A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(34)=大人たちよ、小中学生は泣いているぞ(上)

 東日本大震災の直後、沿岸部の大勢の住民が津波にのみ込まれた。家族を失い、住まいを失い、命からがら助かった人たちは学校、公民館、神社仏閣、親戚の家に避難した。各避難所の窮屈な生活が報じられると、
「何とかしてあげたい」
 と日本中から同情が集まった。ボランティアで現地に出向いた人、支援金を出した人、手紙で励ましを与えた人たち。多くの人がなんらかの行動に出た。

 大手メディアはそれを賛美し、一方で攻撃の的を行政に向けた。ジャーナリストは権力の監視人だから、ある時は正しく働く。しかし、時としてミスリードもする。(最悪のケースが日露戦争以降の戦争誘導だが)。
 
 最近、各被災地を回るほど、仮設住宅の建設はメディアのミス・リードだったのではないかな、と疑うようになった。顧みると、避難者たちの声を代弁する態度で、「仮設住宅の建設が遅い。用地の確保もできていない」と批判をくり返してきた。
 メディアに叩かれると、行政はなんとか早く動こうとする傾向がある。世間の目も、「早く何とかしてあげろ」と厳しい目を向けていく。

 国家が強制力の働く場所のひとつとして公立小中学校がある。校舎、体育館、そしてグランドは国(市町村)の財産である。何の疑いもなく、「グランドに仮設住宅を建てよ」と指示命令が出せる。 こうした法律があることは確かだ。(法が正しいとは限らないけれど)

 被災地の公立学校は、いまや仮設住宅群で埋まっている。宮城県の被災地のある校長に取材すると、
「中学生活で、子ども(生徒)たちにとって最も大切なのが部活です。私たち大人だって、ふり返れば、最も思い出多い一つが部活ですよね」と語りかけてきた。
 現にそうだった。
 校長はさらにこういった。
「野球部、テニス部などは、秋の大会、春の大会を目前にしても、練習ができないから県大会に出られません。生徒は家に帰ると、口惜しい、と泣いているんです。親やお年寄りがそれを私たち教職員に話すんです。むろん、泣く子は一人二人じゃありません。でも、私たち学校関係者はどうすることもできません。まして、大きな声で仮設住宅排除など言えませんから」
 
 生徒たちも被災者である。親、兄弟、親戚の誰かが亡くなり、家も流されている子もいる。少なくとも、同級生や仲間にそういう人がいる。住まいの大切さはわかっている。だから、生徒らは面と言えないのだという。

「中学校時代は一生に一度なんです。ここらをどう考えるかです」と話す。

 私は中学生たちから直接取材したいと思い、各地で何度か試みた。実際に接触した中学生の男女生徒たちはいちように口が重い。
 12-15歳はとくに初対面の人に話したがらない年代層だ。それを差し引いても、「別に」とか、「わからない」とか、「……」無言とか、まず本音が聞けない。ここ一年間にわたる取材で、一度も聞き出せなかった、といった方が正確だろう。

 岩手県のある中学の取材では、「校長にも一言も連絡がなくて、5月の連休に、野球部員が練習するグランドに来て、いまから仮設住宅の杭を打つから、どいてくれと建設業者がいった。いくらなんでも、横暴すぎる」と反発したが、かなわぬものだった。「口惜しかったですよ」とつけ加えた。

「小学生は学校に仮設住宅ができて遊ぶところがない。狭いな、広いところが欲しい。内心は秘めています。でも、言わないんです」と同県の小学校の校長が語ってくれた。

 グランドを残してほしい。教育現場から教育委員会に訴えても、さらには文部官僚に届くように訴えても、ひびくのは空しさだけだったという。
 
 仮設住宅のグランド建設に反対する、学校現場の声や生徒たちの心情を伝えるメディア報道はあっただろうか。逆に、国民はメディアに乗せられて仮設住宅=学校の敷地を使う、という構図に賛成してきた。
 日本中の大人が疑問を持たず、学校に仮設住宅を作らせてきたのだ。

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