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【幕末彼氏伝】第一話~第三話『大政奉還』の制作者たちへのメッセージ(上)

 浅野家は名家である。豊臣秀吉の正室のネネは、浅野家から出でいる。初代の浅野長政は5奉行の筆頭(現代の内閣総理大臣)として、秀吉の指示の下で太閤検地と刀狩を起こった。

 戦国時代の群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の乱れた時代において、日本統一をおこなった実質的な最大の貢献者である。現在の土地台帳の基礎をつくった人物である。

 浅野家が紀州から広島に入封(1619年)してから、ことしで400年である。広島浅野宗家・初代の浅野長晟(あさの ながあきら)の正室は、德川家康の3女・振姫である。

 広島藩は外様大名だが、秀吉時代から德川家=浅野家はたがいに深い結びつきがあった。このことが浅野家と徳川家がともに幕末において、皇国(こうこく)思想から、世界史にもめずらしい無血革命といえる幕府の解体、『大政奉還』(たいせいほうかん)という徳川家が天皇家に政権返上をおこなったのである。

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 大政奉還とはなにか
 それは封建制度の士農工商の封建制を枠(わく)をはらい、身分にかかわらず、優秀な人材を政治の執政者(しせいしゃ)として選ぶ。こうした民主的な国家をつくることだった。つまり、立憲民主主義をめざしたのである。

 しかし、政権欲にかたまった薩長の下級藩士が、巧妙に鳥羽伏見の戦いを起こした。そして、「大政奉還」で目指した民主政権を転覆させてしまったのだ。ここに日本の不幸が起きた。

血で奪った政権は、かならずや対外戦争か内戦をおこす
 この格言通り、薩長の権力者による政権が太平洋戦争の終結までつづいた。日本・アジア人々たちがとてつもなく血に塗られた歴史となった。この歴史的な真実は否定できない。

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 大政奉還の民主政権のまま150年推移できていたらならば、と悔(く)やまれてならない。2度と戦争を起こさせないためにも、幕末史の真実を知らねばならない。温故知新(おんこちしん)。そこから学ぶべきである。

 明治からの薩長政権にとって、幕末の広島藩・浅野家の平和思想にもとづく倒幕運動は目ざわりだった。
 なぜならば、広島藩が倒幕の主体だったとなれば、新政権にとって自分たちを都合よく、大きく見せるためには不都合だったからだ。そこで、浅野家の家史「芸藩志(げいはんし)」の封印からはじまった。
歴史は為政者の都合よくつくられる
 この典型的な事例である。

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 芸藩志が昭和53年に300部限定で出版されたのである。平成26年に穂高健一著「二十歳の炎」、その改訂版「広島藩の志士」、さらに「神機隊物語」として、幕末広島藩の活躍がよみがえった。

 広島藩・浅野家臣の若者が神機隊を起ち上げた。平和と戦争の狭間で、民のためにいのちを賭けた。大砲隊長の高間省三(浅野家の家臣)は、20歳にして浪江の戦いで死す。
 広島護国神社の筆頭祭神である。この若さにして、大神社の筆頭祭神。すごい人物が広島藩にいた。この事実を知り感動したのが現代の若者たちだ。

 平成のこの時代に、広島の若者が高間省三たちの生き方に感動し、「世に広めよう」と立ち上がった。燃えた。「幕末彼氏伝」の開催へとこぎ着けた。広島市が主催となった、文化庁の認定も取った。
「幕末彼氏伝」(広島)が、平成31年3月21日(祭)に実施された。

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます

【つづく】

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