ジャーナリスト

初夏の青空をキャンパスに、ブルーインパルスが舞う、=東京・葛飾

 ここ2か月ほど自粛ばかりで、東京人は室内で、ひたすら天井を見ている。

 室外に出て空を見上げれば、そこにはかがやく青空があった。

 五月晴れは、とても心地よいものだ。

 

 浮雲が多少のアクセントをつけていた。これがまた絵になる。

 2020年5月29日、12時40分ころだった。
 
 航空自衛隊の ブルーインパルスが、新型コロナウイルス に対応する医療従事者たちに感謝を伝えるために編隊飛行をおこなった。

 

 
 何機いるのかな。6機が白い絵の具のように直線を描いていく。

 さらにもう一機が確認できた。全体をコントロールする指導機なのだろうか。



 かれらは東京スカイツリーの周りをはたして何回まわるのだろうか。

 

 編隊機の急上昇も素晴らしいものだが、直線でも美しさをかもしだす。

 

 葛飾区は「寅さん」、「立石飲み屋」、「下町の工場」というイメージだが、こんな公園もある。

 子どもらは、青空よりも、団らんを愉しんでいた。

 スマホで撮影するひと。少しでも高いところから撮影したいのは人情だろうか。

 編隊機の高度からみれば、2-3メートルはまったく変わらないと思うけれど。


 この空は羽田空港の航空路で、ふだんは離着陸の飛行機が次つぎに飛来してくるところだ。

  ブルーインパルス が東京上空に飛ぶとなると、この時間シャットアウトだろうか。

 少なくとも、前後の30分間は民間機の姿をみなかった。

「もう来ないのかな」

 しばらくは、そんな会話が流れていた。

 東京人は日々、引きこもり生活を余儀なくされている。それだけに青空と ブルーインパルスで、すかっとした余韻を持ちかえっただろう。

【歴史から学ぶ】 世界大恐慌よりもひどい。「医療崩壊」のあと「経済崩壊」がくるのか。

 国会で、安倍晋三首相が「1929年(昭和4年)以降の世界大恐慌と比べ、厳しい状況になっている」との見解を示した。日本では当時、昭和恐慌と世界恐慌が重なった惨事になったのだ。
 それをどう感じ取るべきか。



 いま、「医療崩壊」の瀬戸際にある。これをうまく乗り越えたとしても、首相の予見通り、貿易立国の日本に、「経済恐慌」や「経済崩壊」がくるかもしれない。

 東京都に絞ってみると、大企業の本社が多い。だから、都税はいま豊かだ。
 しかし、令和2年の各社の決算発表は、新型コロナの影響で、軒並み赤字である。決算書すらできていない会社もあった。

 企業は収益を出すのは人・金・物の組み合わせと努力とを要する。反面、赤字はちょっとした瞬間で膨大になり、企業の存続すらも危うくしてしまう。

                *

 1年後の令和3年の決算となると、どうなるのだろうか。経済活動の停滞・不調から、とてつもない未曽有の大赤字になる可能性もある。

 豊かな都政が突如として180度ひっくり返る。都財政は大赤字になる。

 都知事はいま「社会が混乱している」と、ホームステイを強調しているが、「経済恐慌による改革」まで視野に入っているのだろうか。うかうかすれば、巨大な赤字都政で、東京都の運営そのものが危うくなってくる。
 となると、都の職員(一般行政職)の1万8207人の給料は払えるのだろうか、という心配にも及ぶ。都税がなくなれば、半分、あるいは1/3の削減くらいの荒療治や覚悟が必要になるかもしれない。 とても削りにくい消防吏員・公営企業・行政委員会・学校教職員・警察官までをふくめると、都税で暮らす人は総計16万5千人をかかえている。
 

 それと同様に、23区も、区民税の大幅な減少がある。立派な区役所は外部に貸して、質素な小さな行政に転じる必要がある。

 ここまで書けば、「なあーに、V字型の景気回復があるさ」ということばが飛び出すだろう。

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 私たちは性格において、大ざつぱに二通りある。楽観主義者と悲観主義者である。

「なんとかなるさ」、成り行き任せ、「どうか、そうならないでほしい」と願う。こうした楽観主義はけっして悪いことではない。
 むしろ、悲観的に考えすぎると、経済(投資・消費)がかえって冷え込んで悪影響を及ぼしてしまう。

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 しかし、行政担当者は逆である。危機管理とは最悪を考えることである。

 行政マンは「なんとかなるさ」では給料をもらう資格がない。常に最悪の場面まで想定したシュミレーション(simulation・模擬実験)をする。そのうえで、段階的な対策を練る。
 こうした状況下では、悲観主義者のほうが適性があっているといえる。


 災害は忘れたころにやってくる。2021年は「東京オリンピック」どころか、まさかと思うが、最悪は「関東大震災」という直下型の地震が来たらどうするべきか。

 これは不安を煽(あお)っているのではない。私たちの曾祖父のころ、いまから100年前に、それを経験しているのだ。
 この歴史から学ばなければならないのだ。

 第一次世界大戦のあと、わが国に「戦後恐慌」が起きた。そして、「スペインかぜ」が大流行した。(1918-1920)。まさに、現況とおなじようなウイルス禍である。
 このときは日本人が約40万人近く死んだ。

 その3年あと、大正12(1923年)年9月1日11時58分、関東大地震が発生したのだ。マグニチュード(M)は 7.9である。

 悪いことは重なるもので、当時の内閣総理大臣の加藤友三郎(広島出身)が、この大震災の8日前、8月24日に現職で急死していた。
 想像を絶する大惨事のなかで、首相が空席だったのだ。

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「歴史は進歩ばかりでない」。時間の流れの中で、そういう負の事実(遺産)もあったと踏まえていたほうがよい。

 新型コロナ・ウイルスの環境下で、東京に大地震が起きたらどうするか。神戸淡路大震災も、同様である。
 ただ、人間には経験という大切な財産がある。
 2011年3月11日に悲惨な東日本大震災が起きた。日本中にボランティア活動精神をうみだした。ボランティア文化ができたのだ。
 江戸時代に盛んだった「お互いさま」という「相互扶助の精神」の復活でもあった。

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 私たちは、ウイルスと闘いながら、3.11から学んだボランティアを経験をどう織り交ぜていくか。IT通信も、一段と進歩している。
 日本を沈没せてはならない。関東大震災なみが来れば、大坂か、京都か、首都機能を即座に移す。どのように具体的にバックアップするか。
 被災者への支援・救援活動、安全維持の消防・警察活動なども多岐にわたるシミュレーショが、いざ本番には不可欠である。「備えあれば、憂いなし」という格言がたいせつである。
 
               *

 大正時代の関東大震災は、当然ながら、大不況に陥ってしまった。さらなる負の時代が連続する。
 大正時代が終わった翌年、昭和2年(1927年3月~)に、昭和金融恐慌が起きてしまったのだ。「銀行の取り付け騒ぎ」ということばで、庶民の間で広まった恐慌だ。銀行が次つぎに倒産してしまった。


 高橋是清(これきよ)大蔵大臣が、片面印刷の200円券を臨時増刷して現金の供給に手をつくした。

 これを解決したと思ったら、日本が運悪く金解禁を行った。日本の金貨が外国に流れてしまったのだ。そのデフレ不況が世界恐慌と重なってしまったのだ。もはや最悪である。
 「経済崩壊」がたちまち政治に影響を与えた。
(現・安倍晋三首相がいう「世界大恐慌」とは、この時点の実態を語っているのである)
 日本社会は倒産、犯罪、自殺、路上にはホームレスがあふれた。暗黒の時代へと加速していった。

 これが満州事変を誘発してしまう。       


【ここらは学校教育の場で、教師が最も教えにくいところで、大半がスルーしている。しかしながら、現代社会で身近に役立つ、重要な歴史の宝庫なのである。
 東京オリンピック2020でなく、その前後に直下型の巨大地震がきた。負の影響が全国に波及する、と考えれば、わかりやすい】

            * 
       
 安政2年の「江戸大震災」、昭和2年の「昭和金融恐慌」、令和2年の「新型コロナウイルス禍」という、『2年』のごろ合わせか、偶然か、惨事が奇妙に一致している。
 過去の歴史はふしぎに負の連鎖が続いている。

 為政者は大惨事の時に、手柄や業績や賞賛に値する名誉など考えない方が良い。歴史は知恵の無限の宝庫だ。目先だけでなく、巨視的な視点から学び取るとよい。
 大正・昭和の恐慌。その時代を生きた人々の生活まで近づけば、生きる英知が豊富にあるのだ。 

 パチンコ屋の営業に法的な処罰をするか否か。高所得者層のゴルフ練習場(打ちっぱなし)はずいぶん密集しているが、営業はできる。新書の本は売れるが、古本は売れない。ここには貧富の差、利用者の所得格差が不自然に生じているのだ。

            *
 
 水野忠邦(みずのただくに)は、禁止の元祖だ。天保の飢饉で、質素倹約の生活から奢侈(しゃし)禁止令を強く庶民に科した。それでも、歌舞伎、芝居小屋は数少なく開いていた。全面禁止ではなかった。

 現在は公営の屋外の運動施設などは全面禁止だが、そろそろ一部解禁にした方が良いのではないか。精神面の安全性からも。諸外国ではストレスから暴動も起きはじめている。

 児童公園にテープを張ったり、買い物は3日に一度、藤棚を伐ったり、あまり細かいこと「重箱の隅をつつくような」ことに干渉せず、大目に見るほうがよい(家康)。
 あなたがた政治家は規制、禁止づくりよりも、もっと別にやることがあるはずだ。


「世界恐慌より大きな危機がくるかもしれない」
 国家の首相が真剣に危惧しているのだ。東京都政(府県政)も、ここらを正面から検討した方が良い。

 いまや中小企業・中堅企業が従業員の支払いをどうするか、という問題に突き当たっている。収入のない人は、都民税(県民税)、区民税(市町村税)など払えないのだ。
 となると、地方自治体は行政の無駄を徹底して切り削いでいくことになる。さらには過酷だが、「公務員の首きり」というつらい選択に及びかねない。


