A010-ジャーナリスト

可憐に咲く『誰故草』に想いを寄せる=広島市・船越町

 『誰故草』なんて読むのだろうな。

 一枚の説明書を見たとき、「たれゆえ草」と名を記していた。

 歴史小説の取材で、船越公民館(岡田高旺・館長)を訪ねた。

 そこで、船越の町の花「たれゆえそう」の説明を受けた。
 

「幻の花」はかつて大江谷(おおえだに)で、自生していたという。

 平安時代の大江大納言は、毛利家(長州藩)の先祖だったはずである。

 「ほとんど絶滅する寸前にある花です」

 この船越町では、いちど姿を消している。

 いま保存会の方々が自生を試みている、と語っていた。

 天敵は、土を掘り返すイノシシだとも聞いた。



 
 歌人の藤原為兼(ためかね)が、安芸の国に流されてきた。

 京を想う為兼は、『誰故草』に寂しさを重ねて詠っている。

 船越中学校のグランドの一角で、地上から15-16センチの茎高さで、愛らしく咲いていた。

 これは人間が手を入れて育てた花だ、とわかっていても、この大江谷で『誰故草』に出会えるとは……、と妙にうれしかった。


 船越中学の久保大地くんが、2年がかりで紙芝居を作っていた。

 それを一枚ずつ読むだけでも、町ぐるみで、『誰故草』を誇りにしている、とわかる。

 江戸時代には自生で咲いていたという。

 歴史小説のなかで、主人公が想いを寄せる情景・情感で『誰故草』を組み込みたい。


 ※ 出会った方々が、地名を「広島市」と行政区でなく、かつての安芸郡船越町というイメージで語っているのにも、好感が持てた。
 

        (岩瀧神社の展望台から、船越町・海田町を望む)


 船越町はわずかな時間の滞在だったけれど、なおさら、紫色の花に出会えた、という特別に愛でた心持ちになれた。

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