A010-ジャーナリスト

安倍内閣は日本人の生命と財産を守れ=1人の犠牲者も出すな

 日本の内閣は、日本人の生命と財産を守る義務がある。いまアメリカと北朝鮮との間で、一触即発の緊張感が高まっている。
 この緊張の間に割って入れるのは、日本である。まず、アメリカに先制攻撃をさせない。そして、日本と北朝鮮との対話のパイプを作ることだ。
 韓国は朝鮮戦争以来、まだ和睦ができていないので、日本しかいない、という認識が必要である。
 拉致問題はいったん棚上げにし、双方の外交パイプをつくることだ。北朝鮮は百数十か国と国交を持っている。日本がいつまでも外交関係を持たない。これは不自然で、意味がないどころか、危機を招く。まして、日本が北朝鮮を敵視する理由はない。

 日本のメディアは、北朝鮮の核兵器開発をやたら強調して、恐怖心を煽っていないだろうか。日本は原子力発電所を数多く持っており、ウラン、プルトニウムの保有量ではこれも世界最大級である。他国から見れば、潜在的核保有国に匹敵する。

 日本は自衛隊という世界でも屈指の巨大な軍事力を持ちながら、他国の兵器をとやかく言うのは、身勝手で内政干渉にもなる。国交・外交チャンネルの構築を目指して、緊急で、北朝鮮と日本が軍縮のテーブルにつくことだ。
 双方が対等の立場において軍縮、および核管理の問題で、話し合いの場を持つべきである。


 戦争はなぜ起こるか。「利益」、「恐怖」、「名誉」の三つだと、古代ギリシャのトゥキディデス(戦史を書いた人物)がいう。

『抑止』という言葉は、響きが良いけれど、緊張感を高める。相手に威嚇(いかく)を与えて、より武装を強化し、抵抗を強める。抑止で、という名のもとに空母を出し、つめ寄ることは、より相手を恐怖に陥れてしまう。
 日本海から離れて、元の基地にもどるべきだ。アメリカ人は北朝鮮と戦争をしたくて、トランプ大統領を選んだわけではないだろう。選挙中は保護貿易主義をめざしていたはずだ。

 北朝鮮に、抑止で、恐怖感を強めるとどうなるのか。どこの国の軍隊も、一枚岩とはいかず、必ずや強硬派がいる。暴発しやすい極右の部隊がいるはずだ。北朝鮮から先制攻撃をかけてくる可能性は、いまのトランプ政権下のやり方では、起きても不思議はない。
 偶発的なささいな銃撃戦からも、一瞬の小さなイザコザからも、大戦争になることがある。それは過去の大戦争から、なんども学んでいるはずだ。

 私たちは歴史から教訓を引き出すとすれば、身近なところで、長州戦争がある。第一次長州戦争は数十万の幕府軍が囲んで、家老3人の切腹、参謀4人の斬首で、まずは武力回避した。

 しかし、長州藩に高杉晋作という過激攘夷思想家が政権の座に就いたからと言い、徳川幕府は15万の兵力で、高杉政権の過激行動を封じる『抑止』をねらった。

 4か国連合艦隊の下関戦争によって、ひとつには巨大な賠償金が要求された。もうひとつは(徳川幕府が結んだ安政通商条約・西洋並みの20%)から、低関税率・5%へと引き下げたことだった。これはアヘン戦争で破れた清国がうけた屈辱5%と同率である。つまり、経済的植民地にさせられた日本の国家的屈辱であった。
 土地の租借はなかったにしろ、こんな長州藩の過激攘夷政権の暴走は許しておけない、排除、抑止するべきだ、という考え方による抑圧だった。

 14代家茂将軍(20歳)が江戸から、長州戦争のために大坂城までやってきた。広島表には、幕府軍が数万があつまった。徳川幕府はそれから長州藩に圧力をかけまくった。高杉・桂小五郎政権の内部崩壊を狙ったものだ。
 1年以上も、長州藩は「武備恭順」で、毎日、いつ攻められるか、と恐怖のなかに置かれていたのだ。武器はどんどん長崎の武器商人・グラバーたちから買いあさった。より軍事力を備えた。