 まさか「昭和恐慌」の先にあった、2.26事件のような、軍事クーデターは起きないと思うけれど。

 地方自治体の政治家、行政マンは今やるべき課題はなにか、と考えた方が良い。コロナ規制、規制の一辺倒にならずに。

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 経済は崩壊が始まると、とてつもなく加速度がついて落ちていく。犯罪、自殺、一家心中が社会の中核に座ってくる。飢え、貧困、食糧危機にまでなる。それが2.26事件、日中戦争へと拡大していった歴史的事実である。

 私たちは「暗黒の道」に入る前に早くに脱出しなければならない。悲惨な大正・昭和史からの教訓である。
 

【歴史に学ぶ】早大には医学部なし。慶応大医学部がコロナで衝撃の発表

 東京都内で3月初旬、院内感染が次つぎに起きはじめた。その初っ端に、慶応義塾大学病院(新宿区)が、医者とスタッフから新型コロナ・ウイルスの感染者が出たと発表した。

「えっ、最先端治療ができる慶応大学病院が、コロナの院内感染に?」
 東京都民はびっくりした。全国のひとも同様だったと思う。
 新型コロナは大学病院すら、襲うのか。東京は危ないのか。その認識を新たにした。同大病院は永寿総合病院(東京都内)から転院したコロナ患者を受け入れた。その患者から感染したらしい。

(4月21日において、同大病院は感染拡大を封じ込めている)。

                 *

 かたや、なぜ早稲田大学に医学部がないのか。慶応大も、早稲田大もあれば、補完できるのに、と思ってしまう。その理由は建学精神にある。

『われわれは福澤諭吉の精神にもとづき、患者さんに優しく、信頼され、先進的医療の開発、人間性と深い医療人の育成を実行してまいります。』
 そのモットーが慶応義塾大学病院に掲げられている。

 標語とはおおかた守られない、出来ない、だから、それを掲げることが多い。信号を守らないから、『赤信号で渡るな、命を落とす』と標語が生まれるように。


               *

 (2020年)4月23日の同大医学部は、
「院内感染を機に、複数の診療科で「COVID-19救命チーム」を結成しました。コロナ感染症に無関係な来院者67人にPCR検査を行ったところ、4人(5.97%)が陽性者だった」
 と公表した。

 慶大はとても勇気ある。まさに、福沢諭吉の建学精神が発揮されたのだと思えた。

            * 

  東京都の人口は、昨年(令和元)10月1日現在、推計1394万2,856人である。

 統計学の確率手法でいけば、約6%陽性ならば、東京都民83万6571人がコロナウイルス陽性である。咳、発熱、気怠さが出ていない無自覚のひとをふくめた数字である。

 同大学医学部は東京の信濃町だから、全国に換算するのは良くないだろう。

 いま、この場で全都民「3密」「外出自粛」の実行率が6割とすれば、東京都内で83万X4=約33万人の陽性者が街なかで行動していることになる。
 慶大は、医学的な根拠をもって、重大な警鐘を鳴らしたのだ。


 これまで日本政府は、韓国とか、欧米とかで導入する抗体キットによるコロナ検査(どの国でも数十万人)にたいして、やや懐疑的であった。腰を上げなかった。
 
 しかし、日本でも最高医学の「COVID-19救命チーム」となると、無視はできない。政府もいささか慌てたようだ。抗体キットを開発し、抗体検査で、全国の自治体別にコロナ感染の比率をだす、という。

 となると、なにかと「遅いな」と思う。でも、やってくれたほうがよい。どうせ、長期戦の戦いなのだから。

           *   

 幕末の福沢諭吉は「学問のすすめ」とか、勝海舟との軋轢(あつれき)とかが有名であるが、かれが医者だったとか、伝染病との関りとかは、あまり知られていない。


 福沢は大分・中州藩の下級藩士の出身である。

 大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)塾で学ぶ。そこは全国から医者と蘭学をめざす者が、同塾に集まってきた。江戸の幕臣の「昌平黌(しょうへいこう)」と肩をなべるエリートたちの集まりだった。
 福沢は緒方洪庵塾の塾長(トップ)だった。

 中州藩の命令で、福沢は江戸に移る。築地鉄砲州で蘭学塾を開く。そのあと、咸臨丸(かんりんまる)で渡米し、勝海舟と仲が悪かった話しは有名だ。
 德川幕府の遣欧(けんおう)使節団の一員として、パリ、ロンドン、ベルリンなどに出向く。病院、福祉施設を積極的にみてまわった。


 戊辰戦争が勃発(ぼっぱつ)した慶応4(1868)年に、「慶応義塾」が建学された。初代塾長は広島藩領の奥深い(山県郡川小田村)農民出身で医者を目指す古川正雄(ふるかわ まさお)である。福沢は、上野で彰義隊が戦うさなかでも、慶応義塾で講義をしていたという。


 旧幕府軍が敗走した。古川塾長はいかなる考えだったのか、慶応義塾を投げだし、榎本武揚らとともに箱館戦争に行ってしまう。あげくの果てに、艦長となった古川は捕まって東京で入牢だった。
 福沢はなんども古川に差し入れに訪れた。
「それ見ろ。徳川はもう新政府にかなわない、勝負がついた、とワシがいうたのに、古川は塾長を投げだして参戦した。ざまあ、みろだ。解ったか」
 と言いつつも、家族の面倒をみていた。
 これが初代塾長の姿だった。

           *

 翌年の明治3年5月に、福沢諭吉は伝染病の発疹チフスに感染した。

 当時の日本の医者は、だれも治療法がわからない。福沢はとうとう十数日間にわたり、人事不省に陥るのだ。
「横浜に、アメリカ人の名医のヘボンがいる。そこにたのもう」
 と塾生が横浜にかけあった。
 (ヘボン式ローマ字で、日本人ならば、小学生からなじみがある。生麦(なまむぎ)事件で、薩摩藩士がイギリス人4人を死傷させた事件のとき、重体の2人に外科手術し、その命を取りとめた)
「わたしは脳外科医と眼科です。伝染病となると、感染医学に優れた医者がこの横浜にいます」
 と紹介されたのが、おなじアメリカ人医師のシモンズだった。


 シモンズはアメリカ人医師だが、ヨーロッパに渡り、ドイツ医学の感染病、予防医学などを学んでいた。依頼されたシモンズは、すぐさま意識のない福沢の病床に駆けつけた。そして、当時の最新医学の治療と、栄養を施し、治癒(ちゆ)させたのである。
 福沢の生と死とでは、明治時代の歴史が変わっていただろう、と思われる。

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 九死に一生を得た福沢諭吉は、明治6(1873)年に、三田の山の上に、「慶応義塾医学所」を設立した。
 松山棟庵を校長とする医学所は、英米医学者を教授として招聘(しょうへい)し、7年間に約300人の医者を輩出した。このように、福沢諭吉が、感染病に対応できる医者の養成につくしたのである。

 現在の慶応義塾大学病院が、初期の新型コロナ院内感染の失策にもめげず、複数の診療科「COVID-19救命チーム」を起ち上げ、いまのわが国のウイルス対策に一石を投じた。というよりも、日本中に重要な警鐘を鳴らした。
 まさに、明治時代からの福沢精神が脈々と生きている、と思う。

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 なぜ、早稲田大学に医学部がないのか。多くの人が疑問です。いろいろな説があるでしょう。「無いもの」に対しては、いかような解釈もできますから。

 大隈重信は第8代内閣総理大臣の経験者で、明治・大正における突出した著名な政治家です。当時の、中央集権制度の政治と経済(大蔵大臣も経験)をうごかした最大人物の1人です。
 
 だから、早稲田大学は「政経学部」が強いのかな。まわりの早大卒業生や在校生に聞いてみてください。
 

TV局は「三密」と「外出自粛」の目で、番組とCMを洗い直せよ=メディアだけ例外におけない

 法律に基づく緊急事態宣言が出されてから、もはや2週間が経過した。

 4月22日(水)、尾身茂さん(新型コロナウイルス対策・副座長)が、悲痛な顔で、
「コロナウイルスは厄介な敵です」
 と前置きしてから、
「爆発な感染すれば、取り返しがつかなくなります。人とひとの接触で感染します。10個のことを守ってください」
 と示していた。
 誠実そうな尾身さんの真剣な訴えには、こころを動かされる。この方は、日本国民を心から愛しているな、とつたわってくる。

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 同22日、神奈川県・湘南海岸には、若者がおおぜい押しかけ、サーフィンとか、砂浜でビーチバレーとかを愉しんでいる。さらに、半裸体で砂地によこたわり陽光で背中を焼いている。

 藤沢、鎌倉、逗子の国道・県道のながい車の渋滞、さらにはかれらの買物客でスーパーを混雑させている。
 コロナ感染の不安におびえる今、湘南鎌倉エリア、三浦半島の地元11市町の首長らが、「通行止め」、「海岸立入規制」をしてほしいと、連名で同県の黒岩祐治知事に提出した。

                 *  

 最近のテレビは定点観測で、渋谷交差点を映しだす。大阪、千葉、そのほかの道府県も最も繁華街の人出の減少を数字でしめす。

 若者らは渋谷にいけば、悪者扱いにされる、だから、湘南海岸にいく。そこには雄大な青い海原、白い砂地の海岸、太陽の光りがある。
 男女が初夏のスポーツを楽しむ。かれらにすれば、短い青春時代を愉しんでいるのだ。

 映像でみるからに、大波に乗るサーファーの満ちあふれたエネルギーからすれば、コロナ対策の外出自粛は、『防空壕(自宅)にこもり、敵のウイルスに備えよ』といわれた心境に近いのかも知れない。

 しかし、いまは緊急事態だ。仏大統領のいうように、ウイルスとの戦争なのだ。個人犠牲もやむを得ない事情なのだ。
 隣国は自由主義圏であるが、「個人情報よりも、社会の安全を優先した法律」を制定したうえで、スマホのナビの位置、クレジットカードの利用場所、車の移動などをふくめたトータルコントロールをしている。
 個人行動を徹底して追求している。まさに、戦時体制なみである。

 しかし、街への外出は自由だ。

 日本政府は個人情報保護で、強いしばりの規制を課(か)していない。つよい圧力でなく、お願いベースだ。それに応えて8割にとどかないが、国民の半数以上は、
「やれるところまで、やろう」とがんばっている。

