けた。
先発隊はプチャーチン提督ら二百十人と、為弥や普請役、目付が付き添った。沼津藩士の二百人が前後の警護についた。
銃を背負ったロシア人が三列にならび、行進していく。沿道の村人たちは、大名行列のように平伏したり、お辞儀したりしていた。
東海道の原、吉原、沼津を経由し、内浦から江の浦に入ったところで一泊した。翌日は山越えである。猟師や樵夫が渡り歩く険阻な道であった。真冬の富士山の稜線がくっきりみえる真城峠(さなぎとうげ)を越えていく。
眼下には戸田村がみえた。大きな湾曲の入江で、岬の先端から松林の砂嘴(さし)がのびる。対岸にとどくように細長い。沖合からはきっと砂嘴が一つの海岸線にみえるような地形である。港の奥でロシア船が建造されていようとも、沖合を航行する英仏の戦艦も気づきにくいとおもう。
「ロシア人は素晴らしい港を発見したものだ」
為弥がつぶやいた。
険阻な峠越えの戸田村は天然の要塞でもあった。四ヶ所の峠にはすべて見張り番がおかれて厳重な警備が敷かれた。ロシア人らは隔離同然であった。
ロシア船の建造が、幕府から正式に認可された。現地で実務にあたるのは、勘定留守役の中村為弥、菊地大助、支配勘定役の上川伝一郎、さらに通事をまじえた十八名であった。
為弥、上川らはロシア側と建造手順の協議に入った。人手、資財、それらの段取りが整うと、為弥は建造の采配をいっとき上川に任せた。そして、プチャーチン提督とともに下田にむかった。建造も重要であるが、あくまでも日露交渉が最優先であった。
奥深い山を越えて連台寺村に入った。そこからプチャーチン提督とともに篭にのった。提督はことのほか篭好きで愉快そうにしているが、為弥にはべつの思惑があった。それは攘夷の刺客らがロシア皇帝の特使プチャーチンの生命を狙っているという風評があるからであった。篭にのれば白人の顔が隠せる。
津波で大打撃をうけた下田の町にも、あちらこちらで建て前がはじまっていた。為弥の耳に、金槌やノミの音がひびく。復興のための木材を運搬する牛馬が頻繁に行き交う。牛が引く荷台の杉材のうえには、粗末な着物をきた少女が乗る。後ろ髪が赤い紐で結ばれた少女は、手に水仙の花を持っていた。
「ハルじゃないか。脚は大丈夫か」
為弥が篭をとめさせた。
「あっ、お侍さん。築地(へい)の下から助けてくれたお侍さんだよ、お父」
再会を喜ぶ少女の目は興奮ぎみに光っていた。
父親は牛の手綱をもったまま土下座し、厚く礼をいう。少女に土下座しなさいと強要する。荷台から降りるハルは、右足がかなり不自由そうだった。被災したおり、西洋医術の手があれば不具とならずにすんだはず、年頃になれば悩むだろうとおもうと胸が痛んだ。
「もう足は痛くないよ。お花あげる」
ハルが差しだす。水仙の花弁の匂いをかぎながら、為弥は礼をいった。
篭から提督がふいに顔をだしたので、ハルはおどろいていた。為弥は覚えたての片言のロシア語で、ハルを紹介してみた。通じたようだ。提督が大きな手で少女の右手をつかむように握手した。ハルはおびえぎみだったが、片方の水仙をそっと差しだす。
「ハルさん、ありがとう」
提督がはじめて日本語でしゃべった。
「こんど、お侍さんと、異人さんに会ったら、もっと素敵なお花をあげる」
荷台にあがった少女は、立ち去っていく為弥たちの篭にいつまでも手をふっていた。
提督と為弥をのせた篭はやがて海岸通りに出てきた。湾内には星条旗をかかげる黒船が一隻入港していた。
