A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・詩集「そらいろあぶりだし」より】 啖呵  中井 ひさ子

 喧嘩をするにもエネルギーがいる。頭がいる。度胸がいる。冷静さが必要である。なによりした後、心がからりとしていないといけない。
 
 私はすべてだめである。エネルギーはともかく、頭が悪い。度胸がない。感情的である。その上した後、心がうじうじ湿りっぱなしである(特に友人に対しては)。だから喧嘩は苦手である。はずである。
 なのに、すぐ頭にくる。人間ができていない。そんな時は考えるより先に言葉がでる。啖呵を切っている。

  私は、仕事で阿佐谷まで自転車で通っている。急いでいる時は、細い道を通る。一列に、並んでいる学生たちを自転車のベルを鳴らして、追い抜いていった時である。
「なんだよ、ババア」
 歳をとっても健在な耳はしっかりとらえた。
「ババア」は私にとって禁句だ。
「今、なにを言うたん。もう一度言うてみ! 年寄りなめたらあかんで」
 腹が立ったら大阪弁がでる。
 自転車を降りている。時間がないのにである。
「俺ら何にも言ってない」
 学生たちは横をむき、喧嘩は買わない。彼らのほうが、人間ができている。
「またやってしまった」
 家に帰り首をすくめる私に、娘は冷たく注意する。
「そのうち刺されるからやめたほうがいい」
 その娘にだって啖呵を切っている。
「今まで面倒見てきた分、しっかり返してもらうわよ」と。
 こちらも横を向き知らぬ顔である。

 私だって、いつも啖呵を切っているわけではない。ある会でいわれなく「女のくせに生意気だ」と声を荒立てられ、一歩足が前に出かかった。でも、でも、場所を考え、ここでは我慢、我慢と飲み込んだ啖呵。
「それはこうだ」との強い意見に、ふと、ひるみ呑み込んでしまった、あの時の強い思い。言えなかった思いが、からだに残り時々痛い。
 切らなかった啖呵、切れなかった啖呵より、思わず出た啖呵が愛おしい。

 分別なんてもっともらしい言い訳なんか聴きたくないと、自分自身に啖呵を切っている。

  啖呵  中井 ひさ子  縦書きPDF

イラスト:Googleイラスト・フリーより


 【関連情報】

 詩集 「そらいろあぶりだし
 作者 : 中井ひさ子(なかい・ひさこ)
 定価 : 2000+税 
 発行 : 土曜美術社出版販売
   〒162-0813 東京都新宿区東五軒町3-10
    ☎  03-5229-0730
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