         * 

 同22日夕方のテレビ・ニュースでは、湘南の市町長たちが県知事に「規制」を訴えている映像がながれた。
 ところが、1時間もせず、某局は『バス電車で乗り継ぐ鎌倉&湘南ぐるり』の娯楽旅番組をながしていた。
 ニュースでは湘南に来ないでほしい。旅番組では鎌倉にいこうよ。この矛盾はいったいなんだろうか。

 旅番組は前々から計画した番組で、運悪くタイミングが合ってしまったのかもしれない。

 鎌倉&湘南の寺院の境内には、五分咲きの桜が咲いていた。撮影はおおかた3月中旬だろう。放映まで、約一カ月間ほどある。

 この間に、7都府県に緊急事態宣言がでたと、テレビ局関係者は知っていたはずだ。さらに同宣言が全国にもおよんだ。その趣旨は8割、すくなくとも7割は「外出自粛」をもとめるものだ。
 各局はニュースでいっせいに報じた。ならば、旅番組は外出をあおり、時節がら良くないとわかるはずだ。そうしたチェック機能が働かない硬直した内部なのか。それとも、テレビ局はなにをながしても、報道の自由で許されると驕(おご)りがあるのか。

                *

 いずこの局とも、旅・観光めぐりとか、沿線歩きとか、町歩きとか、美味しさ巡りとか、と視聴者の外出を誘う番組がやたら多い。
 人間の行動は単純で、かつ衝動的な面もある。テレビに出れば、翌日にはにぎわう。旅番組をみて、ふいに明日、あさってにも出かけてみたくなる。こうした番組にケチをつけるわけではないが、「外出自粛」をもとめる国民のコンセンサスと逆行し、まったく相反している。

 編集総局長、番組製作者はこんな視聴者心理にも気づかないのだろうか。

           * 
 
 各局のCM(コマーシャル)すらも、国民が守ろうとする「三密」とは縁遠いし、ど外れした内容が氾濫(はんらん)している。
 一例を挙げれば、オフイス(事務所)に大勢の社員が机にむかっていて、そこに十数人の刑事に扮(ふ)した人物がドヤドヤと押し入ってくる。密集そのものだ。

 政府が企業にテレワークを呼びかけて、企業の出勤7割カットの協力をもとめているさなかである。これらコマーシャルはまったく逆行している。無神経にも、それを平然と、何度もなんどもくり返している。


 民間放送は世情と反しても、CM売上の維持する権利がある、と勘(かん)違いしているのではないだろうか。
 放送局の固定費が一定で、広告収入が減ならば、経営悪化をまねく。わかっている。コストダウンの経営努力をすればよい。世相と反しても、テレビCMは許されると思うならば、放送権の寡占化(かせんか)を利用した、傲慢(ごうまん)な態度になる。

 
 いまは町の飲食店、中小、中堅企業は売上が9割減、半減し、固定費に苦しむ世のなかだ。コンサートも中止、プロ野球も、大相撲も、みんな中止による収入源だ。ゼロ収入もある。これらと痛みを共有するべきだ。

 コマーシャル(商業)まで憲法で守られている「報道の自由」だとは思わないでほしい。単なるビジネスである。それ以上のものではない。

 TV局はここで、一度すべてのCMにフィルターをかけて洗い直してみるべきだ。不適切だとおもえば、スポンサーに「時節がら好ましくないので、さし替えてください」と要求するべきだ。
 断られると、局の収支に影響するだろう。そのあとは当然ながら、コストダウンの企業努力だ。ただ、下請け会社や制作会社など弱いものを泣かせば、かならずしっぺ返しがくる。ここらも、十二分に掌握(しょうあく)してとりかかるべきだ。

           * 
 
 2018年には、全世界の広告収入に占めるデジタル広告費(38.5%)が、テレビ広告費(35.4%)を超えた。
 これはなにを意味するか。
「新聞・テレビ離れ」。この一言に集約される。「奢(おご)れるもの久しからず」。時代の流れから、成熟期を越えて、衰退期に入ったのだ。

 理由はさまざまにある。それは自己解析してみればわかることだ。結果として、広告料金のダンピングによる、1時間番組に占める広告は、述べ本数の過剰で現われてきている。
 ひとつの番組が5~6分すれば、ふいに打ち切り6本も7本も広告の連続だ。それは「テレビ離れ」を象徴する現象だ。
 まさに、若者がテレビをみない悪循環に陥っている。

「東京のテレビ局が2、3局倒産しても、別に困らないよ」
 10-30代の世代層はそうした認識だ。
 
           * 

「法に守られた企業ほど弱体だ」。それは歴史が教えるところだ。
 かつて銀行法に守られていた大手銀行は倒産しない、国が守る、と半世紀以上にわたる神話だった。銀行に入行すれば、家族挙げて赤飯だ。

 ところが北拓、興銀、輸銀などが、合併という名のもとに、次つぎに消えていった。

 テレビ局は放送法に守られている。CMもその隠れ蓑(みの)にすれば、おおきなしっぺ返しをうけるだろう。
 法に守られることは、一面で政府に迎合させられる弱さでもある。

 第二次世界大戦のとき新聞社は、、「大本営」のいう通りに報じないと、洋紙(新聞紙ロール)の配給が満足にうけられなかった。軍人政治家に、迎合したために、戦意高揚に利用されてしまった歴史がある。

 報道が政治に利用されると、国民をミスリードする。危険な面があるのだ。
 
 コロナウイルス戦争のさなか、日本政府は他国に比べて法規制していない。
 5月6日で、この新型コロナウイルス問題が終焉(しゅうえん)しないかもしれない。その理由を考えるだろう。
 大型連休で、TV旅番組をみて、大勢が都道府県を超えて、海に、野山に、観光地に出かけていたならば、番組の野放しが問われる可能性がある。

 国から番組規制がかかれば、テレビ局にとっては本意ではなかろう。そんな危惧も視野に入れて、大型連休まえには、局内で自主チェックしてみる必要がある。
 NHK大河ドラマが予定変更してでも、多くの人から失望を生んでいない。ある意味で予定外には慣れてきたのだ。

 時節がら、予定していた番組とさし替えて、10年前、20年前の収録番組の再放送でも、視聴者からかえって面白がられるかもしれない。

『このたびはコロナ戦争は為政者の都合ではない。国民の命を守る戦いのためだ』
 ここらをしっかり押さえておかないと、大手マスメディアの論評どおりではない窮地に立つ局面もあり得る。

 2018年から、全世界はテレビ文化からデジタル文化に変わったのだ。市民ジャーナリズムによる批判、とりわけSNSは侮れない。

 
  写真の鎌倉海岸=2017年5月に撮影

【読者に訊く】 『医療崩壊』を止める、それは正しい。国民が望むコロナ検査のスピードを落としている

 読者の方からも、新型コロナウイルス禍について意見を聞いてみよう。

 このたびは、神奈川県厚木市にお住いの永井誠(78)さんです。金属関連商社の監査役です。外出自粛のいま、電話インタビューで、企業がわの視点も踏まえて語っていただきました。

 

ーーまずは、現在の新型コロナウイルス禍において、どのような意見、考え方をおもちですか。お聞かせください。


「政府が4月7日(火)に、『緊急事態宣言』を7都道府県に出されました。コロナ感染から1か月の大型連休明けに脱出するために、都府知事が外出自粛要請や施設の使用停止という措置を可能にしたものです。
 それから10日あと、今度は全国のすべて47都道府県に同様な宣言が出されました。
 これからしても、政府のやり方が遅い、スピード感がない、後手に回っている感じです。コロナの終息どころか、日々にウイルス感染者の数が拡大しています。

 大型連休が明けた5月6日から、どうなるのでしょうか。もし、緊急事態宣言が解除されたとしても、コロナ禍が完全な感染終息にはなっておらず、人々の気持ちが緩み、却って、そこからウイルスがまん延する恐れすらも感じます。


ーー他には、どんな意見をお持ちですか。

「医療崩壊を止める、という言葉は正しい。しかし、それがコロナ検査のスピード化にブレーキをかけています。国民のいのちのためには、大規模な検査が急務です。『病床の不足』が強調されるばかりに、国民の大多数が受けたいウイルス検査が、むしろ萎縮されています。

 ウイルスの抗体がない。治療薬がない。新薬ができても、私たちに廻ってくるには時間がかかりそうです。発展途上国にもウイルスがまん延していけば、来年の「東京オリンピック2020」の開催は難しいだろうな、と見ています。
 オリンピック選手は、世界中から参加することが前提ですからね。


ーーふだんコロナ対策で気を付けている点はなんですか?ーー

「三密を避けるためにも、夫婦ふたりで買い物に行かず、どちらか一人が車でスーパーに行くようにしています。店内の買物で、コロナに感染しないかという警戒心はあります。
 かたや、私はコロナ検査を受けていないし、もし潜伏感染者だったら、他人に染(うつ)す可能性がある、と透えない二重の不安があります」

  
ーー国や行政の対応のもどかしさ、どんな点ですかーー

「私は、緊急事態による「強い制限」があっても良いと思います。つまり、罰則付きの制限も必要です。
 従来の「お願い」「要望」の「自粛」スタイルだけでは、人と人の接触が8割減とか、7割減とか、という数字の達成はできないと思います」


ーー経営にたずさわる観点から、今後をどう見られていますかーー
 
「規模によって、どこまで持ちこたえられるか。町の飲み屋、レストラン、小規模の処が売上が9割減、5割減と言われていますが、いま現在、救済しなければ耐えられない状況にあります。
 中小企業、中堅企業は資本にとぼしいところが多いですから、このコロナ禍の期間が長引けば、順次、経営破たんしていきます。企業倒産が増えて、企業が消えていきます」 

ーー企業の監査役の立場から、もう少しお話し下さいーー

「先行きがまったく見えていません。それがどこまで及ぶか、現在は想像もできません。それが不安なのです。2008年のリーマン・ショックの時は、私たちは売上3割減でも、企業は持ち堪えました。
 
 企業には損益分岐点があります。これまで何度も景気・不景気の波がありました。それらはある程度は予測ができました。不況と回復を見越した資金繰りもつきます。しかし、今回はまったく予測がつきません。

