登山家

「はやち」は「疾風」を意味する早池峰山(1917m)=武部実

登山日 : 2018年6月30日(土) 晴れ

コース : 盛岡駅バス ~ 小田越 ~ 早池峰山 ~ 小田越 ~ バスで盛岡駅


 大人の休日俱楽部東北4日間15,000円パスを使って、丁度この時期、6月上旬~8月上旬の土日に盛岡駅から早池峰山の登山口まで直通バスが運行されるということで計画した。

 盛岡に前泊し、7:00に出発。2時間弱で、登山口である小田越に着いた。(8:55)。


 登山口で登山者に呼び掛けているのが、携帯トイレの販売である。山頂に3か所の携帯トイレブースがあり、使用した袋を登山口の返却ボックスに入れるというもの。利尻山でも勧めていたが、自然保護ということだけで、定着するのはなかなか難しそうだ。そう思うのは、私だけか。

 歩き始めは樹林帯である。緩やかな登山路を進むと、所々に一斗缶とこん棒がつるされているのが目に入る。クマよけの音だしだ。

 30分弱ほど歩くと、樹林帯を抜け、森林限界になり、見晴らしのいいところに出る。ここが一合目である。蛇紋岩の岩がゴロゴロしているところを登る。
 当日は風が強くバランスをくずさないように慎重に登るが、登山路に張られているロープを掴む登山者もいた。

 すると、下山中の登山ガイド(?)が
 「ロープは緩くて危険ですから、ハイマツを掴んでください。根っこが一本位抜けてもすぐ生えますから」
 と大きな声で怒鳴っていたのが、印象的だった。

 “はやち”とは風が強いこと、ここから早池峰山と名付けられたことがよくわかる。

 一合目あたりから、ミネウスユキソウをぼちぼち見かけてきた。

            【ハヤチネウスユキソウ】

 下山中のの登山者が上のほうに行けば、ハヤチネウスユキソウがたくさん見られるとのことで、少し様子をみる。周りを見渡すと、紫色のミヤマオダマキがいっぱい咲いていた。

 今回の高山植物の主役は、この花に間違いなし。その他にミヤマアズマギク、ミヤマシオガマ等が良く咲いていた。

 しかし、この山で有名な高山植物は何といっても早池峰が頭につく、固有種のハヤチネウスユキソウだ。
 登るにつれて、たくさん咲いていた。
 綿毛が特徴らしいいが、以前に見た礼文ウスユキソウとの違いがよくわからなかった。だが、なんとなく納得できた。

 山頂の直下では、途中の登山路で見かけなかった、イワカガミ、コバイケイソウ、チングルマ等咲いていた。
 剣が峰と山頂との分岐には11:10に着く。ここから山頂は15分で到着した。残念ながら、ガスが出て見晴らしは無かったし、記念の山頂写真は小さな標識しかなくて、少しがっかり。


 今回の東北の旅は、山以外にも10年ぶりの友人に会うこともでき、とても有意義な旅だった。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№228から転載

発売から1か月半の『神峰山』が大きな反響=若き女性の悲哀な人生で、涙が止まりませんでした

 1945年8月15日、終戦、敗戦という言葉だけで、戦争は終わらない。終戦後の悲惨な庶民の生活こそ、「2度と戦争をしてはならない」という歴史的な証言である。5作品の中編小説が収納された「神峰山」のメイン・テーマです。
 戦争が残した非情さ、抗うことができない運命のなかで、瀬戸内の港の遊郭街で、前向きに必死に生きる10代、20代の女と男たち。彼女たちは必死に生きているけれど、結果はとてつもない不幸だったりする。


 ことし(2018年)の11月1日の発売から、実に多くの反響が寄せられています。ご紹介させていただきます。


 【 読 者 感 想 】         


 ☆ 良かった。心に響きました。「初潮の地蔵さま」で泣きました。無念で、悲しくて泣きました。いまの自分(投稿者)の幸せがありがたく、泣きました。「女郎っ子」も、その急展開が、どうしようもなく悲しくて、泣くしかなかった。

 私(投稿者)は、昭和22年生まれで、団塊の世代です。「人の多さ」だけに気を取られて、噛み締めるべき真実の、二面あるはずの裏面が視野に入って来なかった。時代が大きく動いた時の、陰の事実に気が付いていないなことを深く突きつけられました。