細い坂道をのぼった玉泉寺の境内に入ると、そこには通事の森山栄之助、ポシェート少佐などがいた。ポシェート少佐がプチャーチン提督に一言、耳打ちする。穏健な提督が突然、森山の胸ぐらをつかみ、ロシア語でわめき散らす。為弥や下田奉行などが割って入った。激昂した提督はなおも森山に当たり散らす。
武装したロシア水兵たち八十人ばかりが、突如、玉泉寺の境内にやってきた。かれらは定規をあてたように横隊で整列した。武装兵のまえで、プチャーチン提督が激しい怒りを表す。ロシア水兵たちの目が冷たく鋭く森山の顔に突き刺さっていた。
いったい何が起きたのか、為弥には理解できなかった。そばにいた通事の古賀謹一郎に説明をもとめた。………フランスの捕鯨船ナポレオン号が三河の漂流民二人を引き渡すために下田に入港してきた。捕鯨船であるゆえ武装していない。その情報を入手したプチャーチン提督が戸田村から秘かにロシア水兵八十人をくりだし、奇襲攻撃でフランス船を掠奪し、帰国への道をつくるつもりだった。
それなのに、通事としてナポレオン号に乗り込んだ森山が、この伊豆にはロシア精鋭の水兵が五OO人もいると内応し、捕鯨船を逃がしてしまった。森山のせいで帰国できる好機が奪われた。
「戦艦を失い、帰国できない大勢のロシア人のつらい気持ちがわからないのか、と提督が怒っているのです」
森山のほうも顔を赤らめ、反論していた。
「拙者は一言も、ロシア兵のことはしゃべっていない。フランスとロシアが戦争していることは重じゅう承知しておる、しゃべるはずがないし、また、しゃべる必要もない」
「森山は嘘つきだ」
提督の口から激しいことばが出てくる。
「嘘などついていない」
険悪な雰囲気はつづいた。このままでは日露交渉の中断もあり得るだろう。
寺門のほうから、大声でしゃべる異国人が数人やってきた。アメリカ士官の軍服をきたかれらは、ロシア提督に挨拶しにきたのだという。ふたつの国は情報交換をはじめた。
プチャーチン提督の顔が急に穏やかな表情となり、両手を広げて詫びを言い、森山の身体をだきしめた。森山の疑いは晴れたらしいが、納得できない不愉快な顔をしていた。
為弥が、そんな仏頂面の森山に声をかけ、ことの真相を訊いた。
「アメリカ士官のはなしはこうです」
下田港に錨を降ろしたナポレオン号の船長がボートで、アメリカ船ポーハタン号に表敬訪問にやってきた。数々の話のなかで、アメリカ士官たちは、ロシア海軍の戦艦がこの伊豆で遭難し、祖国への帰路を断たれているとおしえた。ナポレオン号の船長は慌てて自船にもどり、すぐ出航していったという。
「人間は生きているかぎり誤解されることはつきものだ。誤解がとけるのは幸せなほうだ」 為弥が森山の肩をかるくたたいた。
「幸せでなく、不愉快ですよ」
「まあまあ、気を静めたほうがいい。このもめ事で、恐いものを見せつけられたとおもわないか。もし一発の銃声があったら」
「一発の銃声?」
「この伊豆がクリミア戦争の戦場になるところだった。八十人の水兵の奇襲攻撃が成功していたら、ロシア人らは強奪したナポレオン号で出国する。しかし、捕鯨船とはいえ乗る人数にも限界がある。半数以上はこの地に残るはすだ。フランス軍が報復でやってきたなら、戦いがはじまる。一発の銃声、ひとりの虐殺が戦争を巻きおこしたり、拡大した歴史は数かぎりないのだ」
「一触即発の危機だったわけですね」
「そうだ。もうひとつ、俊敏なロシア兵八十人が警備の厳重な戸田村から秘かに軍事行動をとって絵図も持参なしで伊豆の山を越え、忽然と下田に現われたことだ。西洋の軍事行動は、わが国より数段にすぐれている。もし西洋の列国と戦えば、間違いなく敗北する」
ロシア兵八十人たちはアメリカ船からの贈り物をもらうと幕府の役人を偽り、二隻の和船でこの下田に到着したことがわかった。
