A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・掌品】 春終の三段峡 = 広島hiro子(3)

 実は、以前にも智子は二度ほどこの地を訪れていた。一度は独身時代に、仲間と連れ立って行ったとき。これはほとんど山歩きしながら話したりしていて、肝心の景色を覚えていない。もう一度は10年前に家族連れで訪れたが、小学校の子供には少し酷だったようだった。途中、自然観賞どころか、「まだ~まだ~」と足の疲れを訴える子供の声しか残らなかった。

 やや気を取り直しできたのは、やはり黒淵の渡し舟のおかげだったろうか。さすが日本百景のひとつを誇る渓谷美と冷たく透き通る静かな景観は、子供の情操教育に役立ったと思った。しかし、今では当の子供はまったく覚えていないらしい。

 渓谷好きの智子なのに、三段峡の思い出はいまひとつで、心に染み入るとまでには程遠いものでしかなかった。
 そんな思い出らしい思い出のない三段峡は、今はまるで別もののように輝きはじめている。
自然そのものの息吹を、余計な役割に縛られることなく吸い込めるのはしばらくぶりであった。
 こんな時間をもてたのも、後藤のお陰なのかもしれない。
 昨日の後藤とのファミレスで、彼の話に親身になれなかったことを少し後悔した。


 昨夜、ファミレスに着くなり、彼は仕事で混迷している智子の虫の居所をさらに悪化させた。
「君、前に逮捕されたことがあったよね。あれからどうなった?まあ、金融機関に務めているところをみると、前科もんじゃあないらしいけど?」
 今や大企業に勤める智子にとって、誰にも触れられたくないことを、無神経に言ってのけるのだ。新聞に載ったことも、すべて親戚一同や友人でさえも触れたりしないのに。
封じこめていた思い出が一気に沸き上がる。
「何よ、誰のせいだと思っているの。忘れたわけじゃないでしょうね。24万円のセット商品を私が立て替えたのよ。あなたの成功のために。」
 眼を伏せると、後藤はポケットの煙草に手を伸ばそうとして、止めた。
「ああ、別れて何年もたつのに、忘れずに電話をくれてありがたかったよ。これでも君のために成功したいと思ったんだ。」
「でもあなたは商品のセットを私に送り返してきた。結局やめたかったのよね。一度も私に会いに来なかったわ。電話も出なかったし、居留守?あれはわざとだった?」

 何十年も前の話を、まるでつい先日のように話すもの変だと智子自身で思うのだが、消してしまいたい思い出を穿り出されたことが、無性に腹立しく思えた。


 当時、高校中退で薄給の彼は、結婚当初から金銭的に苦しかった。親と共に同居を余儀なくされたが、その親が大きな原因でもあった。何でつくったかわからない後藤家の舅の借金で、その息子である信宏は給料のほとんどを、家賃の名目で親に渡していた。

 その時住んでいた家は借金のかたに銀行のものになったが、その家に家賃を入れて借家として住み続けた。近所からは借金のかたに取られたとを隠し、家もちであると思わせるために、同じ生活を続けた。息子が結婚式もせず、子供が先にできたことを近所から後ろ指をさされないように、嫁である智子には散歩を禁じた。
「あんたのせいで、信弘は新聞を斜めに置くようになった。あの子は高校の時の先生に、医者にでも何でもなれるといわれるほど優秀だったのに、几帳面でなくなったのはあんたが来たからよ。佑の母ちゃん、毛が三本、毛が三本」
 と孫をあやしながら、歌うようにいい続けていた。さらに小姑の結婚資金を、サラ金で借りてでも人並みにやってのける、世間体を守ることが当たり前の夫婦だった。豪勢な結婚式をした後、返済に苦しくなり、智子に押し付ける形になった。

 智子がチック症にかかり一年半後に初めて実家の父に打ち明けると、後藤家と縁を切るようにと連れ戻された。信弘とは別居中の半年間なんの連絡も取り合わなかった。半年すぎて後藤家に智子が訪れたとき、
「帰ってくれてありがとう」
 という信弘の手を思わず振り払った。その言葉を素直に受け取ることがどうしてもできなかった。離婚届を置いた。間の悪い人だと心で泣いた。