 この作品は、映画・ドラマ化するべきです。大きな反響を呼ぶと思います。時代の隠れた面を知ってこそ、歴史といえるのではないでしょうか。

「あとがき」も切り口が鋭く、名文だと思いました。筆者の気迫に押されました。私の三男が広島にいます。神峰山を訪れ、ご冥福をお祈りしたいと存じます。
                     (小坂隆昭さん・横浜)    


 ☆ 現在を生きる私には想像もつかない世界。それでいて、昔も今も変わらないであろう、「女」を生きる女性たちの心。……読み進めるごとに、その悲しみが伝わってきました。特に「初潮のお地蔵さま」の(主人公)絵梨には逃げ切ってほしかった。もっと生きてほしかった。雄太先生(広島商船高校生)との物語を、穂高さんが書いてくださったのに……と(死が)残念でなりません。
                     (神山暁美さん・宇都宮)


 ☆ 装丁が良い。本文活字も読みやすく知的な感じです。広島のみならず、戦後の日本人の悲哀と欲、女性史を学ぶ絶好の一書だと思います。
                    (平木滋さん・広島) 


 ☆ 電車の中で読んでいたら、主人公が悲しくて、切なくて、ハンカチを出して、涙を拭きながら読みました。作中の小学6年生の博が遭遇した「紫雲丸事故」をより知りたくなりました。ネットで調べました。木江南小学校と校名が書かれていました。作中の人物の犠牲者たちが、瀬戸大橋が架かる、大きな要因になったのですね。
 神峰山にぜひ行きたいです。
                    (鷹取利典さん・葛飾区)


 ☆ とてもいい本です。しみじみと心にしみ込んでくる本です。情景が浮かんできて、情緒があって、よい純文学です。男性のなかに、女性が物悲しく語りかけてくるのが美しいです。不条理の世界にこそ、究極の愛があるのでしょうか。
                     (竹内真一さん・広島)


昭和30年5月11日・高松港沖で、紫雲丸海難事故が発生。写真の中央部


☆ 「女郎っ子」が悲しくも胸を打ちました。元女郎の優衣子が選んだ大工は、性の問題で不仲になったけれど、心底から話し合って和解する。ともに心優しい人です。かれは義父の立場で、連れっ子だった「女郎っ子」博少年が不良少年にいじめを受けても、「将来は広島大学、東京大学に行かせてやる、世のなかのためになれよ」と励ます。その場面は感動です。
 少年・少女らが海難事件の紫雲丸事故で、不運にも遭遇してしまう。母親の優衣子が少女の棺を開けて語りかける。小説として、悲しみが昇華した最高の場面です。
                    (J.Mさん・目黒)   


 ☆ 私の父親は、戦前・戦後、瀬戸内を航行する内航海運の機帆船を持っていました。木江港の「おちょろ舟」の話しは、子どもの頃、父親や船員からなんどか聞かされました。わからないままにきいていました。作品「神峰山」に描かれた女郎の姿が、そうだったのか、と重なってきました。
 当時は焼玉エンジンから、ジーゼルへと変化する時代だったと思います。
                    (東 力秀さん・福岡)


 ☆ 戦後の女性史を静かに語る名作である。確かに、終戦・敗戦という言葉だけでは戦争は終わっていなかった。「女郎っ子」ひとりの少年の心の情景と、その背景を大切に掘り起こして紡ぎ、静かにかつ心底からの「反戦への想い」を綴っている。
 瀬戸内海の離島という自然風景と共に、運命に翻弄された女性たちの生きざまを、リアリティに満ちた描写で描ききっている。
 女性史を学ぶ絶好の小説と思う
                     (アマゾン・カスタマービューより) 


 ☆ それぞれの人生がかなしい。切ない。戦争したのは日本だ。戦後に、どん底に突き落とされたのが庶民だったし、暗い社会でも人間は生きていかなければならない。善悪で読むのでなく、女郎屋の楼主・女将すらも戦後の困窮のなかで生きるために、その職業を選んだとおもう。
「ちょろ押しの源さん」が、若き女郎が亡くなるたびに、お地蔵さまを神峰山の山頂にかつぎ上げる。仏教思想で、死して仏さまになり、苦しみから女性は解放される。書かれていないが軍人は死んで軍神になったと祀られる。死後における『仏』『神』の違いを考えました。
 掲載された5編は、一冊ずつ「神峰山」①~⑤の長編にすれば、よかった。もったいないな、と思いました。若い世代に読んでもらいたい。
 私は神峰山に行ってみたい。
                    (吉武一宏さん・千葉)