為弥は提督に軍事行動に対する抗議をし、わが国の国法遵守を再度もとめた。今後いっさい軍事行動はやらないと提督は約束した。 この日は、日露双方が会談の段取りを決めただけである。
翌十四日から長楽寺に場所を移し、日露会談が再開された。樺太における国境の線引では、双方が頑として譲らなかった。ロシア側も反論し、川路聖謨も妥協せず、物別れになった。正式会談で交渉が頓挫すると、予備交渉が忙しくなる。回数を重ねていく。双方が激論に疲れ、議論が行き場を失っていた。
五回目の本会議の冒頭で、プチャーチン提督が重大な決意をもった表情で立ちあがった。交渉の決裂か。打ち切りか。北方の島々は軍事力で解決してみせるとでも言いだすのか。
日本側の面々は緊張していた。
「われわれは下田港を襲った津波で遭難し、さらに宮嶋海岸で最新鋭の戦艦を失った。遭難した五O一人の乗組員に対する、幕府の配慮には厚く感謝する。私はあらためてお礼のことばをのべさせてもらう。宮嶋海岸でみせた中村為弥さん、上川伝一郎さんの献身的な努力に対し、謝意を申しあげる。不運つづきのロシア人のために、日夜身を粉にしてくれた、とくに中村さんには感謝の念を表明する」
森山が日本語に通訳する。
「中村さん、ありがとう」
と日本語でいったプチャーチン提督がふたたびロシア語にもどった。
「私は人間として、謝意を行動で示す必要がある。そこで、領土問題では譲歩する。択捉島と国後島は日本領土と認める」
森山がはっきりした口調で日本語に翻訳する。一瞬耳を疑った為弥だが、目頭が熱くなった。この自分のために択捉島と国後島は授けるといっているのだ。なんというありがたいことばかと、胸がじーんとしびれてきた。感慨もひとしおだった。
応接掛らは顔に喜色を浮かべる。
プチャーチン提督のことばはさらにつづく。
「領土問題で私は譲歩したが、この裁断はロシア皇帝も納得してくれるはずである。五OO名からの人命を救ってくれた恩人に対し、皇帝は感謝のことばを述べると確信している」
為弥にすれば長く沈鬱な交渉だったが、突破口が提督によって開かれたのだ。それを受けたかたちで、川路がこう発言した。領事駐留の条項では箱館と下田のうち一港にロシアの領事を置くことに妥協する、と。
日露最大の論戦はここに解決し、十二月二十一日、日露和親条約の締結をみたのである。 双方が並んで記念撮影がおこなわれていた。警備の役人たちが突然、大声で怒鳴り散らした。灯篭の陰にいた少女がきものの襟をつかまれ、恐れおののいていた。
「ハルさん」と提督が少女を手招きした。
警備の役人が不可解な顔で、手を放した。
「異人さんに、お花を持ってきてあげたの」
ハルが満開の梅の小枝をさしむける。
為弥が後方にいたせいだろう、ハルは為弥に近づかず、二本とも提督に与えた。
「ありがとう。ハルさん」
提督がほほ笑み日本語で礼をいうと、少女は頬を赤らめてから足を引きずり境内から立ち去っていく。その方角の沖合から、星条旗をかかげるポーハタン号が再入港してきた。
為弥は、日露条約締結の安堵から、宿所の大安寺で快い熟睡に陥っていた。いつも欠かさない住職へのあさの挨拶にも顔をださず、朝食もとらず、昼すぎまで補修されたばかりの庫裏の一角で寝ていた。家臣から起こされた。プチャーチン提督と森山が薬師堂に訪ねてきている、と。
提督は私的な訪問らしい。為弥は普段着で応対にでた。通事の森山を介し、昨日のお礼をいった。提督は笑って無言で応えた。ここにくるまえアメリカの使節船ポーハタン号を表敬訪問してきた、使節のアダムスから友好的な回答が得られたと、森山が通訳する。