 中堅企業、中小企業はコロナウイルス禍が長期化し、各企業は売上が5割を切れば、会社の資産力を問わず、存続は厳しいでしょう」と強調された。


ーー国や県に要望はありますかーー

「困難な時代ですから、国民のために動けるリーダーシップのとれる政治家がほしいです。国政、県政の政治家の決断力が重要です。
 選挙優先がちらつく政党政治です。「10万円の支給はわが党が要請したものだ」と言い、選挙目当ての善政を売りにしています。
 党利党略が目につきます。

 ~を予定しているとか、~を早め審議したいとか、~を行いたいとか、~即時対応したいとか。未だ実行をみないものばかりです。
 きょう現在の実行が欲しいです。党派を超えてスピード感のある政治をもとめます。


       ※ 永井誠さんは、のこぎりキング下田さんのご紹介です 

【歴史から学ぶ】わが国は新型コロナ禍で、社会システムは機能しているのか。天災か、人災か

 新型コロナウイルスが、日本国内の人々に恐怖を与えている。人類の歴史はこれまで病原菌・ウイルスとの戦いでもあった。
 動物から感染するウイルスの場合は、細菌よりも実態がつかみ難い。ウイルスの発祥もわかりにくい。ふつうに考えれば、疫病(えきびょう)は天災だともいえる。ただ、歴史をひも解けば、古今東西において、施政者の対応しだいでは、疫病がとてつもない被害を出してまう。

 新型コロナにたいする中国・韓国のアジア諸国の対応、さらに欧米の大統領や首脳たちの緊急対策は、民に目をむけた真摯(しんし)な態度で、スピード感に満ちあふれている。
 ぞれでも各国は、ロックダウンをもってしても、大規模な医療崩壊や、悲惨な感染者数と死傷者数で、なおも進行形している。世界的なパンデミックの終息はみえていない。

           *   

 わが国の場合は令和2年の年初から3月中旬まで、政治家の対応をみていると、頑張ってはいるが、ときには己の立場が優先で、真に民に目がむいているのか、と疑わしくなる面がある。
 
 横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセス号の検疫(けんえき)が、毎日のごとく、メディアに報じられることで、国民は新型コロナウイルスにふかい関心をよせはじめた。
 大人だけでなく、幼少年、保育園児までも、「コロナ」ということばが飛びだしてくる。
 裏を返すと、とてつもない恐怖におびえる人々の一面を示すものだ。

           *

 4月15日に、北海道大学の西浦教授が「たいへん重大な局面に差しかかっている。いまの状況をつづけていると、重篤(じゅうとく)患者が85万人、半数に近い42万人が死んでしまう」と警告を鳴らした。

 西浦氏は「厚生労働省の新型コロナクラスター対策班」のメンバーの一人である。諸々の対応策を述べている。
 翌日には政府は公式見解ではないと反論した。

『いまのまま』ということばの裏には、政治家の現況の施策では、42万人の死者が出る可能性があるよ、という表現にも置き換えられる。そこの文脈が読み取れていない。遠回しな政府批判が解っていない。


 100年前の「スペインかぜ」における日本人の死者は、1波、2波を合わせると、感染者数は2,357万4194人、死者は38万5029人という正確な罹災者の数字が、内務省衛生局に残っている。
 当時の日本人の人口は、5,666万7328人である。
 西浦氏はこのデータを解析し、『いまのまま』で行けば、42万人の死者も予見できる、と展開されたのだろう。

 当時は、全国民にマスクをつけよ、と衛生局は大々的なキャンペーンをおこなっている。それは現政権と同じである。
 他には、抗体は発見されていない。新薬は米国のギリアド社で「レムデシビル」の治験がはじまったとか、富士フイルムが開発した「アビガン」(流通されていない)とかが、新型コロナの治療薬と期待されている、と報道がある。

           *  

 新薬がすぐに使われる、そんな過剰期待は危険である。なぜか。「厚生省」は薬害裁判になんども懲(こ)りている。
 薬害裁判は、5年、10年も長期にわたる。「羹(あつもの)に懲(こ)りてナマスを吹く」(前の失敗に懲りて、必要以上の用心をする)。「御身大切」で、早々に新薬を認可する体質はないだろう。

 この先、新型コロナが爆発的な感染になっても、厚生省は一定の手続を踏まずして、ウイルス治療薬としてすぐ認可する体質などない。
 政治圧力があっても、応じないかもしれない。政治家はいつか変わる。それがこれまでの官僚の考え方だ。どうしても、過去からの官僚の体質から、そう見立ててしまう。


 とはいっても、官僚の正義感と勇気と、さらに国民的な危機管理をもって、新型コロナ対策の「社会システム」の一環として、正常な機能として働いてもらいたい。

            *
  
 危機と危険はちがう。「危機」とは、システムが正常に機能していないときに起きる被害である。
「危険」とは、当人がぼっとしているから、突然に、余地なく起きてしまう。
 つまり、「危機管理の重要性」を政治家も官僚も、十二分に持ってもらいたいのだ。
           *

 プリンセス号の船内の大感染から、国内にまん延したら危ないと、多くの日本人は頭脳のなかで、アラーム(警報)を鳴らした。これを放置すれば、民に危険が及ぶ。政治家も同様だっただろう。

 日本は「検疫(けんえき)システム」が満足に機能せず、かえって硬直化していた。スピード感が世界中において、最も見劣りがしている。これはだれの責任なのか。


 国民は自由に検査が受けられない。どのメディアでも、庶民の悲鳴を報じている。……熱が出る、咳が出る、身体が重くても、コロナの検査が受けられない。病院でも、自宅でようすを見てください、といわれる。
 これは社会システムの欠陥だ。

                *

 この社会システムの欠陥は、政治家の恣意的(しいてき)なもので、2つの要因からしても、人災の面がある。言い過ぎだろうか。


① 政府は武漢が首都封鎖になっても、令和2年の最大行事として、「4月に予定している中国の習近平・国家主席の国賓としての来日」を期待してきた。それに拘泥(こうでい)した。

 日本はつねに安全だと、メッセージを流しつづけてきたのだ。習近平氏の来日を諦(あきら)めたのが、ことし(2020年)3月5日だった。


② ただ、3月に入っても、なおも「東京オリンピック2020」7月開催への執念から、「日本は安全」「オリンピックは開催できます」と世界に発信してきた。

 それには日本人の感染者が、極々、少ないことが条件になる。

 厚生省(保健所)を窓口にして『外国渡航者」でなければ、検診できないシステム』をつくりあげた。海外渡航歴の有無がつよいフィルターになったのだ。


 当然ながら、検体数が少なければ、日本国民のコロナ感染者数が低く抑えられる。

 おおかた、WHO(世界保健機構)は苦情の一つも言いたかっただろう。しかし、出資金が大きい日本には内政干渉をしなかった。

 

  国民は自由に診療をうける権利がある。しかし、熱があっても、病院にいっても、救急車をよんでも、満足に検査をうけられない。
 これは社会のシステム障害である。

 伝染病は保健所(下級官吏)を通さねばならない。

 大学病院も個人病院の医師も、「保健所」というつよい検問が立ちはだかる。新薬の開発も厚生省の許可手順を踏まないと、使用は原則としてできない。

                * 

 日本国内の医者や、看護師や、介護士たちにすら、発熱、咳、倦怠感が出ても、渡航歴がないために、厚生省の「帰国者・接触者相談センター』というシステムが厚い壁になっていた。
 このシステムの欠陥からコロナ検診が受けられない。
 
 新型コロナウイルスとは、人が移動すれば一緒に動いていく。感染は海外からだけでない。国内でもまん延する。自明の理だ。
 ウイルスは静かに深く全国に「院内感染」を広めた。

 そして、時間の経過とともに、4月中旬には「院内感染の爆発」という事態に陥った。東京都の大病院までも、とんでもない院内感染となって出てきたのだ。
 ウイルスが庶民よりも先に医者を害したのだ。


 なぜ、こんな欠陥システムを長々と運用したのか。
 行政マンが声高に欠陥を叫ぶ勇気がなかったのか。危機とは予見性である。それを口にするには勇気がいる。
 オリンピック開催を強調する政治家たちに、かれらが忖度(そんたく)したから他ならない。
 まさに政治家も、行政も体質が旧態依然としていた。
 
         *

 
 2020年3月24日。『安倍総理大臣がIOC=国際オリンピック委員会のバッハ会長と、東京オリンピック・パラリンピックの開催を1年程度延期し、遅くとも来年夏までに開催することで合意した』と報じられた。

 この日は、東京都のコロナ感染者数は17人である。1か月もたたずして、4月17日には200人を越えた。小池都知事(67歳)がおどろいた顔をしていた。オリンピックにこだわったから、コロナウイルスの潜伏患者を日本中に野放しにさせてしまった。
 これまで口では「国民の命」を語りながら、自分の面子(メンツ)やトップという立場に拘泥(こうでい)してきた。つまりは、民の為につくす、という行政理念に欠けていたのだ。

「危機管理」の面で、まさに関東大地震のときの後藤新平東京市長の決意と比較してしまう。

 いま東京都医師会がコロナ検査システムをつくろうとしている。行政がやらなければ、自分達がやる、という強い意志を感じる。

           *   
 
 誰にでも、判断ミスはある。それを咎(とが)めているのではない。謙虚(けんきょ)に人災だったと認めて、政治責任をしっかり感じてほしい。
 その上で、「医療崩壊」のあとに予見される「経済崩壊」の諸策に取り組んでほしいのだ。

 政治家は神さまでないことは解っている。「この人は信用できる。ミスも認めるし」という信頼度が、難局を乗りきる最大の武器だ。日本人は一つになれる民族だ。歴史がそれを証明してくれる。信頼で結束を強めてほしい。


 德川家康の名言がある。『われ一人腹を切りて、万民を助く』。多くの人の命が助かるならば、自己犠牲もいとわない、というものだ。そういう政治家ならば、誰もがあとについてくる。