干支の数にちなんで12山だ。めざすは単独山行・甲斐駒ケ岳(2967m)=武部実 

平成26年10月17日(金)~18日(土)

参加メンバー:武部単独

コース:長衛小屋~仙水峠~駒津峰~甲斐駒ケ岳~駒津峰~双児山~北沢峠



 今年の干支はウマ。ということで馬・駒の名がつく山を登ろうと思いついた。

 干支の数にちなんで12山だ。一月に奥多摩の馬仏山(723m)に最初に登り、甲斐駒の前で9山を数えるまでになった。
 ところで駒ヶ岳と名のつく山は全国に20座位あるといわれているが、その最高峰が甲斐駒ケ岳で、最低峰は2月に行った越生駒ヶ岳(363m)だ。
 甲斐駒は本来なら会山行(L佐治)で行く予定であったが、残念ながら雨で中止。その後の皆さんの日程が合わないということで、今年中に何としても登りたかった私の単独になってしまった。              


 今回泊まった長衛小屋は、北沢峠から10分ほどの所にあり、最近リニュアルしたということで小奇麗だ。当日の宿泊客は7~8人なのでゆったりと過ごすことができた。
         
 翌朝5:00出発。外気温はマイナス1度である。ダウンジャケットを着こみ寒さ対策はバッチリ。満天の星空を眺めながら、真っ暗闇のなかを歩き始める。
 登山者と会うこともなく、暗闇の中を一人で歩くのは気持ちのいいものではない。 

 30分で仙水小屋に着。この辺りから空が白々としてくる。と同時に気温が上昇してきたのか、ダウンを脱ぐ。               

 6:10仙水峠に着いた。樹林帯を抜けて見通しが良くなる。正面に摩利支天が、東には鳳凰三山の地蔵が岳のオベリスクが、そして振り向けば雪を被って真っ白な仙丈ケ岳を眺めることができた。
                      
 峠を越えると急な登りになってくる。一時間ほど登り、振り返ると雪で真っ白な北岳が見えてくる。ここから眺める北岳は、尖鋭な形に見えて恰好いい。
    
 7:40駒津峰(2752m)に着。ここで一休み。西に目をやると、今年の8月に登った御嶽山の噴煙が見られ、東には地蔵が岳の後方に富士山が眺められた。

 数日前に降った雪が所々に残っているが、特に問題は無い。しばらくして直登ルートとまき道の分岐になり、今回はトラバース気味に登る。

 9:15山頂に着いた。360度の展望だ。近くの南アルプスはもちろんのこと、中央アルプスや北アルプスまでも一望できて大感激だ。

9:30出発。摩利支天はパスし、先を急ぐ。駒津峰は朝と違って登山客で一杯だ。双児山を通り北沢峠に12:50着。
 13:30発のバスに間に合いひとまずほっとする。ウマ年の山は、駒津峰と甲斐駒2座を加えて11山になる。目標達成まで残りはあと1山だ。


  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№216から転載

秀麗十二景の10番目の九鬼山(970m)= 開田守

平成30年2月14日(水) 

参加メンバー:L武部実、岩渕美枝子、中野清子、古賀雅子、開田守の計5人

コース:禾生駅~杉山新道~九鬼山~紺場休場~分岐~田野倉駅



 九鬼山は大月市選定の秀麗十二景の10番目の山稜である。集合は富士急行線の禾生駅9:50である。
 富士急線の大月駅から3つ目の禾生駅(421m)から、国道139号線を大月方面へ15分ほど歩き、リニア新線の高架手前の桂川を落合橋で右に渡ると、九鬼山への表示があった。
 平行して古いレンガ造りの落合水路橋がある(発電用のものだそうです)。

 その水路橋のトンネル(天井から氷柱があった)を抜けると道標があって、左は愛宕神社経由の道、右の杉山新道へ行く。枯れ沢に沿ってチラホラ雪のある道を行く。途中には水道用ホ―スの穴が空いていて、その水の飛沫が凍ってきれいな氷になっている。
 急坂をジグザグ登る道は倒木が目立ちます。やがて凍りついた雪道になったので各自アイゼンを付ける。

 何回かのピークを味わい、ようやくさらにもうひと登りで富士見平になる。見事な富士山が自己主張していた(12:07)。天気が良くてよかった。
 ここで日当たりのよい暖かい所で昼食をとる。20分ほど昼食休憩してから山頂へ向かう。数分で九鬼山の山頂には12時47に着いた。

