A040-寄稿・みんなの作品

さらば!  阿河 紀子

 2017年12月5日 我が家の飼い犬 秋田犬(あきたいぬ)の大和(やまと)が死んだ。
推定15歳 我が家の一員になってから 11年と11か月。老衰だった。

 穏やかな最期で、あっけないくらいの別れだった。死が、にわかに信じられず、私は何度も大和の体をゆすり「寝ているの? 死んじゃったの?」と確かめたほどだった。
 大和は、2005年、足立区を放浪しているところを、通報され捕獲された。本来なら、殺処分される犬だった。エサを食べているときに触っても、唸らないほど、おとなしい犬だった。愛護センターの職員が不憫に思い、譲渡対象の犬のリストに入れたと言う。

 (亡くなる1か月前 崩れる大和を支える飛鳥丸)

 だが、秋田犬(あきたいぬ)の牡で、しかも、成犬(せいけん)となれば、センターから
引き出そうという、ボランティア団体も簡単には、見つからない。
 やはり、殺処分するしかないのか。処分決定のギリギリになって、葛飾区に拠点をおく、ボランティア団体「CATNAP」(キャットナップ)の代表が手を上げた。ネットで里親募集をしていたその秋田犬に、私は、会いに行った。そして、その日のうちに、家に連れて帰ることになった。
「里親さん宅までお届け」がボランティア団体の規則だったので、我が家の車に代表と、大和を乗せ、自宅に向かった。途中、ホームセンターに立ち寄り、バリケン、いわゆる室内用の犬小屋を購入した。大型犬のバリケンは、2、3万円もした。

 店員が、大和の体格に、ピッタリのものと、余裕がある大きめのものを出してくれた。ピッタリの方のバリケンを指さし、「こっちでいいよね」と私が言ったとき、のっそりと大きい方のバリケンに入った大和は、突然そこで、「小」の方の用を足した。
 大きい方のバリケンを購入したのは、言うまでもない。数か月後には、大きい方のバリケンが大和の体格にピッタリになった。
 大和には先見の明があったと、後々まで話のタネになった。

 秋田犬の牡にしては穏やかな性格の大和だったが、まったく、「しつけ」がされていなかった。大きな体で、子犬のように甘噛みをする。本気噛みでは無いが、鋭い秋田犬の歯で、私の手も、腕も、足も、血だらけになった。
「止めて」と怒鳴れば、大喜びで走り回る。手を頭上に上げれば、飛び上がって、体当たりして、手を噛みに来る。まったく、手に負えない。
 この時、私は初めて「犬のしつけ」の重要性を認識した。かねてからの知り合いの「ドッグトレーナー」が開催している、しつけ教室に大和と一緒に通うことにした。大和は、賢かった。

 一度、言葉が通じ始めると、まるで、スポンジが水を吸うように、様々なコマンドを理解した。私の言葉が大和に通じている、それだけで、感激して身を震わせるほど、嬉しかった。

   (写真:オスワリが出来てほめられて嬉しそうな大和)

 大和の足の裏は、まるで子犬のように、柔らかくて、ぷにょぷにょしていた。堅い地面を歩くと、すぐに傷ついた。背中に手を当てるとあばら骨が触れるほど痩せていてた。
 体を支える筋肉が無く、背骨が曲がっていた。
 筋肉をつける為に、毎日歩かせた。

 自宅から4キロほどのところにある、運動公園で、毎日のように、ロングリードを付けて走らせた。大和は、まるで、空を飛ぶように、走った。その姿に、私は、胸を打たれた。

(空飛ぶ秋田犬 大和)

 他人からは、「秋田犬の里親になってえらい」などと感心されたが、そうではない。私たち家族は、大和から、毎日まいにち、たくさんのプレゼントをもらった。
「えっ、そんなことが、そんなに嬉しいの?」
 大げさに言えば、おどろきと感動の連続だ。輝くいのちの力強さを実感できた。

 夫の転勤に伴い、大和を連れて、千葉から奈良に引っ越しをした。一番苦労したのは、大和と室内で一緒に住む「家」を見つけることだった。
 やっと見つけた賃貸住宅は、広いだけが取り柄の恐ろしく古い、壊れる寸前の家だった。
だが、この「広さ」がとんでもない事態を生み出した。大和が家の中で走り回れるほどだった。うかつにも、私は、もう1頭秋田犬が飼えるような気がしてしまった。

