寄稿・みんなの作品

【寄稿・エッセイ】 私と酒 = 青山貴文

 夕焼け雲が、真っ赤な空に浮かんでいる。
 二階の書斎は、内壁や棚が暖色に染まり、居心地がよい。 私は、小さなグラスに赤ワインを注ぎ、それを夕陽にかざして軽く乾杯する。ワインがなければ、ブランディ、吟醸酒、ウイスキーなど、アルコールであればなんでもよい。夕暮れを愛でながら、明日の晴天を期し、何ともいえないいい気分になる。

 こんなことを書くと、私は酒飲みと思われるが、元来アルコールに弱い。母方の家系に似たのであろう。酒を飲めない祖父が、酒造りを創めて失敗した。もっともなことだと思う。

 19歳のころ、東京麻布の仙台坂の酒店に住み込んで働いていた。当時は、ビールをコップに3分の1ほど飲んで、気持ちが悪くなり吐き気をもよおした。アルコールの入った飲み物は、身体が受け付けなかった。ビールよりも冷水の方がよっぽど旨かった。店主にとっては、盗み飲みもしない良き働き手であったと思う。

 社会人になっても酒席は苦手だったが、飲むことが仕事と割り切って、うまくもない酒を飲んだ。
最初のコップ一杯のビールは水よりうまい。二杯目からは、顔が紅潮し、さらに心臓の鼓動が早くなる。
 その内、ゆったりした話声は、図太く早口になってくる。ビールの味などわからない。そうこうする内に、日本酒が運ばれて来る。同僚と差しつ差されつするうちに、酒の弱さを隠すように大声を張り上げる。
 ところが、会社を辞めてから、アルコールが入ったものなら、何でも好きになってきた。飲むほどに、小さなことはどうでもよくなってくる。部屋が乱雑であろうが、予定どおりことが進まなくても、影口を叩かれようともなんでもない。私はほんわかして、すべてを許してしまう。

 アルコールに弱いから、少し飲んでも直ぐ眠くなる。安上がりの眠り薬だ。数時間で目覚めると頭がすっきりして全てに積極的になれる。

 一方、親父は、アルコールが強かった。酒豪ではないが、酒がすこぶる好きだった。特に日本酒に目が無かった。若い頃は、ご飯に日本酒をかけて食べたというくらいだ。ビールでは酔わないと言い、もっぱら日本酒を飲んだ。独りで一升瓶をあけたこともあったという。
 ただ、酒癖が悪かった。普段、無口でもの静かであったが、酒を飲むと口数が多くなった。理屈っぽく、相手の弱いところを突いてくる。昔の些細なことを、ぐだぐだ言いながら際限なく酒を飲む。自然と、友人は寄り付かなくなる。

 小学生のころ、立川の集合住宅に住んでいた。父が飲みだすと、わたしたち家人は彼を無視した。すると、父は絶え間なく意味不明のことを大声で一人で喋る。薄壁の向こうの隣人はいたたまれなかっただろう。子供ながら、こんな父を持つことが恥ずかしかった。年中付き合わされた母の苦労は大変だったと思う。

「酒は人を狂わせる。お父さんみたいになってはいかんよ」
 と、母は、いつも私にささやいた。
 私は、酒飲みには絶対ならないと心に決めた。

 父は、終戦後、再就職した町工場で大怪我をして、両手とも義手をするようになったが、81歳まで生きた。『人生50年』と言って、いつも飲んだくれ、母を困らせていたが、持説より30年も長く生きた。
 酒の力で生き、働き、そして、私を私大に行かせてくれた。そういう意味では、酒の効用はあると信じている。
 父と同じDNAを持つ私は、会社を辞めてから酒の美味さを知った。このDNAの体質が、もっと早く出て来なかったかと恨んだものだ。

 最近は、ウイスキーでも、小さなグラスなら、顔が赤くならなくなったらしい。夕方、ウイスキーを少し飲んで階下におりていっても、誰にも気づかれない。
 これは愉快きわまりない。
「了」

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