 以前には富士山が眺められなかったと聞く。今は少し伐採されていて見られます。三角点にタッチしてから、北東になるのか尾根を下っていく。
 急な雪面もあって危ない道である。トラロ―プもあったがたるんでいて、これも危険だ。岩場もある。ゆっくり慎重に行く。

 やがて小広い平地へ。ここが紺場休場か、でも道標はない。少し行ってから田野倉駅への分岐へ。まだ雪があるけれど、そろそろアイゼンを外そうかと思って下る。

 雪もなくなったところで、もういいかとアイゼンを外す。やがて林道へ出る。ここは少し凍っているので注意を要する。田野倉駅へと歩きだす。15:23発の大月行にようやく間に合った。

 天気がよいのが何より。私は秀麗十二景の登ってないところは4つほどまだあります。富士山が眺められるのは五分五分、季節は冬がいいのでは。都留市にも二十一秀峰が選定してあるそうだ。

 大月市の山の道標で、真ん中に紫色のロゴがあるのは、猿橋を似せたものかと思っていましたが、大月市郷土資料館の職員さんに聞いたところ、旧笹子トンネルだそうです。反省会は大月で。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№223から転載

武蔵野の自然を満喫できる、日立中央研究所内(野川水源)見学=栃金正一

1.期日 : 2018年4月14日(土)曇り時々晴れ

2.参加メンバ : L栃金 上村 渡辺 伊東 星 野上 武部 岩淵 脇野 中野 
佐藤 古賀 他3名

3.コース : 国分寺駅~日立中央研究所~姿見の池~お鷹の道~殿ケ谷戸庭園~国分寺駅
       

 日立中央研究所(以下中研と表記)、もともとは、今村銀行(後の第一勧業銀行)の頭取の今村繁三の別荘地を日立が譲り受け昭和17年に設立したもの。設立にあたり創業者「小平浪平」の「良い立木は切らずに、よけて建てよ」という意志が、現在も引き継がれ自然環境が維持・整備され、毎年春季に一般開放されている。


 10:30に国分寺駅に集合。日立OBの岡田さんの案内にて、徒歩7分位で中研正門に到着する。
 受付を済まし正面の「返仁橋」と言う深い谷に掛かっている橋を渡る。橋の真ん中あたりで下を覗くと、小さな川が流れているのが見える。橋を渡り切ると大きな噴水があり、その向こうに6階建ての研究棟が建っている。

 建物の脇を通り広場に行くと、ステージがあり催しものをやっている。周囲には模擬店等もあり大勢の人が飲んだり食べたりしながら楽しんでいる。


 広場を通り過ぎ道を下って行くと大きな池に出る。池の大きさは、10,000㎡で周囲は800mあると言うので、池の周囲を回ってみる。途中道からはずれて、国分寺崖線(通称 はけ)からの湧水を見に行く。崖の下から澄んだきれいな水がチョロチョロと湧き出ている。これが、「野川」の源流のひとつとのこと。

 大池の奥に行くと、年2回花を咲かせると言う「十月桜」を、花の終りかけであるが、見ることが出来た。
 少し行くと「生きている化石」と言われている「メタセコイア(アケボノスギ)」が大きく空に向かってそびえている。さらに少し行くと水門がありここから池の水が「野川」へと流れて行く。

 大池巡りを終り、坂を上って行くと「御衣黄(ギョイコウ)」と言う大変めずらしい、花びらが緑色の桜の木がある。残念ながら花は終わりかけていたが、わずかながら緑がかっていた。黄色い「タンポポ」が、一面に咲いている芝生の上で待ち遠しかった、昼食をとる。

 昼食後、中研を後にして西国分寺の「姿見の池」から中央線を渡り広々とした「東山道武蔵路」跡をゆったりと歩き「野川」の源流のひとつである「真姿の池」を見学した。

「お鷹の道」を通り国分寺駅近くの公園でガイドの岡田さんに感謝して解散した。まだ、時間があったので、有志で「殿ケ谷戸庭園」を見学した。今回は、都内に数少ない武蔵野の自然を充分に楽しんだ一日となりました。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№228から転載

第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018 = 地元高校・2校の生徒らも参加・活躍

『第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』が、広島県・大崎上島において、平成30年8月11日(土・祝日) 午前10時から午後3時30分に開催された。