「友好的な回答とは?」
「大陸まで、われわれをポーハタン号に乗せてほしいとアダムスに要請してみた」
「すると、貴殿はこのたびの条約の調印書を持参し、その便で帰国されるつもりか?」
「否。ポーハタン号はアメリカ大統領から任務を授かった使節船であるから、戦時下のロシア兵は乗せられないと断られた」
「断られて友好的とは、理解できない」
「アダムスの話はこうである」
先の日米和親条約で開港された下田には、米国籍の民間船が頻繁に寄港するようになる。遭難したロシア海軍がそれほど難儀しているなら、民間船を傭船したどうかと勧めた。
「ポーハタン号はこのさき上海にむかう。上海港で、ドイツ船などにロシア海軍が下田で傭船をもとめているからと、自分のほうでも声をかけてみるとアダムスは約束してくれた。傭船で帰国できる可能性がでてきたから、中村さんの耳に入れておきたかった」
「傭船で帰国となれば、戸田村での建造は途中で放棄となるのか」
外洋船の建造を期待する幕閣は、きっとロシアに裏切られたとおもうだろう。
「造船の途中放棄はない。完成まで私は残り、責任をもって一隻は建造する。それでなければ世話になった中村さんが困るだろう」
「その約束はありがたい。わが国の造船技術の発展にもつながる」
「船大工には、洋艦を造れる技術を、設計図の段階から教えてさしあげる」
「おおいに期待したい。私も努力する。ロシア水兵が傭船で伊豆から出国する際、幕府が拒絶せず、また長崎からの出国にも拘泥しないよう、取り計らう」
為弥の約束が幕閣の意図と違い、かなりの紆余曲折も生じたが、安政二年(年号が変わったために翌年)二月二十五日、アメリカ船のカロラインフート号で、第一陣としてロシア人一五九名が戸田港から出航していった。
同年三月、戸田湾の松原越しに、朝焼けの富士山が鮮やかに輝いていた。為弥は富士山に手をあわせてから、牛ケ洞(うしがほら)の建造現場に足をむけた。船大工たちが建造ちゅうの洋艦の甲板に二本目の帆柱を立てている。新造船の乗船人員は五十人で、すでにヘダ号と名づけられていた。いつも凛々しい軍服姿のプチャーチン提督が宿所の宝泉寺からやってきた。 朝の挨拶をかわしたあと、建造のほうは順調に進んだ、あと五日もすれば進水できると提督が船内を案内しながら説明してくれた。
「有能な手と資財をあつめてくれた中村さんには感謝している」
「幕閣の後押しがあったからこそできたこと。拙者や上川だけのちからではござらぬ」
「中村さんはいつも謙虚すぎる。ロシアだと、謙虚な性格は損をする」
「貴殿の国に生まれなくて幸いだった」
ふたりは屈託なく笑えた。
進水式の当日、大勢の村人が手弁当を持参し、牛ケ洞にやってきた。
しかし、ほとんどの村民はヘダ号の進水を観ることができなかった。船台に牛の油を塗り、あっという間に船体を滑り降ろしてしまったのである。それでも村人たちは、ヘダ号を見つめながら、日本ではじめてできた洋艦だと互いに賞賛し、自慢していた。村人の目にも輝いてみえるらしい。
海上での艤装工事が終わった三月十七日、ヘダ号の乗り試しがはじまった。雨天で東風が強かったが、プチャーチン提督みずからも乗り込んだ。中村為弥と上川伝一郎らは、砂嘴から眺めていた。
岬回りで外洋にでたヘダ号は、二里ほど沖合を走りまわる。逆風、荒波でも、二本マストのヘダ号は快走する。陸の見学者や船大工たちはわが船のように歓んでいた。