 北海道・鈴木 直道さん(すずき なおみち、年齢 39歳)、
 大阪府・吉村 洋文さん(よしむら ひろふみ、年齢 44歳)、

 お二人はまさに30-40歳の若者だ。若者がコロナの媒体のように言われる昨今だが、かれらの熱意には、家康の名言が似合っていると思う。


写真・国立競技場=ネットより

【歴史から学ぶ】政治家はコロナ禍のなかで「都市ビジョン」を示せば、名を残す

「令和」の改元の華やかさは、翌2年に一変した。コロナ禍である。嘉永は黒船来航など悪いことばかり、そこで「安政」に変えた。翌2年には江戸大地震が起きた。ここから激動の幕末史がはじまる。

 大正時代に、関東大震災の大惨事が起きた。後藤新平は東京市長だった。後藤は「個々の病人を治すよりも、国をなおす医者になりた」という政治姿勢だった。
 かれは壮大な震災復興計画を立てた。

 それを実行するについて、権利主張がつよい周りの政治家の構想打ち壊しに遭い、かれの理想は一部しか実現できなかった。しかし、60年後、昭和天皇が「後藤の復興計画が実現していたら、東京大空襲で、これほどまでに犠牲者をださずに済んだのに」と回顧されたという。
 

 後藤新平記念館・絵物語(東京市長時代)より。

 令和2年の政治家で、誰がどのように後世に名を残すのだろう。お金のばら撒(ま)きだけでは歴史に名が残らない。本ものの政治家が全国に必要なときである。

           * 

 政府や都道府県の知事が日々、記者会見で、コロナ関連の数字などを発表している。「最近は30-40代の若者が多い」と発表している。その表現には国民への虚偽・偽装はないのだろうか。なぜ「若者」と一括(くく)りで示すのか。まるで、日常の遊び人のような響きに、誘導されている。

 この年代は最も働き盛りである。実際は「30-40代の会社員が多い」というべきではないだろうか。
「クラスターのわからない比率が高まっている」と不安をあおっているが、実際は「大企業などの企業内感染」が起きているのに、曖昧(あいまい)にしているのではないか。

 30-40代の会社員ならば、職種別、職業別に明らかにすればよい。私たち国民は、どこがクラスター源になっているのか、およその見当がつくからだ。


 朝夕のJRや私鉄の乗降客をみれば、巨大な企業ビル内は密集地だ。だれが考えても、オフィスは閑散としているわけがない。接触しない間隔「ディスタンス」は多少のところ気にしても、上司の指示、横の連絡、打ち合わせなど、距離はあまり取れるはずがない。

 TVで職場風景が映し出されている。保健所、都庁、区教育委員会など、いずれも密集の場である。別段、これまでの職場と変わっていない。
 ウイルスは職種や地域には無関係だし、企業内を避けて伝染してくれない。ここから類推するに、「企業内クラスター」が発生源となっている可能性が高いと思われる。まずは、ここらの実態を明らかにするか、可視化するべきだろう。

           *  

 私たちは日本経済を維持し、成長率の大幅ダウンを避けたいと思っている。過酷なデフレ、大恐慌を避けたい。政府が都市機能を止めず、すこしでも経済活動を持ちこたえて「稼げるときに、稼いでおく」、「頑張れるだけ、頑張ろう」という日本政府の立場は支持したい。

 危険な「企業内感染」のリスクを知りながらも、日々に通勤するひとを応援する。電車を動かし、宅配するひと、むろん医師、公務員の活動も、熱意と努力は評価されるべきだろう。感謝の念をもちたい。
 日本人は精神的にも国家の姿勢の良くわかるし、一体になれる民族性がある。

            *   

 近現代において、日本経済が破綻した歴史は、過去2度ある。その痛みだけは避けたいものだ。

 1度目は、幕末から明治へ(通貨が両から円に変わった)。両・朱をもっていた大商人が倒産した。
 百万人を超える武家がすべて失業した。家老、重臣たちの大半は職を失くした。かつては「奥方さま」「お姫さま」といわれた妻や娘を遊郭に売り、生活費を稼く。「士族」の肩書はなんの役にも立たなかった。
 商いの方法を知らず、「武士商法」で、なおさら窮地に陥った。

 2度目は、太平洋戦争の敗戦により、日本はGHQ支配下におかれた。そして、戦時中に国家が国民に押し付けていた「軍事国債」が紙くずになった。
 翌(1946)年は大凶作で、国民のすべてが餓死(がし)寸前に陥った。買い出し闇市(やみいち)でしか、生活物資が手に入らなかった。
 自殺が多発した。町には親を亡くした戦争孤児があふれた。

 かたや、戦勝国のアメリカとの落差を思い知らされた。こんな国と戦争したのか、と。

            *  

 令和2年は年初から、新型コロナのウイルスとの戦争である。3度目の経済危機は避けたいと、日本政府が都市封鎖をせず、企業活動の維持を図る努力はよく理解ができる。

 ただ、問題なのは都道府県の知事が、それを忖度(そんたく)し、大企業には「テレワーク」を呼びかけるだけで、それ以上はなにも見えてこないことだ。

 大企業の自動車メーカー、鉄鋼メーカー、大手テレビ局、メガバンク、化学会社、ここら第二次産業の職場、さらに公務員の働く場がクラスターになっている可能性がある。立入りの実態調査をしているのだろうか。それらがまったく伝わってこない。
 
 たしかに、大企業の東京本社がクラスターを理由に封鎖されると、全国の支社や工場に影響が波及し、経済が失速する。忖度(そんたく)もわからないではない。

 

 各知事たちが自粛と自制でヤリ玉にあげているのは、第3次産業ともいえる街の弱小の店である。メディアを使って、まるでウイルスの根源のような集中砲火だ。くり返し、弱小の店舗に「クラスター」だと疑い、営業中止の圧力を加えている。

「公平の原則」からすると、大手企業と街の弱小の商工者との間に、かなり対応の格差がある。

           *  

 個人の床屋・美容院などの論議は空回りで、大切な政治的な時間を浪費している。政治家が次の知事選にむかって、TVで顔を売っているようなものだ、と批判されても、仕方ないだろう。
 東京都は、オリンピックを前提にウィルスの検体数が少ないのではないかと、当初から疑われていた。その後手が現われはじめた。
 ニューヨーク市の失敗に近いのでは、と危惧(きぐ)する声もある。 
 ウイルスの感染拡大が急上昇すれば、企業のクローズ(活動停止)にも視野に入れておく必要がある。私たちには、その衝撃の深さや覚悟や心構えも必要だ。

 先の戦争でおこなった軍人政治家のように、「国民には真実を伝えない」、という失策だけは避けなければならない。「真実が一番強い」。こういう時こそ、政治家はデメリットを民に伝えることだ。
 
 行政の長として何をやるべきか。弱者にたいして当座の生活資金提供で、善政を執っているようにみえる。しかし、長期化した場合の都市ビジョンはあるのか。2-3か月たってもコロナ感染が収集しない場合、次の支給は無理だろう。
 となると、政治家は歴史から学び、長期ビジョンから施策・措置を追求するべきである。
  
              *

 ちょうど100年まえ、第一次世界大戦で、日本は日英同盟にもとづいて参戦した。青島(中国大陸)のドイツ軍を攻撃した。その最中に、アメリカでウイルスが発生し、軍人が世界中に広めていた。
 参戦しないスペインがそれを公開した。だから、「スペインかぜ」と呼ばれた。死者の数は5000万人とか、70000万人とか諸説ある。

 捕虜(ほりょ)にしたドイツ軍兵から、ウイルスが日本に入ってきた可能性は否定できない。日本は、ぼう大な犠牲者をだしたのである。

 日本には内務省衛生局(写真は同局ポスター)による正確な数字が残っている。(かつて後藤新平が在籍していたポジション)
 大正11(1921)年3月30日の発表だ。

 第1回目の流行(1918年8月から1919年7月まで)

日本人の患者数は、2116万8398人、死亡者数は25万7363名である。対患者死亡率1.22%。

第2回目の流行(1919年8月から1920年7月まで)

 日本人の患者数は、241万2,097名,死亡者数12万7666名である。対患者死亡率5.29%。

 1918年12月31日現在の日本の総人口は56,667,328人である。第1回目の流行では,全国民の37.3%がスペインかぜに罹患したことになる。

 これら数字を解りやすくみれば、第一回目のウイルスのよる死者は広島原爆による死者の数とほぼ同じ。第二回目の死者は長崎の原爆犠牲者とほぼ同数である。

           * 

 100年まえ、世界的なウイルス禍で、日本人すら、ぼう大な死傷者をだした。ここから何を読み取るか。つまり、歴史から何を学びとるか。
 100年前と同様に、ウイルスに効果がある抗体は未だ発見できていない。治療薬はない。残念ながら、これは事実である。

「1-2カ月」でピークを迎えるという政治家の発言は、安易すぎないか。来年の令和3年には第二波のウイルスがくる可能性も、否定できない。

 政治家は、目先の取り繕いだけでごまかさず、とても言いにくいだろうが、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と言い、「都市の安全構想」の羅針盤(らしんばん)になるべきだ。

           

 古来から大飢饉、恐慌の社会が起きると、民は神仏に頼ってきた。
 
 知事選のごとく「皆様の外出の自粛をおねがいします」と連呼だけではダメだ。
 都道府県の知事が、一時しのぎで、「休業補償のお金のばら撒(ま)き」で人気をとっても、それは安易な考えで、コロナ禍が長期化すれば、「次のお金は出ないのか」と逆に強い批判に変わてしまう。

 もう一つ。ニューヨーク市のような状況に陥る可能性があるのに、「日本がまだコロナ禍で、世界よりも勝っている」という誤った認識を与えるような、報道コントロールは止めるべきだ。

 太平洋戦争・中期から、軍人政治家は「日本は勝っています。健闘しています」と偽りの情報を与えてきた。それが民の戦争支持となり、終戦が遅くなった分、日本列島の都市はいずこも大惨事になった。
 歴史から学ぶ。コロナ対策でも、まるで日本が1か月以内に終息できるような、「大本営発表」に似たことを行っている。こんな根拠のない、不正確な情報で国民を躍(おど)らせてはならない。

 有能な政治家になってほしい。ならば、真実を述べて、危機に向かいあう方向性(ビジョン)を民に示すべきだ。

「スペインかぜ」では爆発的な感染で、日本は大惨事をこうむった。
 100年の歳月がたった令和2年の現在と、なにが変わったのだろうか。抗体も、治療薬もない。為す術はない。対処法はほとんどない。
 感染者の自然治癒に期待するのみだ。つまり、100年前の状況にあるのだ。