 主催者は大崎上島地域協議会、後援は全国山の日協議会、幕末芸州広島藩研究会。会場は大崎上島開発総合センターの大会議室である。

 今年から島内の学生らも参加型で実施された。「山と海の恩恵に感謝する」をテーマにしたパネルディスカッションである。


 7月の集中豪雨被害で、広島県は甚大な被害を出した。離島の大崎上島も、山崩れは数か所あり、道路通行止め、懸命の作業で幹線道路は復旧したが、片側通行の場所もある。

 その悪条件下でも、第2回目が開催された。ただ、神峰山の登山道はがけ崩れが発生し、登頂は不可能になった。「お地蔵さんを洗う、磨く、祈る」は、山麓の会場で、参加者のこころのなかで、行ってもらった。


 先んじて、ポスターは広島市内15枚、チラシ100枚、島内にはポスターは40枚、行政機関等など窓口、フェリー乗り場、定期船の発着場(回漕店)に掲示された。

 なお、チラシは島内に4,000枚全戸配布、残りは関係機関の各窓口で配布された。
 
 同フォーラムの当日は島内の有線放送で開催をアナウンスされた。


 世界初の山の日がナショナルホリデーになった。国民の祝日「山の日」は超党派議員で成立したもの。同メンバーだった地元選出の衆議院議員・寺田実代議士も参列してくださった。

【第1部・午前の部】

 開会挨拶  NPOかみじまの風 代表理事 横本正樹(よこもと まさき)さん

 司会進行 松島勇雄さんである。


① 山を奏でるコンサート 「ラテン・コンサート」

   三須磨大成(たいせい)さん・利香(りか)さん デビット・松井さん



 山の鎮魂歌。なぜ、鎮魂なのか。神峰山には多くの地蔵さんがある。それぞれの石仏に悲哀がある。それを慰めるものである。


② 大崎上島・神峰山物語シリーズ朗読会

穂高健一原作・書き下ろし「紙芝居と海軍大尉」


 朗読・「朗読ボランティア・しおさい」

 読み語り 川本恵里さん、 福本まゆみさん


③ 大崎海星高校生による大学生神峰山案内成果報告

  3学年 梶村莉子(かじむら りこ)さん,神紀美香(じん きみか)さん

  同校の高校生が、都会の大学生を招いて、神峰山に案内する学校行事が行われている。その活動を紹介するもの。パワーポイントとレザーポインター使用して行われた。

「神峰山」に関する問題など、ユニークなものも含まれていた。

 協力者にお茶付き弁当用意が用意された。昼食を通しても、40人が山の話題を行っていた。
 高校生たちが寺田実代議士(前列・中央)、穂高健一と記念撮影に収まった。

 
【第2部・午後の部】

④ 来賓あいさつ、
    衆議院議員  寺田 稔(てらだ みのる)さん
    広島県議会議員  森川 家忠(もりかわ いえただ)さん
    大崎上島町長  高田 幸典(たかた ゆきのり)さん

④ 基調講演 穂高健一氏が著書「広島藩の志士」を語る。江戸時代の地元・広島藩の歴史を学ぼう 
          
⑤ フォーラム対談「神峰山の魅力を語る・山と海の恩恵に感謝する」

 作家・穂高健一と、広島商船高専・大崎海星高校学生の有志たち。

 フォーラム参加学生
 広島商船高専
   横山 夏樹(よこやま なつき)さん、
   宇郷 佳暉(うごう よしき)さん
   森岡 芽生(もりおか めい)さん
           
 大崎海星高校 

   梶村莉子さん
   川本麻美さん
   神紀美香さん
   菅翔稀さん
   竹内繭さん
   三村桃花さん
   大藤薫乃さん

 大崎上島には、「農林漁業、伝統文化、生活自然、景観」などの有形・無形の資源が豊富にある。9人の高校生が、将来志向で、その活用方法を考える。


   

    9人の高校生らは、高田幸典・町長と記念撮影


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多摩川の水干で、山と水に感謝  笠取山 市田淳子

山岳名 : 笠取山(1941m)
                          