 ネットワークビジネスへの投資には、そんな中卒という低学歴のしがらみから抜け出せるようにと、ちょうど6年経ったとき、智子から誘いの電話をした。相変わらずの貧乏暮らしを遠巻きに知り、ひろの父親としてできるなら貧困から抜け出してほしいという思いからであった。

 電話をすると、案の定、投資の軍資金がない状態であり、信弘からお金を貸してくれと言われた。智子は、自身の資金で彼の商品のセット金額を振り込んだ。しかしその後、彼に会うどころか、電話すら連絡の来ることはなかった。
 智子は、何となく理解していた。とうていネットワークビジネスという過酷なチャレンジに彼が向いていないことを。智子は自分自身の責め、二度と彼のために連絡することはなかった。

「でも結局その会社、つぶれたんだろ?・・・・たしか、出資法違反か何かで上が捕まったんだっけ」
「私に謝りたくてそんなことを蒸し返すの?、それとも何かあなたに迷惑かけたかしら?」
「いや、そうではないけれど。君は以前、格差の世の中を何とかしたいって言ってたよね。でもネットワークなんかで成功なんかしないよ。もしかして、まだそれをやめていないような気がして。思い過ごしかな。」
 何も理解せずチャレンジさえしなかった彼なのに、何十年も経た今になって意表を突く質問を投げかけてくる。素人の勘というものなのか、何なのだろう。智子は彼の想像の通り、大企業に勤める今もその会社と縁を切れずにいた。

 多くのネットワークビジネスや会社が人から搾取する手段であった中で、ここだけは唯一人を最大限に大きくするものであると智子は信じていた。
 今では通販の会社になっていても、その理念には揺るぎがないはずだ。しかしそれを話しても、とうてい彼に理解できることではない。智子は彼に言った。
「安心して、もう佑を心配させるようなことはしてないから。」
 智子がそう説明すると、彼はこういった。
「誰のためかなんて聞かないけれど、あんまり危ないことはするなよ。今は家族がいるんだから。」
 独り言のようにつぶやく声であったが、智子には責められているように聞こえていた。
早くこの話を終わらせたかった智子は、別の話題に切り替えた。
「お義母さんの様子は?」自分でも意外なことを口にしてしまったと思った。
 本来はもう赤の他人で、「お義母さん」と呼ぶ間柄ではない。しかし、それ以外にしっくりとした呼び名がない。


 消費にのせられ、嫁に借金させても体裁を重んじる夫婦への恨みを、年月は包み込んでしまうものなのだろうか。今になってもお義母さんと呼んでしまう自分がおかしいと智子は心の中で自嘲した。
「一度お義母さんから電話があったのよ。15年ほど前、私が今の旦那と結婚して子供が5つのころかな?信を知らないかって。仕事もやめて行方不明になったって。行くところは智子さんのとこしかないはずって、泣きながら。」
「そうか、母さん電話したんだな。君の所にかけるなんて。・・・あれでも、死ぬほど心配したのかな・・・」」
「知らなかった?奥さんも心配されたんでしょうに。」
「今初めて知ったよ。すぐに帰ったけどね。ちょっと僕も病気だったからな。・・・。自分の育て方が悪かったって・・・俺がかえって来た時母が泣いてたよ。」
 詳細を尋ねるのは、はばかられた。きっと心の病もあったのだろう、高校中退してしまう心の弱さのある人、若い時からそうなのだ。昔から、突っ張っているようで、肝心なことは何も言わなかった。
「お義母さん、私の母より5つ上だから、もう80歳になって?」
「うん、生きてたらね。もう父も母も3年前に亡くなってるよ。」
 一瞬、意味が解らない気がしたが、言われてみれは当たり前だ。人の寿命などわかりはしない。そうか、両親の葬儀にも呼んではくれなかったのだと智子は腑に落ちたかに思った。

 たとえ1年でも一緒に暮らし、お義父さん、お義母さんと呼んでいたのは幾ばくかの縁であったろう。別れの一言、せめて、恨んでなどいないことを伝えたかった。
 もちろん、こちらは息子の結婚式にも呼んでいないほど疎遠であったのだから仕方ないことだ。
 過ぎたこと、終わったことは聞くまい。それは今の夫婦で乗り越えるべきものだから。
智子は改めて、すべての思い出を振り払った。
                             【つづく】

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