 日本の各知事は、ロスアンゼルス、ニューヨーク市のように、感染者が数万人のとき、さらに悪化して数十万におよんだとき、為政者として、いかに処すか、と施策を示すべきだ。そして、庶民とともに痛みと覚悟を共有するべきである。

 もう、選挙戦に向けた「自粛」パフォーマンスのみで、このコロナ禍は止まらない。

                *
 
 関東大震災の時の東京市長の後藤新平が、もし令和2年4月12日のコロナ禍にいたら、どうするだろうか。
 衛生医学の専門家であった後藤は、「皆様の外出の自粛をおねがいします」と連呼で、このコロナ惨禍が止まるとはみじんも考えないだろう。

 ニューヨークなみの大惨事が来ると、はっきり民に予知させるだろう。そのうえで、「人の生命と健康を守る」、人間中心の機能を整えた「都市づくり」をめざすだろう。

 なぜならば、かつて内務省衛生局長だった後藤新平は、日清戦争で日本軍の兵士18万人が朝鮮半島に出征しており、3分の2が感染病にかかっている。清国の降伏、終戦と同時に、細菌の保持者ら11万人が一気に日本に帰還してくる。もはや、猶予はない。

 後藤はわずか2か月で、世界最大級の似島(にのしま・広島市)検疫所をつくり、帰還兵には一兵残らず、大規模な検疫をおこなった。感染病国家になる寸前で、かれは大惨事を食い止めたのだ。
 
 その実績から推量すれば、後藤新平がいま東京都知事ならば、2か月以内に世界最大の検疫所を都内のオリンピック会場の施設内につくるだろう。

 コロナ感染者の数がニューヨーク市並になっても、仮に10万人のコロナ感染者が出ても、オリンピックの全施設を防疫のために使う。むろん、収容仮病院も敷地内に建てる。
 後藤ならば、「焼け石に水」、「選挙目当て的な」休業補償費などには使わず、だいたんに躊躇(ちゅうちょ)なく防疫に予算をつぎ込み、即時実行するだろう。

 東京には広大なオリンピック会場が随所にあるのだ。それを全部使えばよいのだ、と迷いはないだろう。

            *

 さらに、後藤新平は、誰も思いつかなかった、次のような予算を国家に要求するかもしれない。いま現在「医療崩壊」したとしても、100年後にはおなじ失策をしないために。

 ここらは小栗上野介が、徳川政権が崩壊寸前でも、近代化のために横須賀製鉄所をつくったことに似ているだろう。明治37年の「日露戦争の日本海海戦に勝てたのは、小栗上野介のおかげです」と東郷元帥が称賛した。


【後藤新平に成り代わってシュミレーションをしてみてみました】
                  
  
 政府が『108兆円の経済緊急対策で、国家予算(令和2年・102兆円)なみで使わず、半分は100年後のウイルス禍の「医療崩壊」の対策をする』
 これが理念とビジョンだろう。

 国民には30万円と公表したが、状況の変化が生じた、一所帯15万円に減額する。民はヨモギの味噌汁、賞味期間(美味しく食べられる期間)すぎても一切捨てずに食べよ、死にはせぬ、各人が創意工夫しろ、と打ち出すだろう。


 100年後には医療崩壊を起こさせぬ。
 「重篤(じゅうとく)患者には、一床で一億円をかける。総ガラス張りの個室で、AI技術でレントゲン・心電図、体温、呼吸器もロボットでやる。医者はリモートコントロールで、「密着接触」はいっさい行わないで遠隔治療する。

 予算は、全国で1万床ならば、合計すれば一兆円。各県ごとに1万床ならば、総額47兆円である。

 100年後まで、これら病床は遊ばせるわけではない。いまから、盲腸の患者も、世界一の医療施設で治療すればよい。

 かたや、令和2年度予算は102兆円である。いまそれを使えば、来年は税金がすべて倍になります。仮に5年間で分割するならば、毎年、税金は現在の2割増ずつになる。
 ここらの税の回収による痛みは、後藤ならば、国民に今からはっきりさせるだろう。
 歴史に残る本ものの政治家は、その当時は憎まれ役だ。
 
 ただ、そんな苦痛の話しばかりだと、民には希望がなくなる。

 100年後の47万床の世界一の病院建設に着工すれば、47兆円分が建設業者、医療機器メーカーなどに支払われる、それが経済への波及効果となる。
 経済は活気を取り戻す。

 これはシュミレーションだが、政治家は大所高所から、政治哲学・理念を示し、将来の展望を語る。民には一時的な痛みを示し、「将来ビジョン」への希望を語る。
 ならば、日本人は器用だから、創意工夫して、皆で協力して、新しい令和文化を生み出していくだろう。

【歴史から学ぶ】検疫の重要性を知ろう。後藤新平がつくった世界最大級の似島検疫所(上)

 明治27年8月1に、日本が清国に宣戦布告し、日清戦争が起きた。だれもが知っている歴史的事実である。終戦は翌28年4月17日だった。この間、広島が首都になったと知っているだろうか。
 
 大本営が置かれた広島には、大元帥の明治天皇がきて陣頭指揮を執った。同時に、帝国議会が広島で開催された。広島が首都になったのである。
 
 日清戦争は、朝鮮王国の支配をめぐって行われた清国との戦争である。戦費は2億円で、当時の国家予算の2年半分だった。

    写真=後藤新平 (ネットより)

・ 
 朝鮮半島の衛生状態はことのほか悪かった。汚濁、糞尿、汚れた洗濯水が、河川や井戸に垂れ流しである。水場はコレラ、ペスト、雑菌のたまり場である。
 飲料水に適さず、衛生環境はひどいものだった。

 日本の河川は真水でも飲める。「水が美味しい」。日本兵には警戒心がない。勇敢に戦う日本兵士が戦場を駆けまわり、喉がカラカラに渇けば、おもわず生水を飲む。衛生状況が悪い。水が悪い。衛生管理が悪い。赤痢・コレラ、腸チフスなどの伝染病を発症し、兵士から兵士へと感染した。そして、日本陸軍の内にまん延した。

           *
 広島・宇品港は大陸への兵士や物資の輸送拠点である。感染病をもった兵士らが帰還し、宇品に上陸してくる。
 明治天皇がいる首都・広島で、たちまちペスト、コレラ、腸チフスの感染病が大発生した。広島県内で3,910人が発生し、死者が2,957人。死亡率75.6%である。
 感染者の4人のうち3人が死んだ。

 なんと、明治天皇の側近で、参謀総長だった有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)が、広島で腸チフスを発症し、明治28年1月15日に兵庫県・明石で死去したのである。
 
 有栖川宮殿下はご存じだろうか。歴史に名を遺す人物だ。慶応3年12月9日の明治新政府が成立し、三職の最高職の総裁になった。
 鳥羽伏見の戦いのあと、東征大総督として江戸城攻撃で、17歳のとき婚約した和宮(德川家茂の妻)と敵と味方にわかれた。「悲哀のストーリー」となった。
 有栖川宮は、江戸城の無血開城で、参謀の西郷隆盛を使った。西南戦争では、その西郷が敵の総大将となり、征討総督の有栖川宮が対峙する皮肉な結果になった。
 
 このように幕末・明治の歴史の中心にいた大物が、広島で感染して病死したのだ。どんな大物でも細菌を敵にしてはかなわない証しである。

 それは現在のコロナウイルスにも言えないだろうか。
             
            *
 
 話を日清戦争にもどそう。朝鮮半島に出征した日本の将兵は18万人で、3分の2にあたる約11万5000人が野戦病院に収容された、と記録がある。

 日清戦争の戦死者は1,417人で、病死は1万1894人である。変死は177人。戦地で死んだ88%。10人中に9人は病死(伝染病と脚気)である。

 銃弾・砲弾による死者はきわめて少人数(1,417人)であった。病死者と一ケタ違う。

 戦争が終われば、朝鮮半島の野戦病院に収容された約11万人の将兵が、日本に帰還してくる。日清戦争の出征総人数の、3分の2が伝染病などで帰ってくるのだから、水際で検疫・防疫しないと、たちまち全国に拡散し、大惨事になってしまう。

 この現実と向き合った陸軍は、検疫体制について、天皇の御前で話し合いが行われた。似島(広島)。彦島検疫所(下関市)、桜島検疫所(大阪市)の3か所が決められた。
 責任者の陸軍検疫部長はだれにするか。

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 明治天皇の側近医師として、軍医総監の石黒忠悳(ただのり)が広島にいた。しかし、石黒は大陸の疾病者数を重くみた陸軍によって、すでに野戦衛生局長に決められていた。
 その石黒が推薦したのが、後藤新平だった。

 後藤にはドイツに医学留学の経験がある。板垣退助が岐阜で遊説中に暴漢に刺された事件があった。「板垣は死すとも、自由は死なず」と叫んだ有名な事件である。後藤新平はそのときに板垣を診ている。
 後藤は病院・衛生に関する行政に従事し、内務省の衛生局長だった。つまり、後藤新平は官僚であって、陸軍の軍医ではない。

 当時、世間を騒がせた相馬事件の連座で、後藤新平は五か月間ほど入牢していた。裁判の結果、無罪になったが、衛生局長は解雇された。
 浪人の身で、石黒忠悳がいる広島にやってきた。もしかすると、相馬事件にからみ浅野長勲(ながこと)が生活支援していたとも推量できる。

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 陸軍次官の児玉源太郎は、
「検疫の最高責任者は、国家の重要な任務だ。入牢から出てきたばかりの風来坊など論外だ。軍医を使え」
 と難色を示していた。
 石黒から話を持ち込まれた後藤新平は、芯の強い人物だから、軍医にはならないと、それを蹴ってしまったのだ。

 戦況は清国の降伏に傾きそうだ。終戦になれば、すぐさま約11万人の伝染病患者の将兵が、日本に帰還してくる。もはや、待ったなしになった。

                   【つづく】

【歴史から学ぶ】検疫の重要性を知ろう。後藤新平がつくった世界最大級の似島検疫所(下)