期日:2018年6月2日 晴れ

参加メンバー:L栃金正一、上村信太郎、開田守、金子直美、市田淳子

コース:作場平橋駐車場~一休坂~笠取小屋~笠取山~水干(みずひ)~笠取小屋~ヤブ沢峠~一休坂分岐~作場平橋~駐車場

歩行時間 : 約6時間

 ずっと行ってみたいと思っていた「水干(みずひ)」に行くことができた。水干とは、沢の行き止まりの意味で名付けられた多摩川の源だ。
 ここから雨水はいったん土の中に浸み込み、60mほど下で、湧き水として姿を現し、多摩川の初めの流れとなる。
 一滴の雨水が多摩川の水に……。何とロマンティックなことだろう。私にとって多摩川は子ども時代から親しんできた川、自然との接点だ。

 しかし、その多摩川は小学生の頃、汚染の象徴となった。今、この清い水を目の当たりにして、下流の水を知る私は、やはり自然保護を訴えないわけにはいかない。


               *

 作場平の駐車場から、一休坂を経て、笠取小屋に着いた。小屋の前から大菩薩嶺が美しい姿を見せた。
 笠取山へ向かう樹林帯は、大菩薩嶺から丸川峠に抜ける道に似て、コケが多い。樹林帯を抜けると、急に展望が開け草地が広がる。
 かつて山火事に見舞われ、高木は燃えてしまい、その結果草地が広がるのだが、この景色は滝子山に似ている。
 ここには小さな峰があり分水嶺となり、富士川、荒川、多摩川に分かれ、市民に水を提供している。ほんの少し下ると、笠取山の山頂が見える。

 山頂まで直登であることは一目瞭然だ。あの斜面を登るか、と思うと気が重い。しかし、登ってみると、それほどでもなかった。

 後ろを振り返りながら見える景色は、辛い登りを緩和させてくれた。
 いよいよ山頂だ。初めにある「山頂」の道標は本当の山頂ではなく、その奥に本当の山頂が控える。大菩薩嶺、鶏冠山が見えるので、地図を見て山の位置を確認した。

 北側斜面にはシャクナゲの群落があり、この群落はしばらく続いている。見頃は過ぎたが、かろうじて間に合ったようだ。山頂で昼食を済ませ、水干に向かう。
 岩場を下り「水干」の看板。ここでキバナノコマノツメに出逢った。水干は雨が降ると水滴
が見えるようだが、この日は見えなかった。

 少し下ると、湧き水が現れ、流れを作り、渓流になる。水に恵まれた日本だからこその景観だ。この水があるからこそ、我々は豊かな生活ができると思うと、山の恵みに感謝の気持ちでいっぱいになる。

 砂漠の国では考えられない豊かさであり、水道の蛇口をひねると、水が当たり前に出ること
を今一度、簡単なことではないと、胸に刻みたい。

 ここからヤブ沢峠に出て、心地良い水の音に癒されながら、渓流沿いを歩き、元きた道に戻り作場平の駐車場に着いた。

 天気も良く多少の渋滞はあったものの、ほぼ完璧に予定をこなし、期待通りの笠取山の山行に感謝です! (森林インストラクター)


   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№226から転載

ミツバツツジ 、山桜、アオダモを楽しむ=甲州高尾山 武部実

山岳名 : 甲州高尾山(1106m)

平成30年4月17日(火) 曇り

参加メンバー:L佐治ひろみ、渡辺典子、武部実、中野清子、開田守、佐藤京子、金子直美、宮本武の計8人

コース:勝沼ぶどう郷駅からタクシー~大滝不動尊~富士見台~棚横手山~富士見台~甲州高尾山~剣ヶ峰~柏尾山~大善寺~勝沼ぶどう郷駅


 世界一登山者が多い山は、ご存知のとおり高尾山で、年間260万人が訪れるという。今回登った山はその高尾山ではなく、頭に甲州がつく山梨県にある高尾山である。

 勝沼ぶどう郷駅に8時50分に集合する。2台のタクシーに乗車し、大滝不動尊には駅から15分ほどで到着した(約2000円強)。
 この山は昔から修験霊場として創建されたという。

 大滝の名の通り、石段を登った先にはいくつかの滝がある。説明板には5滝と書いてあるが、水が流れていないのもあり、見ためには2つ位しか見当たらなかった。

 山道に入ると、ミツバツツジをたくさん見かけた。ほとんどが満開で、薄紫のきれいな花弁を見せてくれていた。
 1時間弱で、富士見台に着いた。富士山は雲の中、残念ながら眺めることが出来なかった。ここから30分弱で、今回の登山コースの最高峰である棚横手山(1306m)に到着する(10:30)。