重かった雲がしだいに千切れ、夕映えの気配とともに茜色の帯となった。その帯の一点から金色に輝く夕日が降りてくる。白い帆を赤く染めたヘダ号が松原の砂嘴にもどってきた。上陸したプチャーチンは、順調だったと為弥と抱きあい、全身で歓びを表した。
「それで、貴殿の帰国の日取りは?」
「明日かもしれない。あるいは半月先かもしれない。お世話になった、恩人の中村さんに、別れの挨拶ができないかもしれない」
「挨拶は結構。なにゆえに、出立がそれほど幅がある?」
「三月は富士の吹きおろしの突風で恐い海のようだ。ディアーナ号の沈没のこともある。出帆は慎重にしたい。もうひとつ理由がある」
このところ敵国フランス艦が伊豆沿岸に出没している。大砲を積んでいないヘダ号では戦えない。外洋にでて英仏の船影がないとき、一気に突っ走るというのだ。
「いつ帰国されても、拙者はまたの日に貴殿と再会できることをたのしみにしている」
「私もおなじ心境である。ただクリミア戦線の都合で、日本にこれるかどうかわからない。再会できないときは、私の美しい娘をこの地に訪ねて来させよう。難破した父が、幕府関係者のみならず、村民たちにもたいへん世話になったと、感謝のことばをもってくるはずだ。それは約束できる」
プチャーチン提督は娘のはなしとなると、いつも顔がほころぶ。提督は帰国が近いからと、沈没したディアーナ号から持ちだしていた品々を寄贈したいという。
ヘダ号の乗り試しが毎日つづく。三月二十三日、午後三時ころ、西南の六里沖合を走るヘダ号を遠望できたのが最後であったと、警備のものから為弥のもとに報告が入った。
提督と副官ポシェートをはじめ士官四十八人が帰国の途についたのだと判明できた。
中村為弥は川路のもとに報告にでむいた。プチャーチン提督から川路への贈り物として六分儀、寒暖計、絵画五枚を届けた。
「贈り物の気づかいはわかるが、最後に挨拶の一つくらいあってもよかったはずだ。あの男のために、幕閣との間で板挟みになり、ずいぶん苦労させられたんだ。異人は礼節を知らない」と不快な表情をした。
「拙者の口から何とも……。しかし、提督は窮地でも気後れしない、すごい人物でした」「まあ、あのプチャーチンの苦労は、この川路に比べたら十倍、いや百倍であろう。たった一艘で条約締結のため下田にやってきて、嵐で艦も失い、帰路を断たれた。ふつうの人間なら、神にも見捨てられたと打ちのめされる。だが、あの提督はまったくひるまず、執念で日露条約を締結させた。すごい軍人だ」
と誉め言葉に変わった。
「為弥もよくやった。誉めてとらす」
この年の六月一日、残るロシア人たちが傭船のドイツ船で帰国の途につくことになった。 五O一人の遭難者のうち、帰国できなかったのは、下田港で大砲の下敷きで死んだ一人と、戸田村で病死が二名でたことから、計三名である。墓を並べて下田の墓地で眠る。
日露交渉の処理が一応おわった。表舞台では川路聖謨の影に隠れていた中村為弥だが、老中はその働きぶりを見抜き、下田奉行に昇格させた(最後の下田奉行)。
アメリカの初代領事ハリスと交渉事で忙殺される為弥であったが、死んだ三人のロシア人はさぞ異国の地で淋しかろうと、ひとり墓参りを欠かさなかった。墓地にむかう途中の坂道で、右足が不自由な年頃の娘となったハルに出会った。この花でしょうと、ハルがほほ笑み、赤紫色の花を二輪ほど摘んで為弥に差しむけた。
ディアーナ号が大津波にあった命日、墓に供えられるのはいつも野菊の花だった。
引用文献
「ヘダ号の建造」戸田村教育委員会
「北方領土」北海道根室市
参考文献
「長崎、下田日記」川路聖謨著 平凡社
「下田の歴史と史蹟」肥田喜左衛門著
豆州下田郷土資料館
「ロシアからきた黒船」大南勝彦
静岡新聞社
