寄稿・みんなの作品

「寄稿・孔雀船93号」 川上さんの話 = 脇川郁也

かすかに夕日の差し込むオフィスの

窓際に置かれた半円形のミーティングテーブルに

紙コップがふたつ残されている

ひとつにはコーヒーが少し

だれかのため息が浮かんでいて

もうひとつは力まかせにつぶされて転がっている


どうしようもない悔しさを飲み下したのは

川上さんという戦争を知る老いた男だった

ふだんは鷹揚に構えている彼だが

酔うといつも何かを思い出して目を潤ませた

酷いものだよ、戦争は

と彼は言う

人の生き死にを気安く忘れちゃいけないんだよ

とも言った


赤く染まっていく西の空を見ていると

ぼくの心の奥底に

彼の言葉だけがよみがえってくる

だれもいなくなった場所に届いた

おだやかな秋の夕暮れは

人々のざわめきとともに

ガラス窓に張りついたままだ


さて

昭和二〇年のこと

大正九年生まれの父は

陸軍伍長として

終戦を台湾の基隆(キールン)で迎えたと聞いた

昭和二年生まれで女学生だった母は

兵器工場で勤労奉仕をしたらしい

だが 父からも母からも

ぼくは戦争の話を聞いたことがない


もう日は傾きかけている

明日は雨になるとテレビが言っている

雨のたびにしっとりと折りかさなる

いくえもの時の名残が

明日もきっと剝がれ落ちるのだろう

銀杏の葉が舞い落ち

しずしずと降り続けるように


川上さんが道に刻んだ影を

ぼくらは踏みつけているのではないか

ぼくはもっと彼らの影に寄り添って歩もうと思う

知らぬ間に失われていく光が

その静けさを

いっそう深いものにする

わずかばかり残った空のあかね色が

つぶされた紙コップに

うっすらと染み込んでいるのだった


川上さんの話 PDF



【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

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