A040-寄稿・みんなの作品

恋愛結婚? 見合い結婚? = 遠矢 慶子

「おーい」 「おーい」
 広い乱雑な編集局のあちこちから大きな声がかかる。
(原稿を書き終えた)
(鉛筆を持ってきてくれ)
 など、記者が大声で叫ぶと、ボーイと呼ばれる男の子が飛んで来る。

 初めて新聞社に入ったとき、その声にびっくりした。
 編集局はワンフロワーに編集部、スポーツ部、文化部、外報部、経済部、政治部と各部所が見渡せる。

 私の配属された文化部家庭欄は、その中で、唯一女性が三人いた。50代の色白ででっぷりした記者、後の二人は30歳前後の細身のなかなかの美人記者であった。


 文化部長は、中川一政の息子の中川鋭之助氏で、巨匠そっくりのらっきょうのような顔で、背の高い、やさしい新聞記者らしくない穏やかな部長だった。

 編集局内は、散らかった机の上の隙間に、原稿紙を置いて、夢中で書きまくっている人、調べものをしている人、椅子を倒して電話をかけている人と千差万別だ。

 同じなのは、机の上がどこも紙と本と電話で、ごちゃごちゃしていることだ。

 大学を卒業し、航空会社に入り、3年乗務した。昔の航空機は気圧の対応が悪く、耳が詰まる航空性中耳炎になり、三年で退職した。
 その頃、女性の結婚適齢期は23歳か24歳、25歳は、もうオールドミスになってしまった。ボーイフレンドと結婚する気もなく、そんな時、父の友人のコネで、新聞社に途中入社した。


 文化部に配属され、デスクがうるさい男だったが、居心地はよく、社内で女性はもてもてで、昼時になると食事の声がかかる。そのころ運動部にいた夫は、ちらちらと文化部の女性に、目を奪われていたようだ。


 ある時、近所の女性ばかりの集まりで、
「恋愛結婚?それともお見合い結婚?」
 と聞かれた。
 そこにいた同年配の女性7人の内、私以外全員が、お見合い結婚だった。

 そういう時代もあったのだ。
「どうして彼と結婚したの?」
「運動部にいた彼から、結婚してくれなければ死ぬと、脅されて」
 銀座のレストランで食事をし、ふたりは数寄屋橋のあたりを歩いていた。彼が親に会ってくれと言うのを、私がはぐらかして、はっきり返事をしなかった。

 すると、彼(いまの夫)がいきなり歩道から、車の走る車道に飛び降りようとしたので、びっくりしてしまった。


「あの時、死なせておけば良かった」
 と、ふざけて言った。
「そうよ、はったりよ。死にゃしないわ。バカねあなたも」
 本当に純情で世間知らずのバカだった。
 どこでどうして付き合うようになったかは忘れてしまった。

 ただ、その頃のボーイフレンドは皆、控えめでやさしすぎ、夫のようにずうずうしく積極的なところに、惹かれたのかもしれない。
「すぐ会社を辞めてくれ。月給は僕が出すから」と言ったのも嘘だった。
 親の選んだ書類審査で、お見合い結婚した友人たちも、全員が未亡人になっている。人生なんて皆同じように、良いときもあり、悪いときもある。

 一生を通して、皆同じ人生になるようだ。
 ただ、生まれ変わったら、私は、絶対に違う男性を選びたい。


             イラスト:Googleイラスト・フリーより

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