 しばし休憩し富士見台に戻る。ふたたび稜線伝いに歩いて行くと、目に留まるのが炭化している木々で、その傍に植わっている樹木はみんな若木だ。
 それもそのはずだ。4回も山火事があったのだ。不始末か、自然発火が知らないが、残念なことである。


 途中で、昼食を摂り、甲州高尾山に着いたのが12時10分である。


 地図には富士山の展望がよい、と書かれている。あいにくの曇り空で、集合写真を撮ってから、先に進む。5分ほどで、甲州高尾山の剣ヶ峰(1092m)に到着した。三角点が置かれている山である。

 花はミツバツツジに変わって、山桜がそこかしこに咲いていて、ちょうど満開である。今年はこれで何回目の花見だろうか。
 少し下がると、白い花をつけたアオダモが清楚な感じで咲いていた。

 右方向には甲府盆地の塩山駅そばにある「塩の山」を眺めながら稜線歩きがつづく。鉄塔の設置してあるところが、柏尾山のはず。だが、標識は無い。国道沿いにある大善寺に着いたのが14時10分。あいにくバスは行ったばかりで、駅まで歩くことにした。
 ぶどう畑の横を歩いて、勝沼ぶどう郷駅にはちょうど15時00分に到着する。


 今回の山行は、週間天気予報では雨だった。だが、登山中は降ることもなく、松ぽっくりや山菜等の収穫もあり、山登りのもう一つの楽しみを満喫し、快適に歩くことが出来たと思う。

 曇り空で、富士山や南アルプスの眺望はかなわなかったが、これはまたの機会に期待しようではないか。

 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№225から転載

鎖と直立の岩場が連続する、怖れるな 妙 義 山=栃金正一

山岳 : 妙 義 山 (1103m)

1.期日 : 2010年9月11日(土) 天気:晴れ

2.参加メンバ : L 栃金正一 武部実

3.コース : 妙義神社~大の字~奥の院~白雲山~タルワキ沢のコル~相馬岳~タルワキ沢のコル~中間道~妙義神社



 今回の山行は、9月下旬に行く黒部峡谷「下の廊下」のトレーニングを目的として計画した。鎖場などで高度感に慣れておくためだ。

 朝6時ちょうどに三鷹駅を車で出発した。7時45分に、妙義神社に到着する。登山の準備をしてから、8時00に歩きはじめる。

 天気は晴れだが、残暑が厳しく、歩いているだけでも汗が流れ落ちる。神社境内の脇で登山届を出し、奥の院を目指し、登山道を登って行く。
 昨夜、雨が降ったのか、岩がところどころ濡れている。途中、短い鎖場があるが、滑って登りにくい。
 1時間ほど登ると、5メートル程の大きな岩があった。鎖がついており、試し登りが出来る。岩の上には、大きな「大」の字がつけらているため、通称「大の字」と呼ばれている。足場がしっかりしているので、登り易い。

 岩の上からは、眼下に妙義山の裾野が広大にひろがって見える。

「大の字」から更に登ると9時35分に奥の院に到着する。ここから本格的な岩登りが始まる。右手に鎖があり、いきなり30メートルの直立した岩場だ。一気に登る。
 足場をしっかり決め、3点確保で、ゆっくり慎重に登りきる。しばらく灌木の道を行くと、7メートルの2連の鎖場があり、これを登ると主稜線に出る。

 主稜線を左に少しいくと白雲山で、10時00分に山頂に着く。

 山頂からは浅間山や榛名山、赤城山、奇岩の立ち並ぶ裏妙義、それらの山々が見渡せる。稜線づたいには短い鎖場がいくつかある。岩がしっかりしているので、ゆっくり慎重に進めば問題はない。

 さらに稜線をいくと「御嶽三社大神」の石碑がたつ、大またのぞきだ。10時30分に到着する。谷を挟んで、直立する天狗岳の岩壁がすさまじい。ここは、キレットになっており、30メートルの鎖場を下る。

 股の間に鎖を置き、下をのぞきながら下る、文字通り「大またのぞき」である。

 谷を越え、一気に登ると11時30分に天狗岳山頂に着く。さらに西肩のピークを越えてしばらく下ると、人の顔をした顔面岩があった。
 このあたりから一気に下り、タルワキ沢のコルには11時50分に到着する。

