A040-寄稿・みんなの作品

三十年ぶりの墓参り = 黒木 せいこ 

 私は今年、還暦を迎えた。

 学校の同級生たちは、卒業後、進学、就職や結婚のため、地元を離れた人が多い。これまで同窓会は、各地域で行われていた。皆が還暦を迎える今年は、熊本で高校の同級生が一同に集まり、盛大に開催することになり、半年も前から案内状が届いていた。

 卒業後、一度も会っていない人にも会えるかもしれない。私は懐かしくなり、出席することにした。
 同窓会の二か月ほど前のある日、高校卒業後もずっと親しくしていた同級生のオタカ(高本さん)から、
「今日はヒロミの誕生日じゃなかった? 生きていればヒロミも60歳になるんだね」
と、メールが来た。

 ヒロミは、26歳の若さで亡くなった。私とヒロミは、中学と高校が一緒で、とても仲良しだった。
 彼女は、テニス部で活躍する、とてもチャーミングな女の子だった。ショートカットで、日焼けした健康的な笑顔が魅力的で、男子生徒からも人気があった。

 そんなヒロミが、大学生になって突如として「膠原病」になって入院した。病気について詳しくは聞かなかったが、手術などはせず、投薬治療をしていた。

 入院生活は長期に及んだ。私は、大学卒業後も地元で就職していたので、何度もお見舞いに行った。病室では、ヒロミはいつも元気そうに話していたが、薬の副作用で顔がむくみ、体のあちこちに黒いあざができているのが、痛々しかった。

 それでも、私の結婚式には出席したいと、入院中にも関わらず、わざわざ宮崎県まで足を運んでくれた。参列した彼女の元気そうな顔を見て、体調はいいのだとばかり思っていた。


 それが、結婚式の二か月後、突然ヒロミが亡くなったと知らせが届いた。私は言葉を失った。元気そうに見えたのに、実は体調が悪かったのだろうか。
 結婚後、私は埼玉県に住んでおり、切迫流産で絶対安静の状態だったので、葬儀に出席することさえできなかった。
 私の結婚式に出て、無理したのがいけなかったのでは? そんな後悔で、胸がいっぱいになった。
 その後、私は無事に出産し、数年たって、友人たちと数人でヒロミのお墓参りに行って、その足でご自宅を訪ねた。
 ヒロミのお母さんが、
「娘は、結婚式に出られたことを、本当に喜んでいました」
 と、笑顔で話してくれた。

 仏壇に手を合わせると、そこには、微笑んでいるヒロミの写真があった。それは、私の結婚式に出席した時のものだった。
 私は、重い胸のつかえが少しおりたような気がした。


 あれから三十年がたった。ヒロミが亡くなった6月になると、季節の変わり目のせいか、私は体調を崩すことがあった。そのたびにヒロミを思い出した。

 この間に、たまに帰省したおり、学友たちとの会話の中でも、ヒロミはよく登場した。
「あのころは、何でもないことでもよく笑ったね」
「ヒロミはなぜか、前川清が好きだったよね」
 笑い話として出て来ることが多かったが、そのたびに、若くして亡くなったヒロミのことを思うと、胸がチクリと痛んだ。
 だが、あれ以来、墓参りには行っていない。今回、同窓会で集まるのをきっかけに、皆で墓参に行こうと、オタカが提案した。私も、もちろん賛成した。


 同窓会の当日、少し早めに集まった5人で車に乗り、墓に向かった。ヒロミの実家は、熊本市の中心部から車で30分ほどの所にある。町の様子は以前とそれほど変わりなく、墓地の場所はすぐにわかった。
 だが、新しい墓がずいぶん増えて、ヒロミの墓がどこにあったか、誰も思い出せない。

 その地域には、同じ苗字の家が多く、全部で200ほどもある墓の7割くらいはヒロミと同じ『斉藤家の墓』である。

 墓石の横に書かれている墓標を、5人は手分けして一つひとつ見て回ったが、ヒロミの名前はどこにもない。
「真ん中あたりだったと思う」
「いや、一番左奥の列だったような気がする」
 皆の記憶も曖昧だ。私など、どこにあったか、まるで覚えていない。

 近くにあったヒロミの実家に行ってみたが、そこはすでに更地になっていた。もうご両親も亡くなったのだろうか。ご両親や、お兄さんの名前もわからない。

 わかりそうな同級生に携帯で連絡してみたが、誰もはっきりした場所は覚えていなかった。昨年の熊本地震で、墓石が倒れ、土台しかない墓がいくつかあった。その中の一つなのかもしれない。5人で知恵を絞ったが、ついにどれがヒロミの墓かわからなかった。

 気が付けば、探し始めてから2時間近くたっていた。肌に当たる風が急に冷たく感じられた。ここまで来て、結局墓前でヒロミにお参りもできずに帰るのかと思うと、情けなかった。
「何してるんだろうね、私たち。誰も覚えていないとはね」
「三十年もたったから、仕方ないよ」
「ヒロミもきっとお墓の下で笑ってるよ」
 私たちは、お互いに苦笑いした。
 

 持参した墓花は、個人の物ではない「南無阿弥陀仏」と書かれた大きな墓に供え、線香は、それぞれが勘で、ここぞと思う墓前に置くことにした。
 私は、ヒロミが好きだったスヌーピーのコップが置いてある墓に置くことにした。だが、
「それは違うわよ。苗字が『斉藤』じゃなくて『斎藤』でしょう」
 と一人の同級生に言われ、あわてて別の墓にした。
「ヒロミ、見つけられなくてごめんね」
 私は、心の中でつぶやいた。

 予定よりずいぶん長く墓にいて、同窓会の始まる時間が迫ってきたので、私たち5人は、やむなく墓地を後にした。 

 ヒロミ、私、もう少し生きてみるね、あなたの分も。

   文・写真=黒木 せいこ
          イラスト=Googleイラスト・フリーより

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