 明治天皇の側近医師の、軍医総監の石黒忠悳(ただのり)が、広島の大本営で、だれを国家の重要な検疫総責任者にするか、と苦慮していた。

「入牢から出てきたばかりの、風来坊など論外だ」と陸軍次官の児玉源太郎が難色を示していた。石黒が推薦する後藤新平の方は、「軍医にはならない」と拒絶する。
 双方の間を取り持った石黒は、軍医でなく、「陸軍検疫部事務官長」という事務方の役職名をつくった。児玉陸軍次官が渋々と折れた。

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 後藤新平には速攻性と実行力がある。しかし、官僚時代から「大風呂敷の後藤」で、とてつもない予算を要求すると名高い。
「約11万人の将兵が、日本にいっきに帰還するのだから、巨きな検疫所でないと駄目だ。それでないと引き受けない」
 後藤は、戦費に苦しむ陸軍に、150万円の要求を示したのだ。(当時の国家予算が8000万前後)。
 その要求が認められると、後藤はみずから広島陸軍検疫所の似島(にのしま・広島市)に入り、寝る間もなく、突貫工事の陣頭指揮にたった。

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 日清戦争の終結は、同年4月17日である。翌5月30日に、広島沖に似島検疫所が完成した。わずか2カ月で、後藤は当時として世界最大級の検疫所を造ったのだ。全国から軍医があつめられた。6月1日から開所し、検疫業務がはじまった。

 6月7日には、北里柴三郎博士が、当時の新型「熱気消毒用機器」(蒸気式消毒液缶)の実験のために似島にやってきた。

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 朝鮮半島からの帰還兵が、多種多様の細菌をもちかえってくる。

 帰還者はまず似島の沖合に停泊した船内で、個別の検疫を受ける。そして、上陸する。

写真説明= 現存する検疫所の桟橋は二カ所あった。上陸してくる兵士用の桟橋。検疫をパスして帰船に乗る兵士用の桟橋。双方の接点となる「濃厚接触」を完全に避けている。後藤新平はドイツで学んだ衛生学の基本をここにおいた。

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 靴と着ている兵士の服はすべて消毒器で消毒される。銃は屋外の指定場所に置く。クレゾールで除菌する。兵士の毛布は、100度ていどの熱湯の蒸気釜(高圧蒸気滅菌)で消毒する。
 熱に弱い革製品、水筒はホルマリンを使った約60度の蒸気で、殺菌する。

 兵士たちは整列して、消毒風呂に入る。全身を消毒液につけて雑菌まで除菌する。シャワーで消毒液を洗い流し、石鹸を使ってからだを洗う。休憩室で、お茶やお菓子がふるまわれる、約半日のコースである。

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 似島は増築される。3カ所の総建坪は2万2,660坪、401塔がつくられた。保菌者は入院させられる。そのための「伝染病隔離施設」(病院)も設けられた。

 皇室といえども、大陸帰りの者はすべて検疫した。目こぼしがなかった。同年9月から、コレラ患者が国内で激減している。
 似島における検査数は、9万6168人、船舶441隻である。

 前例のない大規模な検疫所だが、日清戦争関係だけでも、似島で戦う軍医や職員から53人もの死亡者を出している。
「検疫」がいかに医者や看護師や事務方のリスク(危険度)になっているか、よくわかる。
 これら53人の犠牲をふくめた検疫官の上で、戦勝にわく日本が細菌列島から回避された、といっても過言ではない。もしも、後藤新平による似島検疫所ができていなければ、10年後に勃発した日露戦争の勝利などは、まちがいなく、あり得ない。

 ドイツ皇帝(Wihelm Ⅱ)は、「検疫については、ドイツが世界一だと自信を持っていたが、この似島の検疫所には負けた」と語っている。 

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 後藤新平は国内外から絶賛された。台湾総督になった児玉源太郎からも高く評価されて、台湾民生局長に抜てきされる。
 その後、満州総裁、拓殖大学学長、東京市長の時に関東大震災が起きた。内務大臣兼帝都復興院総裁として、東京復興が任された。
「地震はなんどもやってくる。100年先を見据えた都市計画にする」
 と壮大なプロジェクトだった。

「風呂敷の後藤だ」と藩閥政治家に酷評されるし、高橋是清などに「100年後のビョジョンの巨額の資金よりも、被災者の日常生活のお金が優先だ」と反発されて予算規模が縮小された。
 後藤は「挫折しても、何かを残す」という信条と信念で、都市の全身治療が無理ならば、区画整理(根幹の外科手術)を施した。
 それだけでも、世界最大規模の復興をやり遂げたのである。

 それから60年後だった。昭和天皇が「関東大震災の復興に当たって、後藤新平が非常にぼう大な復興計画を立てた。そのまま実行されていたら、おそらく東京大空襲の被害が軽かったんじゃないか。非常に残念に思います」と回顧されている。

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 似島検疫所のその後を語っておこう。日露戦争では66万3443人、船舶数が1753隻とより大規模となった。


 太平洋戦争の原爆投下後に、似島検疫所が被爆者救護施設になった。
 被爆者たちの白血病が「赤痢」だと誤認されていた。伝染病患者として、被爆者の受け入れがつづいた。薬もすぐに底をつき、似島の施設はその日のうちに飽和状態になった。

 広島が被爆後の20日間で、青少年を中心に1万人を越えた。完全に「医療崩壊」である。
 死者が検疫所の火葬場で火葬されていたが、あまりにも急増から、それも間に合わなくなり、陸軍が掘っていた防空壕に入れられて埋葬された。


 写真説明=「この島には、随所に幼い子供たちが埋葬されています。現在では、個々のお名まえがわからないので、『千人塚』としています」と教わった。


【歴史から学ぶ】

 コロナウイルスの報道から、ニューヨーク市は医療崩壊し、大勢の死者に対して孤島に運び、棺を重ねて埋葬している。
 それは似島検疫所の原爆の被爆者たちへの対応と、類似している光景だ。「コロナウイルスは第3次世界大戦」といったフランスのマクロン大統領のことばが真実味をもつ。

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 最近の我が国の報道から、大学生が都市部から地方に帰省している。あるいは、若者たちが沖縄の孤島に遊びに行く。島民との「濃厚接触」が起きてしまう。
 衛生学権威の後藤新平が、その濃厚接触を最も恐れ、大規模な検疫設備をつくった歴史を知らないからだろう。それ以前に、政治家が「濃厚接触」の回避の重要性をさしてわかっていない。だから、自主判断に任せている。


 現在、わが国の島々には検疫所がない。ウイルス対策ができる高度な医療施設もない。この先、コロナウイルスが持ち込まれると、たちまち医療崩壊を起こす、重大な危険性がある。
 
 長野からのSMSやフィースブックをみていると、家族ぐるみで軽井沢、八ケ岳山ろくの別荘に来ていると批判が多い。
 だれがコロナ感染者かわからないと、地元住民の恐怖がつづられている。

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 新型コロナウイルス対策の特別措置法が、4月8日に7都府県に出された。各知事が記者会見して、「外出自粛要請」や「施設の使用停止」などを発表している。

 ことばは悪いが、この知事たちは選挙が目的ではないのか、と思う面が多い。

 いまや、全国の知事たちは、『市町村の行政長に、措置の権限を委譲する』と処しないと、きめ細かく対策ができず、全国に急激にコロナウイルスがまん延する可能性が高い。
 つまり、東京都、神奈川県、大阪府というような大枠で処する、それでコロナ封じ込めができない段階まで切迫してきているのだ。

 市町村長に権限を委譲する。自治体の長には「緊急事態だ、非常時だ、住民票のもとに帰れ」という強い行政権まで与えないと、「自宅に留まらない」人間に、自主判断に任せていると、「一島全滅」を起こしかねない。

 これは単なる危惧ではない。過疎化したといえども、1町村の人口の半分~8割の犠牲すらあり得るかもしれない。


 写真説明=日清戦争・似島検疫所の焼却炉で、細菌付きの軍服が焼かれた。原爆投下のあと、被ばく死した青少年たちが火葬された。


 私は瀬戸内の島育ちだから、「島には外科医がいない、嵐が来れば、病院がある本州に渡れず、手術もできず、死しかない」という現実がわかる。

 検疫官などいない島に、コロナウイルスを持ちこまれたら、伊豆諸島、瀬戸内海の島々、沖縄の各諸島において、「一島全滅」は笑い事ではなくなる。肌でわかるのだ。

 どこの知事とは言わないが、見るからにTVで顔を売っている。パフォーマンスが強すぎる。危機に接する民のことよりも、知事選挙用の自分を売り込んでいる、まるで権謀術策葉は覇道だ、と言われても仕方ないほど、市民にたいするビジョンがない。

 後藤新平は『政治(行政)は万民のために、国を治す医者になるべきである」と唱えた。その後藤ならば、きっと「コロナウイルスが100年後にも起きる。現に、100年前にもスペインかぜでぼう大な犠牲者が出た。100年先の都市計画ビジョンにも資金を回す」と主張するだろう。

 大勢の上に立つ人間が、なにかといえば「専門家に聞く」とふらず、みずからが後藤新平の「濃厚接触」が最も危険だとした「衛生学」、「国家は生命体である」というビジョンなど、しっかり勉強するべきだ。徹夜してでも。そして、自分のことばで民に語りかけるべきだ。

           ※
  
 かたや、勉強するほどに、政治家は自分の勉強不足に気づくだろう。となとる、コロナ記者会見は衛生局長あたりに「後藤新平の精神」で具体的な対処説明をさせた方が良い、という判断にたどり着くかもしれない。
 住民の多くは、身近な明日への現実と、生活と、安全とを知りたいのだ。それを肝に銘じるべきだろう。

【歴史から学ぶ】コロナ禍の今や、サラリーマン危機である。フリーランス社会へと変貌していく

 日本人は数千年にわたり、仕事場が自宅だった。やがて徳川時代には丁稚・小僧という住込み生活という商業社会が生まれた。武士は隔月の交代制で10~15時に城勤めである。

 明治時代の中期から、日本人が会社勤めとして出勤する社会になった。日本人が戸外に出て働く社会は、わずか120年くらいの歴史しかない。
 もしかすれば、この歴史も短期で終焉するかもしれない。