 ここで昼食をとる。

 昼食のあと、相馬岳を目指し登り返す。暑さで汗が噴き出してくる。12時35分に表妙義の最高峰の相馬岳1103メートルに到着する。
 山頂からは裏妙義の奇異な山々と、山腹にへばりついているすさまじい登山道を見ることが出来る。

 タルワキ沢のコルに戻り、一気にタルワキ沢を下る。沢道は荒れており、鎖場も2か所ある。慎重にルートを確認し14時10分に中間道に到着。

 第二見晴、第一見晴に立ち寄り、妙義神社の駐車場には15時15分に無事到着する。ふもとの温泉に入り汗を流す。
 温泉からは、いま登ってきた表妙義の山容が手に取るように見へ、より深い充実感が得られた山行となりました。


      ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№142から転載

緑と紅のコントラストが魅了する飯豊山(2105m・個人山行)=関本誠一 

日時:2014年9月下旬  晴れ時々曇り

コース:【二日目】大日杉小屋~地蔵岳~切合小屋~本山小屋~飯豊山 (往復:10時間)


『山行』
 南麓(川入)からの山行を計画していたが、昨年7月の集中豪雨で川入に通じる道路が寸断、『開通見込みない』とのこと。

 今年(2014年)はなかば諦めていたが、東麓から登るルート(中津川口)が車利用で可能なことに気づいた。
 まず最寄り駅からのタクシーを考えたが、駅がローカル線で東京から乗り継ぎ不便なのと、タクシー代が約1万円と高額なので諦めた。
 今回は山形新幹線・米沢駅でレンタカーを借りて、3時間かけて登山口がある大日杉小屋まで入る。
 町営の山小屋だが、鉄筋高床式で隅々まで清掃されて、まるで新築のようだ。

 素泊り(,500)のみで、8月迄のシーズン中は管理人も駐在し、女性も安心の山小屋だ。毎夕、見回りの管理人から尾根上の山小屋の情報入手し、翌日に備え、早めに就寝する。

【二日目】

 4時に起床する。朝食後、5時に出発した。今日は尾根にある小屋で泊まる予定なので、シュラフ・コンロ・コッフェル・食料など自炊装備を背負っての長丁場だ。
 登山口からほどなく、ザンゲ坂の急登が待ち受ける。
 鎖はないが、土が滑りやすいので、慎重に行登っていく。このコースは地蔵岳までの急登をどう乗り切るかが、キーポイントになる。
 途中『だまし地蔵』と呼ばれるピークあたりで、疲れもピークに達する。最近は、軽量装備で山頂往復という登山に慣れているせいか、今回のフル装備は一段と辛い。

 8時に地蔵岳に到着、ようやく谷を挟んで、飯豊山の全容を見ることができる。なんと立派な山だろう。これを見たら、誰でも感動する素晴らしい景色だ。
 地蔵岳から、ダケカンバの休憩ポイントまでは、アップダウンを繰り返しつつ、緩やかな下りだ。
 最低鞍部からは、飯豊山、切合小屋、種蒔山に至る稜線が、間近に見え気分も、ハイテンション。残り僅かになった秋のお花が元気を与えてくれる。

 切合小屋の手前にやぶ漕ぎ道があるが、左側から初夏の雪渓跡?を避けていけば、問題なく切合小屋に出る。
 ここからは、飯豊の醍醐味である。この時期は紅葉前線のなか稜線を本山に向う。
 快晴の空、緑と紅のコントラストが素晴らしい。草履塚、姥権現、御秘所と緩やかなアップダウンを繰り返す。御前坂の標柱まで標高を下げ、そこから本山小屋へ最後の急登だ。
 小屋前ベンチに荷物デポ、山頂へは平坦な道を約20分。山頂からは梅花皮方面の眺めも一段と素晴らしい景色だ。


 時間的に早かったので、山小屋には泊まらず、日帰りにすることに決定する。下りは登ってきたコースを逆に辿る。
 飯豊山はアクセスもルートも長く遠い存在だったが、今回ようやく山頂を踏むことができた。
 天気も待ちに待った晴天である。登りのきついということも忘れてしまうほど、なんと景色の素晴らしいことか…。
 しかし、飯豊の魅力のほんの一端しか触れてないと思う。それでも、すでに飯豊のとりこになってしまいそう。
 まさに『飯豊はイイデ~!』(笑)という皆さんの言葉通りの山です。ぜひ出かけてみてはいかがでしょうか。

(草履塚から望む飯豊本山)

  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№189から転載