 秋田犬の仔犬、それも、1度も会わずに写真だけで、無謀にも引き取ってしまった。
           
 それが「飛鳥丸(あすかまる)」だ。生後半年の仔犬だが、なんと体重が4キロしかなかった。通常 生後半年の秋田犬は、体重20キロにもなると言う。
 飛鳥丸は、熊本から飛行機に乗ってやってきた。ガリガリで、極度の栄養失調で、足が曲がっていた。保護した人の話では、歩けなくなるかもしれないと言う。

(里親募集時の写真 左が飛鳥丸)


  その上、あとで分かったことだが、心臓に穴が開いていた。無事に奈良まで来られたことが、「奇跡」とも言える。

 大和との相性など、何も考えず、私は、引き取ってしまった。
「やっぱり要りません」
 と熊本に返すわけにもいかない。そんな考えなしの飼い主を困らせることなく、大和は飛鳥丸を受けいれた。
 むしろ、飛鳥丸が、飼い主の私たちより、大和を信頼し、心を開いてくれた。大和は、全くケチの付けようがないくらい、「良き先輩犬」だった。

「威張ることなく、相手を労わり、受け入れ、悪いことは悪いと、教える」
 真のリーダーとは、こういうものかと私は、感心させられた。

 大和と飛鳥丸は、プロレスが大好きで、よく、取っ組み合い、転げまわって遊んだ。そんな様子を、ブログにアップすると、驚きのコメントがたくさん寄せられた。

(プロレスに興じる2頭)

 大和が老いて、足がおぼつかなくなり、だんだん歩行が困難になってきた。ある時、飛鳥丸が、大和をプロレスに誘った。体当たりをすると、大和が倒れた。その姿を、飛鳥丸はじっと見つめていた。

 昨年の11月 山中湖に大和たちを連れて、旅行に行った。宿のドッグランは、2頭のお気に入りだった。
 以前来た時は、2頭で、飽きもせずに、もつれるように走り回ったものだ。
 しかし、もう、大和は走れない。それでも、飛鳥丸が大和をプロレスに誘う。楽しかったのを覚えていたのだろう。鼻で小突いたり、足を軽く噛んだり、周りを走り回ったりするが、大和は動けない。すると、飛鳥丸は大和の隣で、同じように伏せて、時を過ごした。

(大和に寄り添う飛鳥丸)

 私が遊びに誘っても飛鳥丸は動かない。私に、大和の変わりは出来ない。
 大和は、やがて家の中でも自力で移動できず、何をするのにも、介助が必要になった。
共通言語を持たない我々人間家族は、大和が何を求めているのか、忖度する毎日だ。
「歩きたいのと違う?」
「水が飲みたいのよ」
「おしめが汚れたみたい」
 私たちは、自分の考えたことが、大和の求めていることと一致した時には、ちょっと自慢げに、「ほら!やっぱりそうだったでしょう」と言いあった。

 誰が、決めたわけでもないが、家族3人力を合わせて、交代で大和の介助、介護をした。
皆、寝不足にもなった。私は、腰痛に悩まされた。
 20キロに減ってしまっても、大和の体を抱き上げるのは、たいそう力が要った。だが、大和の満足げで、穏やかな顔を見るだけで、私たちには、充分だった。
 大変なこともあったが、「辛い」と感じたことは無かった。家族が、力を合わせ、大和と向き合い、互いに思いやることが出来た。

 大和には 骨髄異常に由来する、持病があったが、2017年の夏から、検査や服薬することを止めた。根本的な治療にはならない、延命のためだけの医療行為は止めた。
 強制給餌をしないことも決めた。大和にとって、くるしい事や嫌がることは止めた。
いつでも、見送る覚悟は、出来た。
 最後の日の夕飯も、少ない量だが、がっつくように完食した。
 その4時間後、あっけなく逝ってしまった。
 大和との時間は、十分に満喫できた。
 すべての時間を抱きしめながらも、振り返ることなく、 
「さらば!」

(家族そろっての散歩)

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