可憐に咲く『誰故草』に想いを寄せる=広島市・船越町
更新日:2017年4月22日
『誰故草』なんて読むのだろうな。
一枚の説明書を見たとき、「たれゆえ草」と名を記していた。
歴史小説の取材で、船越公民館(岡田高旺・館長)を訪ねた。
「幻の花」はかつて大江谷(おおえだに)で、自生していたという。
平安時代の大江大納言は、毛利家(長州藩)の先祖だったはずである。
「ほとんど絶滅する寸前にある花です」
この船越町では、いちど姿を消している。
いま保存会の方々が自生を試みている、と語っていた。
天敵は、土を掘り返すイノシシだとも聞いた。
京を想う為兼は、『誰故草』に寂しさを重ねて詠っている。
船越中学校のグランドの一角で、地上から15-16センチの茎高さで、愛らしく咲いていた。
これは人間が手を入れて育てた花だ、とわかっていても、この大江谷で『誰故草』に出会えるとは……、と妙にうれしかった。
船越中学の久保大地くんが、2年がかりで紙芝居を作っていた。
それを一枚ずつ読むだけでも、町ぐるみで、『誰故草』を誇りにしている、とわかる。
江戸時代には自生で咲いていたという。
歴史小説のなかで、主人公が想いを寄せる情景・情感で『誰故草』を組み込みたい。
※ 出会った方々が、地名を「広島市」と行政区でなく、かつての安芸郡船越町というイメージで語っているのにも、好感が持てた。
(岩瀧神社の展望台から、船越町・海田町を望む)
船越町はわずかな時間の滞在だったけれど、なおさら、紫色の花に出会えた、という特別に愛でた心持ちになれた。