 いまの北朝鮮のように、軍事訓練が過激化していく。

 慶応2(1866)年4月5日に第2奇兵隊の暴発が起きた。(全隊員数は100~125人で不詳)。幹部の立石孫一郎を隊長とした約100人の武装兵が、石城駐屯地(山口県・光市)から挙兵し、翌朝に遠崎港から5艘の船に乗り、瀬戸内海沿岸の湊に寄港しながら、4月9日には連島(岡山県)に上陸した。

 ちなみに、立石孫一郎は過激尊攘派で、かつて天誅組の戦い、生野の戦いの現場址をみずから足で歩いた経験がある。この挙兵は、倒幕および幕府の混乱・攪乱が目的で、直轄領の代官所を狙っていた、と戦術を学んだ。


 立石隊の狙いは上陸した翌朝から、幕府直轄領・倉敷代官所(約6万5000石支配)と、老中・板倉勝静の備中松山城を狙ったものだ。

 時系列で、わかりやすくいえば、同年1月20日に、桂小五郎と小松帯刀・西郷隆盛の薩長同盟が結ばれた。時おなじくして、幕府がもとめた長州処分案を天皇が勅許した。
 この圧力をもって、長州藩内では一段と緊張が高まった。

 立石孫一郎は翌2月から岡山・下津井に2度もでむき、挙兵の下工作をしている。予防的な先制攻撃をかける。(挙兵すれば、尊攘派が日本中から蜂起するだろうという考え方)。

 その計画を下に、岡山県の湊に上陸した立石隊長らは、4月10日には倉敷代官所を襲撃した。この代官所は長州戦争の補給基地(食糧・飼葉)で、尾道、三原に仮倉庫をもち、前線の広島表に送る役割だった。幕府にすれば、戦略的な兵站基地が狙らわれたのだ。
 備中松山城の藩主・板倉勝静は家茂将軍とともに大阪城にいて、実質・老中首座で長州戦争の統括者だった。総司令のお城を狙っていた。

 かれらは備中松山藩にむかう途中で、2番目の攻撃先として浅尾陣屋を襲った。浅尾家は見回り組の総大将であり、禁門の変のときには長州藩を撃破した。その恨みが長州藩内にあり、浅尾陣屋を放火した。

 立石隊は、3番目の攻撃先の備中松山城にむかった。ここで、かれらは駆けつけた岡山藩兵、備中松山藩兵、さらに広島からきた幕府軍に撃退された。そして、長州藩内の第2奇兵隊の基地に逃げ帰ってきている。

 幕府は、これを『長州藩からの先制攻撃』だとして、6月には4カ所から攻撃を行ったものだ。
 明治時代に入ると、薩長閥の政治家たちは、天誅組の挙兵、生野の挙兵を教科書で教えるけれど、第二次長州戦争の先端を開いた倉敷の挙兵は、重箱の隅っこにおいた。さも、徳川幕府が芸州口、小倉口、大島口、石州口の4カ所から、先に仕かけたと教え込こんできた。

 歴史の真実をしっかり教えないと、こんかいのように、北朝鮮とアメリカがきな臭い状況下になれば、なにが最も危険か、どう対処すべきか、と見定めがつかない。

 軍隊は極右の思想で暴発する。世界中のどの軍隊でも、おなじ危険性を持っている。北朝鮮のいつもTVに出てくるトップよりも、もっと過激思想の軍人が大勢いる、と認識するべきだ。
 
「いま、アメリカ軍を止められるのは、日本をおいて他にいない」
 安倍内閣は、中国やロシアに対話を任せきる傍観者になってはいけないし、外交ルートを即座に作ることが急務である。
 
 内閣の複数の大臣が、双方のパイプづくりで、北京から北朝鮮に入るべきだ。日本の大物政治家が入れば、アメリカはそう簡単には軍事攻撃などできない。


 ここは日本人を守るぞ、と度胸、気迫のある国政の政治家が出るか、出ないか。それで日本人の生命と財産が守れる否か決まる。党派を問わず、全員が国民の代表だ。ふだん代議士が口にする、政治生命はここにある。
『攻撃されて多少の犠牲者がでても、わが国の政治家には責任がない。悪いのは攻撃したほうだ』
 決して、そう思わないことだ。

 1人でも犠牲が出れば、熱くなるのが日本人だ。報復の連鎖を止めるのは、まずは戦争を起こさせない、国民が選んだ国政の政治家によるスピーディーな行動力だ。

      写真:Googleより

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