 自宅勤務のテレワークといえば恰好が良いが、自宅勤務、つまの明治中期の家内工業社会にもどることでもある。
 電話とパソコンで社会につながれば、会社に行く必要がない。仕事は出来高、成果配分主義になっていく。

 会社の勤務態度など無関係になる。仕事の完成度で評価される。自宅で机の上に両足を投げだして仕事をしても、マナー違反にはならない。

 文明は大きな戦争によって大きく変貌する。
 コロナウイルスが第3次世界大戦と呼ばれる今、これまでのサラリーマン社会が崩壊し、新たなフリーランス社会に移行する可能性が高い。
 フリーランスの社会になることはなにか。それを考えるときにきたのだ。

           * 

 記者会見に出席し、司会者から「質問者は手をあげて、まず所属と名前を名乗ってください」と言われる。私の場合は決まって「フリーランスの穂高健一です」と言ってから、質問をむける。
 1人1問も暗黙のルールである。マナーかな。

 最近は作家・小説家の活動が中心となり、記者会見の場に臨む機会が殆どないけれど、私はフリーランス(Freelance)ということばが大好き人間である。
 日本語では「フリー」、「フリーランサー」、「定職を持たない職業的自由人」として使われる。特定の会社と雇用契約がないひとは「フリーランス」だろう。


 写真説明 = 2019年3月23日 浅草の桜。一年後には、この賑わいが日本から、否、世界中から消えた。それは世界の社会構造が大きく変わっていく前ぶれである。


 フリージャーナリストとか、フリーライターとか、という立場の多くは新聞社・テレビ局の記者を辞めて、独り立ちしたひとが多い。「会社の枠組みで書きたくない」という意識である。
 たとえば、社会部のベテラン記者が文化部にまわされたとする。1年、2年経つうちに、「自分はこんな部署で、こんな社の方針で記事を書きたくない」と飛びだす人が多い。勇気ある人だ。
 
 一般に辞める勇気がなく、「よらば大樹の陰で」、「妻子の為に」と思い、会社勤めをつづける。辞めても、独り立ちできるのか、と不安で怖くて、踏み出せないのがふつうである。

 しかたなく社に残り、編集方針に沿った取材をし、社の意図に反しないものをかく。己の考え・思想やイデオロギーとなると大袈裟だが、自分の信念、ときには正義感とは違った内容を書かされてしまう。これが大半のひとだし、生き方だから、否定はしない。

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 新聞社の写真部を飛びだしてフリーカメラマンになり、戦場カメラマンとして紛争国にむかう。死と向かいあい、生命を賭けて取材する。どこか往年の「武士魂」に似ている。
 中近東の危険な国、外務省が入国を禁ずるところにも、フリーカメラマン(最近は戦場カメラマン)として入る。 戦場で泣き叫ぶ子どもらを撮影し、「1枚の写真から戦争の悲惨さを訴える」というカメラワークをする。
 それを世界の通信社に売って、職業として、生活を支えている。
 書き手の場合は戦場記者(ルポライター)である。

 
 新聞社・テレビ局、雑誌社などは正社員を紛争国に社命で送りだし、死傷事件を起こすと、家族にぼう大な補償金を要求される。
 だから、フリーカメラマンやフリーライターの写真や記事を買った方がよい。その方がリスク・ヘッジ(損害回避)ができるからだ。

 フリーランスの良さはなにか。自分の意志で取材やテーマが決められる。拘束から解放される。
 私はフリーランスとして「あるある大事典」の「納豆事件」をスクープしたことがある。大きな波紋を拡げた。週刊誌7社から、逆取材を受けた。取材内容をオープンに公表した。私の記憶だと2-3週間後には、その番組がテレビから消えた。

 私がもしメディアの正社員だったら、「大切なスポンサーだ。世のなかは裏表ある。そのくらいわかるだろう」と圧力がかかり、良いネタでもボツになる可能性がある。

 かたや3.11東日本大震災のような大災害が起こると、大手メディアとフリーランスの棲み分けがある。
 大手メディアはヘリコプターを使う機動力、応援部隊による大勢の人海戦術で、一刻も速く報じる。それが救援物資の早期対応になったり、行政の施設確保、全国からボランティアの大勢の参加になったりする。
 フリーランスにはその速効性・機動力は足下にもおよばない。

 しかし、フリーランスはあきらめない。被災者の一人か、二人を長期に根気よく追う。災害でどんなに人生が変わっていくか。人間の温かみ、醜さ、愚かさなど、ルポとして世にでてくる。読むひとの心に、ひびいてくる。
 
 日航のジャンボ機の墜落などで、吉岡忍さん(現・日本ペンクラブ会長)が、フリーランスで御巣鷹山に入り、「墜落の夏―日航123便事故全記録 」のノンフィクションを出版し、世に知られた。
 神戸の大震災でも、3.11でも、フリーランスとしてテントを持って現地に入り、一週間も、二週間も、取材している。ルポが売れる、売れないに関係なしだ。自分自身にかせた使命感だろう。

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 フリーカメラマンがシャッターを切った「ベトナム戦争で川に溺れかかる悲惨な母子」「真っ裸で逃げだす少女」などが、アメリカ市民につたわり、「私たちの息子がベトナムに行って、あんなことをやっているのか」と、反戦運動が高まり、ベトナム戦争を止めさせた。

 フリーランスは好奇心と執着心がある。さらに、とぎすまされた勘がある。大物政治家を奈落の底に落とす、首相経験者を逮捕まで追い込んだ、著名なフリーランスがいた。

 そういう大きな取材だけでなく、ホームレスを追う。子育てに苦しむシングルマザーを追う。陽が当たらない人にスポットをあてる。社会保障問題や経済格差、教育格差などを世に問う記事を出すフリーランスがいる。

 私個人の認識だが、フリーライター、フリーカメラマン、フリージャーナリストは、それなりに力のある人が多くいる。朝日、読売、NHK、TBSと名乗るひとよりも、フリーランスには凄腕の記者がいる。

 取材される側も、その認識があるようだ。コロナウイルス関連のテレビで記者会見を観ていると、指名されて、「フリーランスの○○です」と堂々と応えている姿がある。

 私は心の中で、フリーランス頑張れよ、この惨禍で困っているひとは大勢いるのだ。政治家に、数百万人の失業者の群れをつくらせるなよ、と応援している自分を知る。
             
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 このたびのコロナウイルスの世界的な大問題のなかで、「フリーランス」ということばが勢い世のなかの正面に浮上してきた。
 役者は舞台が中止になれば、仕事はゼロになる。芸能プロダクションに所属しなければ、だれも保証してくれない。音楽家もオーケストラの演奏がなければ、職がなくなる。
「そうか、彼らもみなフリーランスなのだ」
 私の認識が拡がった。

 著名な芸術家でも、所属事務所をもたず、「フリーランスの芸人です」「フリーランスのトランぺッターです」ということばで表現する社会的な風潮が広まってくる予兆を感じる。 それは「フリーランス」という用語が、社会的な市民権を得ることである。

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 新宿の歌舞伎町の酒場で働くひとたち。コロナ拡大にともなう規制で、閉店すれば、はたらく女性も、バーテンダーも、ビラ配りも収入がゼロになる。
 むかし女給とよばれた人たちも、「フリーです」といえば、どこか定職のない惨めな人生のような社会の弱者に思える。アルバイトも、フリーターも、正社員が世のなかの支配者だった今まで、やや見下されてきた。


 キャバクラで働いていても、「フリーランス」ということばに置き換えられている。職業に貴賤はない。彼女たちも「フリーランスです」といえばよい。自分の意志でしごとをみつけて、スキル(接客技術)をお金に換えるワークスタイルのひとつである。
  
 むしろ、醜(みにく)いのは、ボランティア活動において、会社員の名刺(社名や肩書付き)を出すひとがいる。これは肩書社会の典型である。
 会社の規模・資産力などに寄りかかっている。自分自身に対してまったく個性がない姿だ。

 たとえ会社勤めしているひとでも、『この奉仕の場において、私はフリーランスです』と自分の名前だけの名刺をもって臨めばよい。そして、己の実力を評価してもらうことだ。


 フリーランスは自分の才覚や技能を提供するひとである。『プロ意識をもって、積極的に仕事に臨むひと』という定義になるだろう。
 
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 フリーランスとは、ゼロから独立する存在である。あるいは危機からの再出発であったり、そして、世のなかが個性能力主義へと変わっていくだろう。
 フリーランス社会のメリットは、会社で上司の顔色を伺わなくても良い。まさにスキル(技術)と力量しだいである。新規な分野にチャレンジしたり、己の個性を生かす社会を創りだしたりするひとである。

 勤務社会に慣れ親しんだ人は、このさきスキルを磨いて、フリーランス社会へと、しっかりした心構えを持つときがきた。

 近世には産業革命が各地で起こり、機械がしごとを奪ったと言い、「機械の打ち壊し運動」が英仏に起きた。
 歴史はくり返す。うかうかすれば、あなたが「AI打ちこわしを叫ぶ」一人になりかねない。  
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 GNPの2割で民の生活崩壊を食い止める。下支えをする。むろん、人道的にも必要不可欠だろう。
 ただ、これをいつ誰が支払うのか。むろん、来年ならば1年分の利息が上乗せされる。政府は所得税の大幅な増税という回収で臨むだろう。プラスマイナスで治まれが幸運だが、おもいのほか過酷かもしれない。
 となると、大きな経済変動がかならず起きる。それでも、楽観的な期待だとして、さらなる見込み違いで、経済崩壊への加速度がつくかもしれない。

 過酷な税は苛政となり、政権がつぶれた歴史は枚挙にいとまがない。

 産業は決してゼロにはならない。そのなかで「わが身はわが力で生きていく」という最低限、それだけの心構えは必要だ。
 これから一か月間、コロナによる自宅待機の身ならば、産業の取捨選択まで視野に入れて、「己がフリーランスになった姿を描く」、良いチャンスかもしれない。
 
 10年後、20年後の歴史学者はかならず言うだろう。「コロナウイルスで、世界経済がストップしたのだ。だれもが予測できたはずだ」と嘲笑するはずだ。
 歴史は後からならば、誰でも言える、それが世の常なのだ。